Ⅳ.高齢者の健康増進と生き甲斐の追求

高齢者社会を豊かにする視覚3C創成プロジェクト ~細胞(Cell)・回路(Circuit)・認知(Cognition)~

プロジェクトリーダー
薬学部創薬科学科 小池 千恵子 教授 (写真 右中)
グループリーダー

再生医療による自然な視覚再生に役立つ
網膜評価系と補完ツールを開発する

プロジェクト概要

真の視覚再生時代の到来を見据え
自然な視覚再生獲得を阻む課題の解決に取り組む

2020 年10月、神戸アイセンター病院において世界で初めてiPS 細胞由来の再生網膜を用いた臨床移植が行われました。失明患者さんにおいて、多少なりともものの形を判別可能となれば、生活の質が大きく変わることが期待されていますが、いずれはより自然な視覚の再獲得が期待される可能性が高いものと予想されます。本研究プロジェクトでは、患者一人ひとりに対するオーダーメイド治療が当たり前になる、そんな「真の視覚再生時代」の到来を願い、自然な視覚の再獲得に貢献することを目的として、「再生網膜の定量的評価系の構築」と「多感覚知覚による視覚補完ツールの開発」に取り組んでいます。

たとえ再生医療による視覚再生技術が確立されたとしても、それを多くの人が享受できるものにするには、まだいくつもの課題が残されています。例えば、有効な網膜シミュレーターがないこともその一つです。一人ひとりに最適な再生網膜を高効率に実現するには、シミュレーションによる予測が不可欠ですが、世界中、まだどの研究グループも構築に成功していません。一方で、ヒトは視覚だけでなく聴覚や触覚、味覚など多様な感覚系認知機能を複合して見るモノを認識(視認知)しており、網膜が正常であれば自然な視覚を取り戻せるというものでもないことが知られています。さらに言えば、視覚以外の感覚も合わせて外界刺激を受けることで、本来の視覚を取り戻せるものと考えられます。そのため再生医療においても、「多感覚知覚」を考慮に入れた視覚補完ツールがより自然な視覚再獲得に貢献するものと考えられます。本研究プロジェクトではこの2 点の解決にフォーカスします。

「細胞」「回路」「認知」の三階層でアプローチ
網膜の機能とメカニズムの解明に挑む

網膜内の電気生理応答を
パッチクランプ法により解析

本研究プロジェクトでは、「細胞(Cell)」、「網膜回路(Circuit)」、「視認知科学(Cognition)」という階層別に三つのグループを形成し、研究に取り組みます。まず「細胞」に焦点を当てる白壁グループでは、数多くの細胞が複雑な回路を形成する網膜組織の機能を細胞レベルで解き明かそうとしています。第一に着目するのが、視機能解析に有用な種から高品質なiPS 細胞を樹立し、3 次元網膜を作製。多角的な解析を行うことにより得られたデータから、網膜機能評価系構築の基盤とします。第二に注目するのが細胞間の相互作用に重要な役割を果たす細胞膜タンパク質の切断プロセス「シェディング」や、死細胞を食べて除去する「貪食」の分子機構です。膜タンパク質はiPS 細胞から3 次元網膜を形成する際にも細胞の生死・運動・分化に寄与すると予測されることから、そのメカニズムを解析して網膜における細胞間コミュニケーションを正しく理解し、制御技術の構築に役立てます。これらの実験系データを元に、再生網膜の機能を評価するための細胞数理モデルの構築に挑戦します。細胞の電気生理学的解析によって得た情報を利用して、細胞膜イオン電流の成分から細胞の成熟度を評価する手法の確立を目指します。

次に北野グループは、「回路」レベルでその機能や機構の解明に取り組みます。一つは、正常な網膜の動作原理と病変時の動態を突き止めることです。網膜は視覚情報処理に最適化されたと考えられる固有の動的特性を有しており、病変時にも、正常時とは違った固有のダイナミクスを示します。これまでの研究で、正常・病態それぞれにおいて重要な回路システムとその変動の特徴を顕在化させることに成功しています。この知見を活かすとともに、さまざまな手法を用いたマルチ神経活動計測によって網膜の時空間動態を計測し、正常な動作原理と病態の両方を明らかにします。二つ目には、網膜から視覚皮質への情報伝達について検討します。網膜で処理された視覚情報は、視覚皮質の始まりである第一次視覚野で処理されてから視認知されます。この網膜から視覚皮質への出力応答を計測し、網膜の最適出力の様式を解明します。将来的には再生網膜を移植した際、視神経の接続における情報処理の予測にこの成果を役立てたいと考えています。さらに三つ目として、それぞれの研究で得られた実測データを活用し、網膜情報処理機能を定量的に評価するための数理網膜回路モデルの構築に挑みます。再生網膜の機能が正常網膜と同等かを評価・検証するには、その設計図として網膜回路モデルが必要ですが、いまだ世界で誰も実現していません。数理モデルができれば、網膜が環境変化に適応するための因子を予測することも可能になると期待されます。

最後に和田グループは、「認知」レベルにおいて二つのアプローチから研究を行います。一つは、「視覚機能検査」の開発です。脳には眼から得た情報を取捨選択したり、加工・補正する働きがあります。日常的に私たちは「盲点」という視細胞が存在しない箇所の視野を他の情報によって充填しています。網膜変性疾患による視野の欠損部位でも、脳の可塑性によってこの盲点と同様に充填が生じて視野の欠損に気づきにくい可能性があります。これを検証するとともに、錯視現象に関する研究知見などを活用し、これまでにないパラダイムの視覚機能検査の開発を進めます。二つ目には、多感覚知覚を応用した網膜移植後の視機能再生に役立つリハビリテーションツールの開発です。先に述べたように、ヒトは視覚だけでなく多様な感覚系認知機能を複合して視力を維持しています。こうした感覚補完を行う多感覚知覚を探索し、それを応用して感覚補完ツールの開発に取り組みます。

網膜再生技術の向上を通じて高齢社会の健康増進と生きがいの追求に貢献する

本研究プロジェクトの特長は、システム視覚科学研究センター等を通じて約10 年に渡り、情報系や理工系、生物系、心理系の研究者が参画し、異分野融合の確固たる研究体制を築いているところ。実験を中心とした実証研究とともに、数理モデルによる機構解析と理論構築の両輪で研究を進めるところが他にはない強みとなっています。

また研究に留まらず、再生医療領域、眼下領域における若手研究者の育成にも力を注いでいます。眼科領域における再生医療の研究開発と事業化に取り組む株式会社ビジョンケアと連携。若手人材をインターンとして同社に派遣するなど、研究と人材の交流を通じて将来の再生医療、眼科領域の発展に寄与する人材を育成・輩出することも重視しています。

ヒトは外界から得る感覚情報の実に80%以上を視覚に頼っており、視覚の疾患・障害は「生活の質(QOL)」の著しい低下をもたらします。高齢化が進むほど眼疾患の罹患率も上昇し、それによる社会的損失は多方面で甚大かつ深刻になっていきます。網膜再生技術の向上は、それを食い止める重要な一手になる。そう信じ、これからの再生医療の進展を支え、豊かな高齢社会の実現の一助となりたいと考えています。

研究期間

2021年度〜2025年度(予定)

本プロジェクト構成

本研究プロジェクトが目指す成果イメージ図