SPECIAL CONTENTS #1 岡本先生を語る

岡本先生とともに「立命館大学 国際社会で活躍する人材養成特別プログラム」を
牽引してこられた宮家邦彦 立命館大学客員教授、
岡本先生を本学客員教授として招聘された長田豊臣 学校法人立命館名誉顧問に
立命館での岡本先生との日々、これからのプログラムについてお話しいただきました。

  • 長田 豊臣
    学校法人立命館 名誉顧問
  • 宮家 邦彦
    立命館大学
    客員教授、
    内閣官房参与、
    キヤノングローバル
    戦略研究所研究主幹
  • [司会]
    薬師寺 公夫
    立命館大学
    法務研究科教授
(肩書きは座談会を実施した2020年10月時点/敬称略)

立命館大学で教育に情熱を傾けられた20年間

薬師寺本日は岡本先生とは深いご縁がおありのお二方にお集まりいただきました。短い時間ではありますが、岡本行夫先生との思い出を語っていただければと思います。

長田岡本先生とは、アメリカンフットボールがご縁で出会いました。私が学校法人立命館副総長だった1998年、当時の理事長から立命館大学アメリカンフットボール部パンサーズがいま一つ元気がないので、活を入れるつもりで部長就任をと依頼されました。私が部長に就任したのが功を奏したかどうかは別に、その年に、パンサーズは2回目となる学生日本一に輝きました。一方、岡本先生はアメリカのNFL(ナショナル・フットボール・リーグ)会長と親交があり、日本のアメリカンフットボールの振興にご尽力されていました。ある時、アメリカンフットボール関係者が集まるパーティーに招かれ、同じく出席していた岡本先生と知り合うことになったのが、最初の出会いでした。有名なクォーターバックの選手だったペイトン・マニングと一緒に夕食をとる機会に恵まれ、そのときにもらったマニングのサインをアメフト部のコーチだった古橋君にあげたのを記憶しています。1999年1月から学校法人立命館総長に着任し、そのようなご縁から、2002年9月より岡本先生を本学の客員教授としてお招きすることになりました。

薬師寺私は、2004年から立命館アジア太平洋大学(APU)の副学長として別府に赴任しましたが、2005年に帰任して2年間、学校法人立命館副総長を拝命しました。その時期に「国際社会で活躍する人材養成特別プログラム」を立ち上げるにあたって岡本先生を客員教授としてお迎えするべく、当時小泉政権の内閣総理大臣補佐官だった先生のもとにお願いにおうかがいしたのが、岡本先生との最初の出会いでした。首相補佐官の部屋でご依頼のお話をさせていただいたのは、20分ほどだったと記憶しています。「先生は俳優の高倉健さんのような印象を受けます」と思わず言ってしまって、大変失礼しました。「新しいプログラムをつくるのにぜひ力をお貸しください」とお願いしました。

長田岡本先生が客員教授に着任されてからは、お会いする機会があるたびに「君が立命館の理事長をしている間は僕も客員教授として続けるよ」と仰っていました。立命館大学客員教授としてお越しいただいた当初は、本学の国際関係学研究科で国際情勢に関する講演会などをご担当されていましたが、2005年度より、全学部生を対象とする本プログラムを担ってくださり、私が2017年に学校法人立命館の理事長を退任した後も、客員教授として本プログラムへの指導を続けていただきました。結局、約20年間もの長きに渡り、本学の教育に深く関わり続けてくださったことになります。

薬師寺2005年、岡本先生が中心となって「立命館大学 国際社会で活躍する人材養成特別プログラム(オナーズ・プログラム)」を立ち上げた翌年、宮家先生が本学の客員教授に就任され、岡本先生と共に今日までプログラムをけん引してこられました。

宮家「大学の客員教授として教育に携わってみないか」と、外務省時代の先輩でいらした岡本さんからお話をいただいたのは、2005年でした。私は、外務省を退職したばかりだったこともあり、その場で「ぜひやらせてください」とお答えしました。しばらくして紹介されたのが立命館大学でした。
私が立命館大学の客員教授として迎え入れられ、新しいプログラムでどのような教育を実施するかを大学や岡本さんと話し合った結果、私がかねてから取り組んできたグローバル・シミュレーション・ゲーミング(GSG)を教えることになりました。GSGとは、国際社会で起こる様々な諸問題について、参加者が国や国際機関などをロールプレイする取り組みです。このゲームを通じて、実際の外交交渉の現実を体感し、知的運動神経、論理的に意見を主張する能力、国際問題についての知識などを獲得することを目指しています。「GSGをするには、大学の1コマ(1時間半)の講義時間ではとても足りないため、6時間の連続講義にしていただけませんか」という私の無理なお願いも快く受け入れていただき、それ以降、毎年8回の講座を開講してきました。私を信頼してGSGを任せてくださったあの時から今日に至るまで、岡本さん、そして立命館大学には本当に大事にしていただきました。今も深く感謝しております。
あれから十数年の間にGSGも徐々に進化を遂げ、私なりに教えることがますます面白くなってきた矢先に、今回の岡本さんの訃報に接することになりました。

薬師寺突然のことで、私も大変驚きましたが、宮家先生はどのような形で岡本先生の訃報をお知りになったのですか。

宮家夜11時頃、ニュースで第一報を聞いた知人からの電話で知りました。あまりに突然で、最初は信じられませんでした。本当にショックでなりません。実は数年前から、岡本さんはご多忙のあまり、「客員教授を退きたいと思っている」と口にされるようになりました。私は「私を立命館大学に連れてこられた岡本さんがお辞めになるなら、私も一緒に辞めさせていただきます」と岡本さんを引き留め、大学も慰留するのがここ数年の恒例になっていました。コロナ禍で移動が制限されるようになる前の2020年2月、久しぶりに岡本さんのオフィスを訪ね、「今年度のプログラムでの役割分担を決めましょう」とお話しさせていただいたのが、結果的に岡本さんとの最後の会話になってしまいました。

長田私も岡本先生の訃報はあまりに突然すぎて、いまだに信じられません。

PREV

1/4

NEXT