視野障がい再現から考える、見ていること、認知していること
― 人はどのように世界をみているか ―
R-GIROで行っている研究をおしえてください。
私は「視野が狭くなったり、一部が欠けたりすると、私たちの認知にどんな影響があるのか」をテーマに研究しています。たとえば緑内障では、視野が周辺から徐々に失われていきますが、患者さん自身はその変化に気づかないことが多くあります。
そこで私は、VRと視線計測を用いて、健康な人に疑似的な視野狭窄を体験してもらい、その状態で「どのくらいの範囲を認知的に有効活用できているか」を調べています。視界に入っているのに、注意が向かず見落としてしまう経験は誰にでもあるのではないでしょうか。“認知的に有効活用する”とは、現在の注視点周りの情報を、次の行動(眼を動かす、覚える、推測するなど)に活かすことです。この範囲が見えている広さや形によってどう変わるのかを調べています。また、視覚に音を組み合わせると見やすさが変わるかどうかも検討しています。このように、心理学とVR技術を組み合わせて、視覚障がいの理解や支援につながる基礎的データを集めています。
研究のおもしろさは何ですか。
研究のおもしろさは、人が「どのように世界を見ているか」を具体的に数値で示せることです。精緻に練った知覚実験から物理量と知覚量の美しい関数関係を導き出せたときの嬉しさはひとしおです。また、私たちは視界全体を見ているようで、実際にはごく一部しか処理できていません。この限界が病気によってどう変化するのかを解明することは、学問的関心にとどまらず生活や社会制度にも深く関わります。
VR技術により視覚世界のシミュレーションが可能になれば、医療従事者や家族が患者さんの視野を「体験的に」理解できるようになります。また、音や他の感覚を活用した視覚補助の仕組みは、リハビリや福祉機器の設計にも応用可能です。視野が狭まっても、自分らしい暮らしや学びを支える環境づくりに貢献したいと考えています。その基盤となるのが、「人はどの範囲まで有効に見えているのか」という研究なのです。
VRでは頭部と眼球の動きにリアルタイムで追従する様々な視野障がいを再現可能(上段は視野狭窄の再現)。
単純な探索課題から運転課題に至るまで幅広い環境を作成でき、各状況での認知機能を測定することができる。
研究者を志したエピソードを教えてください。
研究者を志したきっかけは、学部時代に受けた「認知心理学」の授業と、指導教員の言葉でした。人間が見ている「世界」は外界の写像に過ぎず、脳がつくり出した知覚経験なのだと学んだときの驚きが忘れられません。脳のひとつひとつのニューロンは自らが何の情報を運んでいるか知りません。それにもかかわらず、「私」には豊かな知覚経験が生まれています。知覚が生まれるアルゴリズムはまだまだ解明されていません。その奥深さに魅了され、もっと仕組みを知りたいと思うようになりました。学部時代に初めて心理実験をプログラムし、何度も試行錯誤と実験を繰り返しながら、データから人間の心のプロセスを読み解けた経験が研究者として歩んでいこうと決意する大きな転機となりました。そして、尊敬する指導教員から「このまま研究の道へ進め」と背中を押されたことが今に繋がっています。
異分野融合研究をどう思いますか。
私の研究は心理学が基盤ですが、実際には情報工学や医学との連携が欠かせません。例えばVR環境の構築や視線計測技術の導入は、情報工学の知識なしには成り立ちません。そして、網膜視細胞や網膜神経回路などの生理メカニズムの知識は知覚心理学の理解を深化させてくれます。R-GIROで情報系や生命系の専門家と協力できたことで、視野障がいの動的シミュレーションが実現し、また「視覚」について細胞・回路・認知のレベルをこれまで以上に縦断的に考察する機会に恵まれました。一方で、「視覚」という単語ひとつで想定するレベルが異なり、上手く意思疎通できない時もありました。例えば、生命系の専門家は細胞レベルで、情報系は回路レベルで、私は認知(脳機能)レベルで考えます。そこで互いの意見に耳を傾け、異分野の視点を加えることで研究は大きく広がることに気づきました。互いに学び合える関係を築けたことが何よりの収穫だと感じています。
(取材:2025年8月)
参加しているプロジェクト: 高齢者社会を豊かにする視覚3C創成プロジェクト~細胞(Cell)・回路(Circuit)・認知(Cognition)~