戦争や貧困のない社会を実現するには、人々が「社会はどうあるべきか」に関心を寄せ続けることが不可欠と思い、取材や報道を通じてその一端を担える記者を目指しました。

高田 みのり さん
中日新聞社(2016年3月卒業)

2016年3月に国際関係学部を卒業後、中日新聞社へ入社。広島G7サミットや名古屋市政などの取材に関わり、現在は東京本社 経済部で勤務中。呼吸器事件を巡る一連の取材・報道が評価され、2019年に取材班の一員として「第19回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞(草の根民主主義部門)」、2020年に「日本医学ジャーナリスト協会賞」大賞を受賞。

現在、どのようなお仕事をされていますか?

高田東京本社経済部で記者として働いています。主な担当は財務省で、普段の拠点は財務省内にある記者クラブ「財政研究会(通称:財研)」。中でも、私は国の税制を企画・立案する「主税局」関連の取材を担っています。直近の大仕事は「103万円の壁」で注目を集めた2025年度税制改正。与野党の議員や関係者に話を聞くため、期間中は財務省、議員会館、自民党本部、国会議事堂などをひたすら回って記事を書いていました(1日に10キロ近く歩いていたことも…)。

また、定期的に開かれる大臣会見のほか、各省庁での記者レクにも参加しています。もちろん税制以外にも、国の予算、日銀の利上げ、円安による為替介入、日本のGDP…など、経済を巡るニュースは同僚たちと何でも取材。そのほか、「中古ギター価格の急激な高騰はなぜか」など、もう少しやわらかい話題も自分の興味関心に基づいて取材、執筆しています。

名古屋社会部にいた頃には広島サミットの取材メンバーに抜擢してもらい、「世界の平和に貢献したい」「英語を使いながら国際政治の最前線を取材したい」という目標が同時に叶いました。また、支局時代には地元の方から託された資料をもとに戦時下の大地震の記事を書き、その記事がきっかけとなって本を出版させていただいたこともあります。

現在の職業を選んだ理由を教えてください

高田戦争や貧困のない社会を実現するには、自分も含めた世の人々が「社会はどうあるべきか」に関心を寄せ続けることが不可欠。そこで、取材や報道を通じてその一端を担える記者を目指しました。また、社会が「顔も名前も知らないどこかの誰かたち」のおかげで成り立っていることを実感する中で、名もなき人々こそ尊い、彼らの人生を記録したいと思うようになったことも理由の一つです。当時の社長が採用サイトで「アレクサンドロス大王の大遠征は知られていても、従軍兵士の名は知られていない」ことを例えに地方紙の役割を説いていたのを読み、「人を大切にする良い会社だな、ここで働きたいな」と思うようになりました。

国際関係学部を選んだ理由を教えてください。どのような大学生活を送られていましたか?

高田幼い頃から祖父母の戦争体験を聞いて育ったこともあり、大学では戦争と平和、政治を中心に学びたいと考えていました。また、中学時代をロンドンで過ごしたため「再び海外に戻って学びたい・働きたい」という思いも強くもっていました。そんな私は附属校の立命館慶祥高出身。グローバル・シミュレーション・ゲーミングに代表される国際関係学部独自のカリキュラムや多様な留学プログラムを見て、内部進学しようと決めました。実際に入学してからは、「国連は紛争解決に力を発揮するか」など、正解のない問題をじっくり考えさせる講義が多く、いろいろな考え方にも触れることができてとても濃い学生生活でした。

特に印象に残っているのは、カナダ・バンクーバーにある、ブリティッシュコロンビア大学への交換留学です。人種のサラダボウルと例えられる国なだけあって、世界中からさまざまな学生が集い、とても刺激的な日々でした。自習場所にしていた図書館もまるでハリーポッターに出てくるような内装だったり、キャンパスは広すぎて学内をバスが走っていたり。さまざまな国・地域出身者同士で送る学内寮でのルームシェア生活も、今では笑えるようなトラブル(当時は深刻)が多々あり、問題対応能力がとても鍛えられたように思います。

忘れられないのは、留学中に日本人学生で企画・開催した「Remember 3.11」。2年前に起きた東日本大震災への追悼や被災・復興状況の周知を目的としたイベントでしたが、企画段階で実施したアンケートの中に「津波が来たらサーフィンをしたい」という現地学生からの回答がありました。ふざけているのか、津波の怖さを知らないのかは今でも分かりません。ただ、情報を正しく伝える難しさや大切さは、この時に学んだように思います。

また、学生同士の意見交換で衝撃を受けたこともありました。その日は「ホームレスにどのような福祉が提供されるべきか」という話題になりましたが、ある男子学生は「ホームレスは自己責任だから支援はいらない」「死のうが関係ない」。ひとりひとりの事情を知らないにも関わらず「ホームレス=自己責任」と決めつけてしまう彼とは長時間議論しましたが、結局平行線のまま終わってしまいました。

大学での経験が現在の仕事に活かされていると感じることがあれば教えてください。

高田国際関係学部やUBCでの学びを通じて「答えのない問題をじっくり考えたい」「自分とは異なる意見の人にも話を聞いてみたい」といった思いが生まれました。記者という仕事を選ぶ一つの大きなきっかけだったように思います。また、アウェイな環境を楽しむ度胸と語学力を得る一方、情報を正しく伝える大切さや難しさを学んだのも学生時代でした。

今後の展望を教えてください。

高田入社当時から一貫して、海外特派員を目指しています。「国際政治の舞台を英語で取材したい」という願いは広島G7の取材で叶えることができたため、次はフィールドを海外に移すことが目標です。当初は英語を使えるロンドンやワシントンなど欧米圏を希望していましたが、コロナ禍で中華ドラマをたくさん視聴したのをきっかけに、将来の可能性を広げるため、独学で中国語、最近は韓国語の勉強も始めました。

国際関係学部の後輩へメッセージをお願いします。

高田国際関係学部の魅力は、かつて国際機関に勤めていた先生、元外交官として外交の最前線を渡り合ってきた先生など、その道のスペシャリストがたくさん教壇に立っていらっしゃるところです。自分は将来何になりたいのか、どんなことに興味があるのかを考えるうえで、先生方の教えや生の声は私自身、とても大きな助けになりました。

また、一緒に学ぶ学部の仲間たちの存在にも励まされました。国関では、2〜3回生になると、少なくない人数がキャンパスからいなくなります。留学や海外でのボランティア活動などが理由です。彼らが何を学んでいるのか、どんな国でどういった活動をしているのか、将来何になりたいのかを聞くたびに「自分も頑張らなくては」と力をもらっていましたね。

国際関係学部は、世界に羽ばたく玄関口です。さまざまな分野の最前線で活躍されていた先生方の下で、「世の中のために自分には何ができるだろうか」と考えている仲間たちと学び、互いに励まし合いながら成長していける場所でもあります。学部の仲間たちは、今でも集まるたびに「国関楽しかったなあ〜」と口癖のように言います。かくいう私も、望んだ仕事で夢や目標を少しずつ叶えてきたこれまでの歩みを振り返るたび、自分を大きく成長させてくれた原点ともいえる大学での学び、恩師の先生方、仲間たちに感謝するばかりです。

やりたいことが決まっている方も、「国際分野は気になるけど何に興味があるかまでは分からない」という方も、ぜひ、国際関係学部で学んでもらいたいです。10年後、きっとあなたも言っています。「国関、楽しかったなあ〜」と。

2025年3月更新

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