江戸時代の“食リスク”対策とは
― 膳所藩「安民禄」からみる食糧貯蓄 ―
R-GIROで行っている研究をおしえてください。
私は、「近世日本における“食リスク”への公権力の対応と実態」について調査・研究を進めています。具体的には近江国膳所藩(おうみのくにぜぜはん)(現滋賀県/本多氏/譜代大名/6万石余)が実施していた備荒(びこう)貯蓄政策である「安民禄(あんみんろく)」の実態についての研究に取り組んでいます。備荒貯蓄とは将来起こりうる自然災害や飢饉に備えて食糧を備蓄することです。膳所藩では主に籾(もみ)(稲から脱穀していない状態の米)・縄・金銭を貯蓄していました。これらは非常時に領民を救うために貯蓄されたものです。安民禄蔵に入れる貯蓄物は領主・領民それぞれが出していました。なお、縄を貯蓄しているのは、売却が可能だからです。金銭は他地域の米を購入することができるため、貯蓄していました。貯蓄物は、備蓄したままだと虫害に遭い、いざという時に食べられないため、日常的に貯蓄物を困窮者に貸し付けて利子付きで返済させていました。こうすることで蔵の貯蓄物が循環され、かつ量を増やしていくことができます。餓死者を出さず領民の命を守ることを目的とした政策ですが、財源を豊かにする方向にシフトする地域もありました。このように、いざという時の備えである安民禄について、非常時にどのように機能したのか、また日常時における貯蓄物の維持管理・運用方法について、関連史料をもとに分析しています。
また、飢饉や災害時の代用食物である救荒食(きゅうこうしょく)の実態(全国各地の救荒食の種類、実食、領主による奨励等)について、調査を進めています。ちなみに江戸時代を代表する救荒食の一つにさつまいもがあります。このほか、タンポポ、くずの根などの野草を団子に混ぜて食べていました。
古文書撮影の準備
古文書調査について少しご紹介します。まず研究に使えそうな古文書があるか、図書館や博物館、大学や市役所等に問い合わせます(個人宅所蔵の古文書の調査に行くこともあります)。調査が可能であれば、古文書は1点ずつ(冊子だと1頁ずつ)写真撮影をします。後日、写真データを見ながら文字の読解・解釈をします。読解は、古文書読解の辞典を使用します。今でもそうですが、人それぞれ字の癖があります。同じ文字でも書き手によって字の書き癖もさまざまです。役所に提出する正式な書類は意識してきれいな字で書かれていますが、個人の日記やメモ書きは人に見られることを想定していないため、字が乱れている場合が多く、解読が難しいです。それゆえ、辞書を参考に解読していきます。おもしろいことに、激動の時代である幕末維新期は字も乱れるので読解が難しいです。なお、江戸時代は字の崩し方が全国統一されています。「御家流」という流派です。おかげで、全国どこの地域の古文書を見ても崩し方が統一されていて、読みやすくなっています。
研究のおもしろさは何ですか。
日本史の研究は、過去に書かれた文書(史料)を解読・解釈して、当時の出来事や社会、人々の生活等を明らかにする学問です。AI技術が目覚ましい進化を遂げる現代においても、私たちはまだ過去へタイムスリップすることはできません。しかし、史料を手掛かりにして過去を探しに行くことは可能です。私は日本近世史、特に江戸時代を専門としており、当時の人々がどのような日常生活を送り、非常時にどのように対応したのか、史料を通して探しに行っています。「過去へ出かけていくことができる。」これが歴史研究の醍醐味だと私は考えています。とりわけ、史料調査で自分の研究に活用できそうな史料を発見したときには、とてもワクワクした気持ちになります。また、研究フィールドである滋賀県湖西地域の人たちとの交流も研究を続けていくもうひとつの重要なモチベーションになっています。
研究フィールドとしている滋賀県湖西地域(本人撮影)
研究者を志したエピソードを教えてください。
私は子どもの頃から歴史が好きで、中学生の頃には司馬遼太郎氏の時代小説に夢中になっていました。その「日本史好き」が高じて、大学院へ進学しました。大学院生の時、先輩に誘われて滋賀県湖西地域での古文書調査に参加したことをきっかけに、湖西を研究フィールドとして研究活動に取り組むようになりました。そして、地域に残る古文書の調査や聞き取り調査、祭礼調査などを長年続けるなかで、一地域における近世から近現代に至るまでの人々の生活やその変化といった、地域に根付いた歴史を解明することの楽しさを実感していきました。また、地域の人たちとの交流も深まり、気がつけば研究活動そのものが自分のライフワークになっていました。
歴史学は、過去を知って現在・未来を考える学問です。ゆえに、人類が過去の体験から得た経験知を現在・未来に生かすことができると考えています。私が現在取り組んでいる備荒貯蓄や救荒食の実態解明は、将来的な食糧危機への対応に活かせると考えており、自身の研究を通して、食糧危機に対する課題解決に貢献することを目指しています。
(取材:2025年9月)
参加しているプロジェクト: 人類史的にみた災害・食糧危機に対するレジリエンス強化のための学際的研究拠点