研究拠点Ⅳ 高齢者の健康増進と生き甲斐の追求高齢者社会を豊かにする視覚3C創成プロジェクト
~細胞(Cell)・回路(Circuit)・認知(Cognition)~

視覚は高齢者社会における生活の質(QOL)の維持向上において最も重要な感覚だと言っても過言ではありません。近年、遺伝子治療や再生医療といった視覚最先端医療の臨床研究が急速に進んでいます。しかしながら、より多くの患者さんの治療に貢献するための実用化には、多くの課題もあります。本プロジェクトでは、視覚最先端医療の実用化に向けて、未解決の課題に挑むことで、健康寿命の延伸と豊かな高齢社会の実現への貢献を目指します。

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視覚最先端医療の実用化に向けて、
未解決の課題に挑む。

国民の高齢化にともなう視覚障害の増加は、日本の大きな課題となっています。高齢者のQOLを著しく低下させるのはもちろん、視覚障害による高齢者労働人口の減少が年間8.8兆円の経済的損失を生んでいるという日本眼科医会による試算もあり、高齢社会下の労働力の再生という観点からも看過できない課題だと言えます。
一方、2006年に世界初のiPS細胞の作成を成功させて以来、再生医療は日本の最重要科学技術の一つとなっています。しかし、神経系への適用には解決すべき課題が多く、「視覚」の再生は神経系再生医療の試金石とされています。2020 年10月、神戸アイセンター病院において世界で初めてiPS 細胞由来の再生網膜(視細胞シート)を用いた臨床移植が行われました。初めての再生網膜移植として期待され、大きなニュースとなりましたが、視覚再生技術や遺伝子治療が確立されても、それを多くの人が享受するようになるには、まだいくつもの課題が残されています。本プロジェクトでは特に2つの課題に着目しています。1つは、有効な網膜シミュレーターが存在しないことです。より多くの患者さん一人ひとりに最適な治療を実現するには、シミュレーションによる予測が不可欠ですが、まだ世界のどの研究グループも網膜内部を推定する評価系構築に成功していません。もう1つは「多感覚知覚」です。近年の研究により、ヒトは視覚だけでなく聴覚や触覚、味覚など多様な感覚系認知機能を複合して視認知をしており、正常な網膜さえあれば自然な視覚を取り戻せるわけではないことが知られています。本来の視覚は、視覚以外の感覚からも合わせて刺激を受けることで取り戻せると考えられており、視覚治療においても「多感覚知覚」を考慮に入れた視覚補完ツールが求められています。
本プロジェクトでは「網膜の定量的評価系の構築」「多感覚知覚による視覚補完ツールの開発」により、確立された技術の汎用化と補填による視覚再獲得への貢献を目指します。

「細胞」「回路」「認知」の3Cから、
網膜を理解し、より正確かつ幅広い視覚最先端治療の実現へ。

さまざまな患者さんそれぞれに適切な治療を行うには、多階層にわたる課題が存在し、多面的な視点から取り組む必要があります。そこで本プロジェクトでは、グループを「細胞(Cell)」、「回路(Circuit)」、「認知(Cognition)」という3つの階層で分け、それぞれのグループ内で実験系と数理系の異分野融合研究を行いながら、全体での連携を図るというユニークな構成を採っています。

「細胞」グループは、3つの階層のうち基礎にあたります。主なテーマは、網膜形成および視機能メカニズムの解明と、解明メカニズムに基づいた再生医療に向けたiPS細胞由来網膜の構築法とその機能性評価法の確立です。本グループでは、視機能解析に有用な動物種から高品質なiPS細胞を樹立し、3次元網膜を作成。多角的な解析を行い、iPS細胞由来の網膜の機能性評価法の構築に活かします。目的のiPS細胞樹立後は網膜が形成される過程を明らかにすることで、網膜の機能を解析し、視覚再生に必要な細胞環境モデルを確立しようとしています。そして、これらの実験系データをもとに、再生網膜の機能を評価するための細胞数理モデルの構築を進めます。将来的により高効率で低コストな視覚再生医療を実現するために、視覚再生にどのくらいの移植細胞数が必要なのかを予測できる数理モデルの構築も目指し、最小視覚再生単位(minimal vision recovery unit, MVRU)という新たな概念を提唱したいと考えています。

「回路」グループは、3つの階層の中間にあたり、視機能のメカニズムの解明に取り組んでいます。計算神経科学を専門とする北野がリーダーを務め、大きく3つのテーマに挑んでいます。
1つめは、網膜の時空間動態の計測と、その動作原理を明らかにすることです。プロジェクトリーダー小池らのこれまでの研究では、従来の静的刺激ではなく動いている眼球への自然な視覚刺激を模した条件での解析で、網膜において受容野の伸長・応答潜時の短縮・局所集団による協同した視覚情報処理といったダイナミックな視覚情報処理機構の存在が明らかになっています。また、病変時には正常時には現れない活動が生じることも見いだしています。これらの成果に、遺伝子改変技術、免疫組織化学的組織解析、多電極アレイによるマルチ神経活動計測を併せ、網膜の動作原理と病態の理解を進めます。
2つめは、網膜から視覚皮質への情報伝達についての理解です。網膜で処理された視覚情報は、第一次視覚野にはじまる視覚皮質においてさらに処理され、視認知されます。これまで第一次視覚野については多くの研究が行われてきましたが、実際には網膜での視覚情報処理が、視認知に大きな影響を及ぼしているはずです。そこで視覚刺激に対する網膜と第一次視覚野の応答を同時に計測し解析します。これにより、網膜から第一次視覚野への情報伝達様式と、第一次視覚野での視覚情報処理についての理解が深まると期待できます。
さらに3つめとして、それぞれの研究で得られた実測データを活用し、網膜情報処理機能を定量的に評価するための数理網膜回路モデルの構築に挑みます。再生網膜の機能が正常網膜と同等かを評価・検証するには、その設計図として網膜回路モデルが必要ですが、まだ世界的にも存在していません。数理モデルができれば、網膜が環境変化に適応するための因子の予測と検証も可能になると期待されます。

「認知」グループは、3つの階層の中で人間の認知という出力レベルにあたる研究を行います。リーダーは和田。視覚医療においては、自然な視覚を再獲得するためのサポート、リハビリテーションの段階を担います。そこで求められるのは、患者がどのような視覚を得ているのかを正しく測定することと、視機能再獲得に役立つツールを開発することです。
そこで、前者に対しては、新しい視覚機能検査の開発につながる知見を得ようとしています。脳には眼から得た情報を取捨選択、加工・補正する働きがあるため、視覚能力の異常に本人が気づかないことがあります。健常者が視細胞が存在しない盲点の視野を他の情報によって充填しているのと同じように、網膜変性疾患によって視野が欠損している患者も、そのことに無自覚でいる可能性があり、それらを正確に検出することが求められます。錯視現象に関する研究知見などを活用するとともに、さまざまな視覚機能を測定するための研究も行い、新しいパラダイムの視覚機能検査の開発に貢献します。
後者に対しては、視多感覚知覚を応用した網膜機能再生に役立つリハビリテーションツールの開発を試みます。先述のように、ヒトは視覚だけでなく多様な感覚系認知機能を複合して視力を維持しています。こうした感覚補完を行う多感覚知覚を探索し、それを応用して感覚補完ツールの開発に取り組んでいます。
和田は多感覚の研究に取り組んできた実績を持つ心理物理学者であり、他にも、色覚の研究者、錯視の研究者ら、多彩な研究者が集まり、これまでにない研究に挑んでいきます。

実証研究と数理モデルの両輪で、
視覚最先端医療の実用化に貢献し、豊かな高齢社会の実現に貢献する。

生命科学は多くの場合、当初は実験ベースの経験科学の側面が強く、研究の進展にともない理論モデルベースの予測可能な科学へと徐々に移行していきます。再生医療分野においては、前述のように、iPS細胞から分化誘導した再生網膜による世界初の臨床移植手術が2020年に行われ、再生網膜の移植時代が幕を開けました。今後臨床研究の進展いかんでは、多くの人々に提供すべく社会的普及が試みられる段階に至る可能性もあり、高品質な再生網膜作成技術と機能性評価の基礎となる数理モデルが必要とされることは明白です。
そこに、実験を中心とした実証研究と数理モデルによる機構解析と理論構築を両輪で進めてきた本プロジェクトが果たすべき、大きな役割があります。本プロジェクトは、立命館大学「システム視覚科学研究センター」を母体としています。そこでは10年以上にわたって情報系や理工系、生物系、心理系の研究者が参画し、異分野融合の研究体制を築いていきた実績があります。そうした他にはない特長を活かして、学外の研究機関との連携や共同研究も積み重ねており、本プロジェクトは現在、神戸アイセンター病院、(株)ビジョンケアなどと人材交流や共同研究などで連携をしています。
視覚最先端医療の実用化への貢献を目指す本プロジェクトは、今後、広く視覚医療分野において貢献できる可能性や、世界的なスタンダードを提供できる可能性を持っています。さらに本研究は、そもそも視覚異常が生じる前の段階で病気を発見する予防医療や、治療後の視覚の補填への貢献を非常に重要視しており、貢献可能だと考えています。視覚異常の予防、治療、補填によるリハビリテーションと多角的に視覚の問題に取り組むことは、日本はもとより世界で進む高齢社会において、高齢者のQOLの低下や高齢者労働人口の減少を食い止めるという重要な役割を果たします。本プロジェクトにより、豊かな高齢社会を実現することに貢献することを目指しています。