Voices for future leaders修了生紹介

8期生

倉橋 直樹

倉橋 直樹Kurahashi Naoki

ウチダスペクトラム株式会社
カスタマーサービスオフィス
取締役執行役員

立命館西園寺塾を通じてのご自身の変化や成長について

立命館西園寺塾のプログラムの目的に「天から与えられた本分を全うする生き方の探究」とありました。当時はあまりに高尚すぎて全くピンとこなかった言葉でしたが、振り返れば「その言葉は、西園寺塾そのものだった」と感じています。大きく捉えれば「自分と向き合う時間」であり、教えられるというよりは「自分で気づく」場所でした。それは、初回の中島隆博先生の衝撃的な講義で強く感じることができました。年齢も50代半ばとなり、参加者の中でも上の方でしたので当初は今更という感じも否めなくもなかったのですが、自分と向き合う時間だと思えば、むしろもっと歳をとってからでも気づきはあったと思います。その後も、指定文献を読み、レポートを書くという繰り返しのなかで何度となく自分と向き合うことになりました。かなり難解な本もありましたが、「なぜ今自分はこの本を読んでいるのだろう」という素朴な疑問から、「きっと何かあるはず」という確信めいたものに変わっていくのが少し楽しく感じるようになったことを覚えています。

特に印象に残っている講義・フィールドワーク・出来事はどのようなことでしょうか。また、その理由についてお教えください。

  1. 山下範久先生の講義
    西園寺塾の多くの指定文献の中でも最も印象に残った『怒りの時代 ―世界を覆い続ける憤怒の近現代史』(パンカジ・ミシュラ著)、そのインパクトは強烈でした。この本は、脈々と続く怒りの連鎖、それは終わることがないということをうんざりする程、伝えてくれました。山下先生は「怒り」とは「尊厳の格差」から生じるということ、その怒りがなくなることはないこと、そしてだからこそ「声を聴く」ことの重要性を私のレポートへのコメントとしてくださり、とても感謝しています。この講義以降、私は全ての講義に「怒り」を対比させて捉えることになりました。「怒り」は、この塾の裏テーマにでもなっていたのではないか?というのが私の推察です。リーダーの質は、終わることなく生まれ続ける「怒り」を収めるのではなく、どのように扱うのかで決まってくるのだというのが私の気づきでした。
  2. 安田洋祐先生の講義

    当初予定されていた「資本主義と貨幣の未来」が受講者からの評価が非常に高く、続編の「資本主義と民主主義の未来」を別日で開催いただきました。豊富な知識を丁寧に説明いただき、私の受講メモが最も多かった講義です。独裁政治に傾きたいと思うことはないですが、これに自由経済を組み合わせた中国の急激な成長は紛れもない事実です。それを際立たせるかのように、もはや超富裕層が富の大きさを競っているだけで、格差は広がるばかりの資本主義と自由経済という事実もあります。この組み合わせはもはや限界なのでしょうか?2回と言わず、3回、4回と受講したい内容でした。また、安田先生の優しい語り口に反して、研究者故の知識に対する前向き(いや貪欲?)な姿勢も非常に好感が持てました。

  3. 堂目卓生先生の講義

    指定文献は堂目先生の著書『アダム・スミスー「道徳感情論」と「国富論」の世界』でした。正直に言えばお堅いイメージしかなく、あまり興味がそそられるタイトルではなかったのですが、読み始めた途端一気に読破してしまいました。そして当日の講義のタイトルは「目指すべき社会を考える」。我々が何をすべきかを問う時間は、中学生・高校生に戻った時間にも感じられ、グループでの会話も楽しい時間となりました。最後にアンリ・ベリクソンの名とともに、1枚のスライドを説明いただいたのですが、そこに記載されていた「美」という言葉がとても印象に残っています。多様性を受け入れるという心と「美」は、いきなり直線では結ばれないかもしれませんが、とても近い所にあると感じました。スミスの言葉に戻るならば、私は「心の平静」をこの言葉に感じたような気がしました。全講義を通じて、「受講前後で自分の意識がここまで変化するものか」と驚くことになった非常に貴重な時間でした。

今後の夢や目標を教えてください。

当社は今年で30期目を迎えます。私は設立当初から参画しており、小さいながらも組織のリーダーとして立ち回っています。そして最近は、そろそろ若手の育成が気になりだしているところでした。

一つのモデルを構築して評価されるまでには数年かかり、なかには10年程の歳月を要することもあったというのが理由です。人・組織を率いていくのは難しいことです。組織には「ヒト・モノ・カネ」が流れ、そして「情報」と「感情」が流れるといいます。マネジメントを難しくしているのは、この「感情」の流れではないでしょうか。西園寺塾でのテーマは、文化・科学・経済・国際情勢・宗教・思想等々多岐に渡りましたが、全てに何等かの形で「感情」が作用していたように思えます。アイディアや、きっかけがあったとして私の後輩たちはこの「感情」にきちんと向き合うことができるのであろうか?西園寺塾での経験がこの疑問に気づかせ、思いを強くしてくれました。これを伝えるには私も最後まで走る必要があるのでしょう。これからもどんどん企画し、人・組織を巻き込み、そこで生まれる「感情」にきちんと対処するところを見せつけていく必要があるのだろうと思いました。今なら「負」の感情に君臨する「怒り」に対しても、収めてもなくなることはないということ、むしろ利用するくらいまでこちらの意識を高めておく必要があることを自信もって言えると思います。

未来の西園寺塾 塾生にメッセージをお願いします。

指定文献の量に恐らく面食らうのだろうと思いますが、そのうちの一つであった『禁断の市場 フラクタルでみるリスクとリターン』(ベノワ・B・マンデルブロ、リチャード・L・ハドソン共著)について挙げておきたいと思います。内容は非常に難解でしたが、随所に著者の人柄が垣間見える記述があり読み応えがありました。その本の一節に「一つの出来事があると、それがどんなに遠くでおきたものであっても、どんなに昔のことであっても、それはその後に起きる全ての出来事に影響を及ぼす」というのがあり、大変感銘を受けました。もともと世の中には偶然などなく、必然しかないと若い時からなんとなく感じていた自分からすると、稀代の数学者であり且つ経済学者である著者が同じことを感じていたのかと思えただけで、「ですよねぇ!」と思わずニヤケたことを覚えています。今でもこのことを書くくらいですからよほど嬉しかったのでしょう。そんな私から見れば、皆さんが西園寺塾へ参加されることになったのも必然なのだと思えます。そして、それはきっと皆さんが「その後に起きる全ての出来事に影響を及ぼす」体験を得られることだとも思えるのです。