開発途上国の魅力に惹きこまれアジアの国々を訪問した学生時代。訪問先で自身の原点ともなる経験をしたことが、国際協力や開発に携わりたいと考えるきっかけになりました。
小田 遼太郎 さん
JICAガーナ事務所(2004年3月卒業)
2004年3月に国際関係学部を卒業後、独立行政法人国際協力機構(JICA)に新卒で入構。青年海外協力隊事務局(中米担当)、人間開発部(感染症対策担当)、中国事務所(北京駐在)、東・中央アジア部(モンゴル担当)、企画部を経て、2022年5月からJICAガーナ事務所で勤務中。
現在、どのようなお仕事をされていますか?
小田日本政府の政府開発援助(ODA)の実施機関であるJICAの職員として、ODA事業の企画・実施に従事しています。
現職のガーナ事務所では、事業担当の次長として、インフラ開発・都市計画、農業・産業開発、保健医療、教育・ガバナンスなどの事業を総括しています。各事業を円滑に進めるため、カウンターパートと呼ばれるガーナ政府関係者との協議・調整に従事したり、相手国の開発課題や政策動向を分析し、ニーズにマッチした新規事業を形成することが主な仕事です。
アフリカでの駐在は初めてですが、政治・治安が安定していて、60年以上にわたる長年の協力基盤のあるここガーナで、JICAは各分野のフラッグシップとも言える事業を多数展開しており、日本に対する大きな信頼を日々感じています。
日本の協力でキャパシティを身に着けたガーナの人々が、今度はアフリカのコンテキストで自らの学びや経験を昇華させ、サブサハラアフリカの他の国々に広めたり、民間企業と連携してイノベーティブな取り組みを編み出したり、とダイナミックな成長を肌で感じる場面もあります。
現在のお仕事を志望されたきっかけを教えてください。
小田国際協力や開発、それもJICAという二国間協力のODAを仕事にしたいと思ったのは、目まぐるしく変化する世界情勢の中、国際社会で日本が果たすべき役割を考え、それを一部でも体現する仕事に就きたいと思ったからです。
大学時代に国際関係学部で世界は欧米諸国の価値観やシステムのみで動いているわけではないことや、日本が開発途上国と呼ばれる国々と共存していることを学び、在学中に訪れたネパールやフィリピンで自身の原点ともなる経験と出会いをしたことが国際協力の分野へ進もうと思った大きなきっかけになっています。

学生時代はどのような学生生活を送られていましたか?
小田英語が好きで、大学に入ったら欧米に留学に行くことが漠然とした入学前の夢でしたが、国際関係学部に入学した後180度考えが転換しました。まずは、新入生の面倒を見てくれるオリターという学部団体に所属している先輩との出会いです。先輩は世界中をバックパッカーとして旅行しており、次の休みはアジアのどの国に行こうか・・・という話をしているわけです。また、1回生の基礎演習の先生が本名純先生だったことも大きく影響を受けました。インドネシア政治を専門とされ、民主化や選挙、貧困、地域紛争やマフィアのことまで、目から鱗のお話をうかがうにつれ、開発途上国の魅力に惹き込まれていきました。
気が付いたら、1回生の夏休みには国際関係学部の友人たちとネパールに行き、大阪のNGOが支援をしている地方の学校で、電気も水もない生活を経験。毎日何時間も歩いて学校に通い、家ではアルコールランプのわずかな灯りで夜中まで勉強に勤しみ、「勉強が本当に楽しい」と語る少女と出会い、貧しさと幸せが比例しないことを知りました。
同時に、日本人である自分に一体何ができるのかを自問自答するきっかけともなり、もっと開発の世界を知りたい、知らなければならない、という強烈な思いにかられ、2回生の1年間をフィリピンでの交換留学に充てることを決めました。
フィリピンではどのような経験をされましたか?
小田留学先のフィリピンでは、主にCommunity Developmentを学び、実際の開発ワーカーの現場に連れて行ってもらうなかで、地域の貧困問題や生計向上に対し、外部の支援者がどのように地域住民と関係構築を図り、住民主体の開発をファシリテーションしていくか、その理論や手法を知りました。
留学から帰国した後も商社出身の方が企画する国際関係学部の海外スタディプログラムに参加。行き先はまたしてもフィリピンだったのですが、今度はフィリピンの自由貿易港・経済特別区で、学部生20名ほどが共同生活を送る合宿形式のプログラムでした。
他の学生が経済特別区に入居する日本企業の工場でインターンシップを受けるなか、私は経済特別区に隣接する自治体の市役所に所属し、行政側から同地域の開発を学びました。5名ほどの小さな部署でしたが、そこでコミュニティ開発の実務に触れ、市役所のスタッフが地域住民と信頼関係をしっかり構築し、貧困削減や福祉などの市のプログラムを遂行している様子を目の当たりにしました。
スタッフの中には、ストリートチルドレンとして、市場で物を運ぶボーイとして働いていた、という人もいました。そんな彼が今やストリートチルドレンの更生と教育のプログラムに従事する様子を見て、フィリピンの人たちが、自分たちの国を自分の手で良くしていく、そんな人材と社会のシステムが循環していることに衝撃を受けたことを今でも覚えています。
プログラムでの活動中、自身の無力感でいっぱいになっていた時、彼は「君には日本人として、僕たちやこのような子どもたちに何ができるのかを考えられる人になってほしい」と言ってくれました。その言葉は決して、援助や資金がほしいという受動的で、短絡的な意味ではありませんでした。ただ、私の中で、フィリピンという国レベルでの日本との関係も含め、マクロ・ミクロでの重層的な二国間関係の中で国際協力や開発に携わりたい、貢献できる人間になりたい、と考えるきっかけとなり、就職先としてJICAを選んだ理由にもなりました。
現在のお仕事に就かれるまでのキャリアを教えてください。
小田JICAに新卒で就職し、初の在外事務所は中国・北京。保健医療分野、特に感染症対策の案件形成やその実施監理に携わりました。当時はSARSが流行した後で、病院内の二次感染がパンデミックの原因となったことから、院内感染対策のプロジェクトを展開したり、コミュニティレベルの保健行政を強化する事業などに従事しました。
また、2008年の四川大地震後の復興支援として、日本の阪神・淡路大震災の経験を活用し、被災者に精神保健・心理社会的支援を届ける人材の育成やその仕組みを構築する「こころのケア」プロジェクトに従事しました。兵庫県の精神科医、臨床心理士、学校教員などの専門家がチームを組み、被災地に何度も往復いただいたのですが、時を越えて、国境を越えて語り継がれる震災経験とこころのケアの知見に感銘を受け、もっとこの分野で自分の中にバックボーンとなるような知識を体系的に蓄え、JICAの事業に活かしたいと考え、英国のロンドンで大学院に留学し、Global Mental Healthという学問を学びました。
現在のガーナ事務所は初のアフリカ駐在であり、保健医療分野以外の業務も多いですが、地域や分野にとらわれず、多様な業務に従事できることもこの仕事の醍醐味の一つです。開発途上国が直面する課題は一つの分野に限定されませんし、保健医療分野の課題解決にあたっては、他の分野で取り組まれていることとの連携も求められるので(例えば、栄養は保健医療と農業開発にまたがるイシューです)、在外事務所では多角的にその国の開発課題を把握し、分野横断的なマルチセクトラルな視点を持つことも重要になっています。
また、政府高官から省庁スタッフ、現場の施設従事者から地域住民(最終裨益者)まで、事業に携わる多様なステークホルダーの意見を直接聞くことができることと、日本の業界第一線の専門家の皆さんと事業の現場をつなぐことができることも、この仕事のやりがいであり、重要なアセットだと思います。

国際関係学部での学びや経験が現在の仕事で役立っていると感じられる場面はありますか。
小田日本人初の国連難民高等弁務官(UNHCR)として「現場主義」を貫いたことで知られる緒方貞子さんは、JICAでも理事長を務め、「現場主義」を主導されました。これは東京で語られる理論を一方的に当てはめるのではなく、現場に足を運び、人々に寄り添う中で、現場のニーズを正しく把握し、真に必要なアプローチを考えなさい、という取り組みだと理解しています。また、プロジェクトは時限的なものですので、事業終了後の持続性を担保するために、案件形成の当初から、カウンターパートの自主性と自助努力を尊重することもJICA事業の基本理念になっています。
これらを体現していく上で、「現場に飛び込む姿勢」は国際関係学部で培ったセンスだと思いますし、私の中での行動規範になっています。東京での業務は書類のやり取りも多いのですが、常に書類の向こうにいる人々の顔や現場をイメージして、業務にあたるように心がけています。
また、国際関係学部では、専門演習(ゼミ)で「地域研究」を学びました。地域研究は、その国の政治、経済、社会、文化、歴史等を現地の文脈を重視しながら研究する学問で、フィールドワークも推奨しています。私の場合は交換留学や海外スタディプログラムの経験をベースとして、フィリピンの都市貧困を対象に研究をしましたが、地域や国を複合的に見る視点はこのゼミでの経験が役立っていると思います。
国際関係学部の魅力は世界中にフィールドを持つ先生や先輩、友人、留学生と出会えることだと思います。この仕事をしていると、そうした人々のネットワークに救われることもありますし、立場は違えど、世界の安定と平和を願う同志として、一生のお付き合いをできる友人ができたと思っています。よくカラオケで、「俺の人生のテーマソングだ」として、ジョン・レノンの『Imagine』を熱唱する先輩がいました。世界中で分断に次ぐ分断が生まれるいま、この歌に込められたメッセージの重要性を噛みしめています。

今後の展望や目標について教えてください。
小田私は特に医療従事者のバックグランドはありませんし、保健医療の専門知識もあったわけではありませんが、仕事を通じて保健医療分野の知見を身に着け、大学院で勉強もさせてもらいました。「健康」は生きていく上での基本であり、経済・社会活動の基盤だと思います。COVID-19の世界的なパンデミックでは、感染症に国境などないことを改めて思い知らされました。国際社会が連帯して健康危機管理への備えを蓄え、また日常的にそのような外的ショックにも耐え得る、レジリエントな保健システムを構築していくことが重要だと思います。
ここ数年で、国際機関に加え、民間企業、インパクト投資ファンド、スタートアップなど、多様なアクターが保健医療分野に参画するようになりました。これにより、従来の公的セクター中心の枠組みを超え、技術革新や資金動員の方法が大きく広がりつつあります。このような環境で、JICAが果たすべき役割を考え、「迷ったら現場から学ぶ精神」で業務にあたり、誰もが健康を享受できる社会の構築に貢献していきたいと思います。
国際関係学部の後輩へメッセージをお願いします。
小田私の場合は大学生活での経験が現在の就職先に直結しましたが、国際色豊かな環境に加え、交換留学や海外スタディプログラム、インターンシップなど、学問の域を超えて、学生の探求心に応じ、社会の現場や実体験を積める生の機会にアクセス可能であることが、国際関係学部の強みではないかと思います。
国際関係学部に入学し、世界の扉を開いた皆さん。ますます不安定になる世の中で、世界に目を向け続けることが難しいこともあると思います。そんな時はぜひ一歩踏み出して、外に飛び出す勇気をもってください。そして自らの五感で見聞きして、国際関係学がある意味を考えてほしいと思います。
大学での出会いや経験は一生ものの財産です。かけがえのない時間を過ごされるよう、国関生のますますの活躍を祈念しております。
2026年3月更新
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