「乳酸は疲労物質」はもう古い
筋肉や脳のエネルギー源
競技力アップにもつながる「乳酸」の話

橋本 健志 教授 スポーツ健康科学部 スポーツ健康科学科

Question

普段スポーツをしない人でも「乳酸」という物質の名前は聞いたことがあるでしょう。疲労物質、あるいは筋肉痛の原因物質だと思っている人がいるかもしれません。しかし、それは大いなる誤解であり、乳酸はむしろ身体や脳に良い影響を与えてくれていることが最近の研究によって明らかになってきました。
乳酸が身体に与える影響とはどのようなものなのでしょう?運動と栄養が身体へ及ぼす作用の解明を通して健康増進や競技力向上をサポートする橋本健志先生に、最新の知見を聞きました。

乳酸は運動中の筋肉や脳のエネルギー源となり持久性競技力の向上や状況判断能力の維持にも関わる

乳酸は、強い運動をした時に筋肉から血中に放出される物質です。疲労物質だとされたのは今から100年前。ノーベル生理学・医学賞を受賞したアーチボルド・ヴィヴィアン・ヒルたちの仮説でした。以来、いかに乳酸を出さないようにするかが、アスリートの課題となっていました。

ところが、今や正反対のエビデンスが次々と積み上がっています。たとえば、サッカーやラグビーの選手の乳酸濃度は、試合の後半になるにつれどんどん低くなっていきます。なぜでしょう?乳酸によって筋肉が疲労するのではなく、むしろ乳酸が少なくなったから疲労すると考えられないでしょうか?

私は、乳酸は運動時に筋肉から出る機能的な物質の一つだとの仮説を立て、乳酸が身体に与えるポジティブな影響について研究を行ってきました。今では、乳酸は運動中の筋肉や脳のエネルギー源となり、持久性競技力の向上や状況判断能力の維持にも関わっていることが明らかとなっています。運動によって体内のブドウ糖が減ってくると、脳のエネルギー源も減るのですが、代わりに乳酸が脳神経細胞(ニューロン)のエネルギー源となってくれることがわかったのです。サッカーの試合中に、パスすべきかシュートすべきかといった状況判断能力が正常に維持できているとしたら、それは乳酸のおかげなのかもしれません。

企業とのコラボレーションで
運動効果をサポートするサプリメントの開発にも取り組む

「運動は真の万能薬」と言われます。運動をする時に筋肉から出てくる乳酸などの物質は、すべての人の健康増進につながるからです。アスリートに限らず、一般の人も、健康のために乳酸をうまく利用してほしいと思います。乳酸を出すためには強度の高い運動が必要。軽い運動を長くするよりも、短時間でも休憩をはさみながら強度の高い運動を行うことが、乳酸の量を増やし、認知機能を高めることがわかっています。

疾患のある方や高齢者の身体機能や認知機能の維持のためにも、乳酸の持つ機能を役立てたいと考えています。激しい運動はできなくても、取り組みやすく、かつ強度の高い運動を開発することを目指しています。高齢者はどうしても筋肉が衰えていきますので、それを食い止める方策として、企業とのコラボレーションで、運動効果をサポートするサプリメントの開発にも取り組んでいます。運動によって生まれる乳酸量に対して、サプリメントができることはまだわずかなのですが、さまざまな企業とアイデアを出し合い、軽い運動でも乳酸を生み出せる方法はないかを模索しています。ゴールは見えていますので、そこに至るどの道を進むのか、どんな処方をするのか、そういったことを突き詰められるのは、この分野の魅力の一つだと感じています。

乳酸の点滴で脳損傷の回復が早まる?

乳酸が筋肉のエネルギー源になったり、認知機能を向上させたりすることは、医学の世界でも認識されていて、臨床での応用も始まっています。一つの例が、事故などで脳損傷を負った人に、手術前から乳酸を点滴で静脈に注入するというもの。3か月後、乳酸の点滴を受けなかった人と比較すると、認知機能が大きく回復したという結果が出ています。
普段の生活で点滴を受けることは難しいですが、今後テクノロジーが発達し、たとえば寝ている間に乳酸を身体に入れられるようになれば、疲れた日は「今夜は乳酸で疲労回復しよう」そんな日がやってくるかもしれません。

健康運動科学の分野に興味がある人へ
人の生活に関わるさまざまな事象を
科学的に実証していく普遍的な学問領域

健康は、世界中どこでも人の幸せに直結しているテーマです。この大きなテーマに関われるのが、健康運動科学分野の一番の魅力だと思います。私は、運動と栄養を軸に人々が健康を維持するためのあらゆる方法を模索してきました。今後はそれを社会に実装していくフェーズに入ってきたと考えています。大学のある滋賀県を中心に、健康教室の開催、介護の現場とのコラボなど、さまざまな形で地域の方々の健康寿命を延ばすサポートをし、幸せな世の中にしていきたいと考えています。そこに若い学生たちが関わって、次の世代に繋いでもらえるとさらに良いなと期待しているところです。

スポーツ健康科学は、人の生活に関わるさまざまな事象を、スポーツや健康をキーワードに、科学的に実証していくという普遍的な学問領域です。大学内では文系学部との位置づけで、学費も文系水準ですが、たとえば私の研究室では、生体の変化を見るため、動物実験、細胞実験を行ってその分子メカニズムを検証したり、人を対象に臨床実験を行ったり、医学寄りのアプローチを行うこともできます。食を機能面から追求することもできます。カフェイン摂取によって短距離走の記録が短縮されることを発見し、そのメカニズム解明に取り組もうとしている学生もいます。文系・理系の枠にこだわることなく、幅広い興味に応えることができる学部だと思います。

PROFILE

橋本 健志 教授

京都大学人間・環境学研究科博士後期課程修了。カリフォルニア大学バークレー運動生理学研究室ポストドクトラルフェロー、兵庫県立大学大学院生命理科学研究科特任助教などを経て、2010年立命館大学スポーツ健康科学部スポーツ健康科学科准教授、2017年より現職。競技力向上や健康増進に有効な運動・栄養処方の開発に向け、細胞からヒトまでを往還しながら統合的に研究している。

先生のおすすめカルチャー

  • 漫画

    『ドラゴンボール』

    強くなるために筋トレする主人公。その筋肉に注目してしまいます。

  • 博物館

    福井県立恐竜博物館

    ティラノサウルスの筋肉復元模型があり、恐竜の筋肉のつき方に興味を持ちました。