数学が描く、人間関係の未来とは
― 純粋数学者の新たな挑戦―
R-GIROで行っている研究をおしえてください。
私は「心の距離メータ」に関する数学理論の構築を行っています。私たちのプロジェクトでは人の生体情報を用いて人間関係を評価・可視化する「心の距離メータ」の開発を行っています。同じ儀式に参加している人同士は、自律神経系活動が同期(シンクロ)するという先行研究をもとに、私たちは人同士の心理状態が近いほど自律神経系活動がより同期するという仮説を立てました。この仮説のもと、自律神経系の活動により影響を受ける心拍数などを計測してその同期度合いを解析することで、人同士の親しさの度合いを客観的な指標で評価する技術の研究・開発を行っています。プロジェクトにおける私の担当は、人同士の心理状態が近い時に自律神経系活動がなぜ同期するのかを数学を使って説明し、さらにその同期現象の数理モデルを作成して心の距離メータの開発に活かすことです。
自律神経系活動の同期現象を数学を使って説明する
ウェアラブルデバイスで計測した心電図や心拍数を表示する心色アプリ
研究のおもしろさは何ですか。
数学の研究は抽象的で理解するのが大変ですが、意味が分かると理論の美しさや巧妙さに感動します。特に数学が表す概念と実際の現象との合致が見られた時や、数学を通して得た知識や経験が工学的な研究で役立つことは研究のモチベーションになっています。R-GIROのプロジェクトに参加する前までは、私は純粋数学の理論を研究してきました。純粋数学の研究成果は、その多くはすぐには社会に活かすことが難しいものです。そういった研究も大切で決して無意味ではありませんが、社会実装を見据えた今の研究は、私にとってはこれまでになかったモチベーションとなっています。
研究で未来をどう変えたいですか。
私たちのプロジェクトでは、心の距離メータを婚活イベントで使う実証実験を行っています。男女が1対1で会話している時の心拍数などを計測し、同期度合いを解析することで、容姿や年収などによるバイアスで本人たちが気づけていない相性の良さや会話中の共感を気づかせることができるのではないかと考えています。これまでは、人間関係の評価はアンケートなどの主観的評価しかありませんでした。「心の距離メータ」により客観的に評価することで、学校や会社、地域社会などでの見えづらい人間関係における問題を発見することができるようになると考えています。また、私たちの研究グループでは、生体情報を指標として、どうしたら心の距離を近づけられるのかについても研究しています。私はこの研究を通して、家庭や学校、職場など、日々の暮らしの中で生まれる人間関係の悩みやすれ違いを少しでも減らし、人々がもっと素直に心を通わせ、安心して寄り添える社会を実現していきたいです。
ポスターセッション中の参加者の心拍数を計測して「心の距離」を調べる実験
2人の心拍数の同期度合いを調べて心の距離の指標として用いる
研究者を志したエピソードを教えてください。
数学を学んでいるうちに研究のおもしろさに取り憑かれたのが研究者を続けている理由です。中学生の頃から数学が好きで、大学は数学科に入りました。大学ではたくさんの素晴らしい先生方や同級生たちからの刺激も受け、充実した環境で数学を学ぶことができました。世間話は苦手ですが、数学について人と議論することはとても好きでした。学部では卒業研究はなく、研究をしてみたいと思い大学院の修士課程に進学しました。修了後は漠然と就職を考えていましたが、修士課程の2年間では研究し足りないという気持ちがあり、博士課程まで進みました。その後も数学は勉強すればするほど分からないことが増え、自分の知らない世界がまだ先にあると感じました。そして、研究を続けて数学が表す世界をもっと深く理解したいという思いから研究者を志しました。
異分野融合研究をどう思いますか。
心の距離メータに関する研究プロジェクトでは、生体工学、情報科学、心理学、生命科学など様々な分野の専門家が研究を行っています。純粋数学の研究ではほとんどなかった「実験」に参加することは新しい経験です。実際に人の体で何が起こっているのかを計測しながら研究を進めていく研究手法は私にとってはとても新鮮で貴重な機会となっています。例えば、心電図などの生体信号の変化には様々な要因やノイズが含まれており、期待するような理論通りのデータを得ることは難しく、実際の解析の大変さを身に沁みて感じています。そのため実験や解析では工夫が必要ですが、それが今まで考えていなかった角度から数学を勉強し直すきっかけにもなっています。
(取材:2025年7月)
参加しているプロジェクト: 「心の距離メータ」を用いたサイバー/フィジカル空間における人間関係構築技術の開発