授業レポート#01

近現代文学に描かれる
「京都」を読む

文学を通して人間の営みを知り、
現実に対峙する力を育む

文学と社会

夏目漱石、川端康成、森鷗外、村上春樹など日本を代表する近現代文学の作家たちが京都を舞台にした作品を書いてきました。「文学と社会」ではそうした作品を読み解き、そのおもしろさを知るとともに、作家が生きた時代社会や他の作家・作品との関係についても考察します。目標は、作品の読解を通じて「想像力」を豊かに膨らませ、「考える力」を育むこと。それが、現実社会を生き抜き、将来を切り開いていくうえで、大きなエネルギーになります。

近現代文学は「京都」を
どのように描いたのか?
作品を読み解き、その主題に迫る。

たいていの家は、軒端と二階とに、皮をむき、洗いみがきあげた、杉丸太を、一列にならべて、ほしている。その白い丸太を、きちょうめんに、根もとをととのえて、ならべて立てている。それだけでも、美しい。どのような壁よりも、美しいかもしれない。杉山も、根もと下草が枯れて、真直ぐな、そして、太さのそろった幹は、美しい。少しまだらな幹のあいだからは、空がのぞけるところもある。

川端康成著『古都』新潮社、1962年

川端康成の小説『古都』、全9章の最終章「冬の花」の一節です。「材木用の北山杉の丸太を並べて干している様子を表した非常に優れた描写です。この短い文章の中に3度も『美しい』という言葉が登場することに気づきましたか? この『美しい』にこそ、川端が表現したかった意図が潜んでいると思います」。

「文学と社会」の授業で教壇に立つ瀧本和成教授は、そう解説しました。この授業の2019年度のテーマは「京都」。森鷗外の著作『高瀬舟』、夏目漱石の『虞美人草』や『門』、志賀直哉の代表作『暗夜行路』、梶井基次郎『檸檬』、谷崎潤一郎『細雪』、三島由紀夫『金閣寺』、村上春樹『ノルウェイの森』など、「京都」は近現代文学において数々の名作の舞台になってきました。授業では、こうした作品を読解しながら、作家が生きた時代社会や作品との関係を考えていきます。

映画・ドラマの『古都』

川端康成の小説『古都』はこれまで何度も映画化、テレビドラマ化されてきました。「残念ながら、原作を超える作品は登場していません」としながらも瀧本教授のお勧めは、市川崑が監督し、山口百恵と三浦友和が主演を務めた1980年の映画「古都」。1970年代の京都の街並みや風物を映像で見ることができる貴重な作品となっています。

第12回の授業では、日本近現代文学を代表する作家の一人である川端康成と、京都を舞台にした彼の作品『古都』を丹念に読み解きながら、作品の中で「京都」がどのように描かれているのかを探りました。

大阪府に生まれ、OICのある茨木市で育った川端康成。1968年、日本人初のノーベル文学賞を授与され、ストックホルムで行った受賞記念講演「美しい日本の私」でも語っているように、川端にとって「美しさ」は極めて重要なテーマでした。

「『古都』はそんな川端が真正面から『京都』を描いた作品です」と瀧本教授。『古都』は、春夏秋冬の四季で構成されており、双子の姉妹を主人公にした物語には京都のさまざまな名所や伝統行事が描かれます。「その意味でこの小説は、京都の『名所風俗図絵』、『年中行事絵巻』とも言えるものです」と解説しました。

続けて瀧本教授は、「この本は『京都案内』というだけに留まりません。登場人物が京都を見る視線に注目すると、新たな側面が見えてきます」と川端の別の企みを指摘します。川端が実に繊細に描き出すのは、中世から続く伝統的なお店、祭りや行事など「失われつつある京都」です。作品が書かれたのは、日本が高度経済成長期を迎えようとしていた1960年代。川端は、京都が変わっていく様を目の当たりにし、それを捉えようとしたのではないかと言います。「そして川端は、まさにこの『変わりゆく京都』にこそ、『美』を感じていたのではないでしょうか。桜の散り際のように、まさに崩れようとする瞬間、醜く変質する刹那が最も美しい。川端はそこに美が存在すると考えていたのです」。

瀧本教授はこのように作品の中に潜む新たな視点に光を当て、学生が見ているようで見ていない世界を垣間見せます。「そうした未知の世界を知った時の驚きや感動を学生に体感してほしい」と瀧本教授は作品鑑賞の意図を語ります。

夏目漱石の描いた「淋しい」と
川端康成の描いた「美しい」
二つの作品に見る共通点。

授業では、一人の作家を深く掘り下げるだけでなく、他の作家や作品との関連にも焦点を当てます。瀧本教授は第3、4回の授業で、夏目漱石と川端康成の興味深い共通点についても説明しました。

夏目漱石も『虞美人草』『門』といった小説や随筆『京に着ける夕』で「京都」を描いています。

京は淋しい所である。[中略]此淋しい京を、春寒の宵に、疾く走る汽車から会釈なく振り落された余は、淋しいながら、寒いながら通らねばならぬ。

夏目漱石「京に着ける夕」大阪朝日新聞、1907年

「『京に着ける夕』の一節を読んでもわかるように、この随筆には『淋しい』『寒い』という言葉が繰り返し登場します」と指摘した瀧本教授。すなわち漱石は「京都」を「淋しい」「寒い」ところだと感じているといいます。

なぜ、漱石は京都を「淋しい」ところだと感じたのでしょうか? それはかつて一緒に京都を旅した友・正岡子規が亡くなったことを思い出し、孤独感に襲われたからだといいます。子規は漱石にとって文芸観や生き方を受け止め、理解してくれた唯一の友でした。そうしたかけがえのない友を失った喪失感が「淋しい」という言葉で表現されているのです。

また瀧本教授は、この「淋しさ」が「東京」の「熱さ」や「烈しさ」と比較して表現されていることにも注目します。この随筆が書かれた明治期、日本は近代化の道を歩もうとしていました。「東京」はその象徴です。そうした時代に近代人の背負わなければならない宿命的な「淋しさ」も漱石は表現しているのです。

「さらにこの変わりゆく日本に感じる『淋しさ』は、川端の描いた『美しさ』と共通するところがあります」と瀧本教授は読み解きます。「こうした当時の近代人が感じた『淋しさ』『美しさ』は、現代を生きる君たちにも共感するところはないでしょうか?」と瀧本教授は学生に問いかけます。

夏目漱石
東京を拠点とした夏目漱石の覚悟

夏目漱石はその生涯で4度、京都を訪れています。1892(明治25)年7月8日~10と8月29日~30日、1907(明治40)年3月28日~4月11日、1909(明治42)年10月19日~20日、1915(大正4)年3月19日~4月16日です。漱石は「京都はいゝ所に違いない」としながらも東京に住むことにこだわりました。「新たに到来した近代社会を見定めようとする漱石の覚悟が、『東京』で生活することと重ね合わされている」と瀧本教授は分析します。

作品鑑賞を通して養う
考える力、想像する力。
それが現実を生き抜く
エネルギーになる。

「文学作品の読解を通じてこれまで疑ったことのない問題、正解がない問題を学生に問いかけたい」と瀧本教授。「例えば生きるとはどういうことか? あるいは、君たちは本当に生きていると証明できるか? 学生たちに考えてほしいと思っています」と言います。

文学作品は「生きるとはどういうことか」といった人間にとって普遍的な問題を数多く扱ってきました。「物語は、いわば夢の世界。それを紐解くと、人間の存在や現実が見えてきます」と瀧本教授は言います。

現実では、夢や理想通りに生きられないものです。学生たちも大学に入学し、さらに今後社会に出てからも「生きがたい」と感じることがたくさんあるでしょう。現実の不自由さを認識した時、人は初めて「自由はどこにあるのか」と考えます。「それは想像力の中にあります」と瀧本教授。想像力が最も純粋な形で結実したのが、文学や音楽などの芸術作品です。

「人は不自由な中でも想像力を発揮することで自由を獲得できます。文学だけでなく、芸術作品に触れることが、不自由な現実を生き抜く力になります。だからこそ文学作品の鑑賞を通して考える力、想像する力を養ってほしい。それがいつか現実世界で壁にぶつかった時、それを乗り越えるエネルギーになるのです」と瀧本教授は語ります。文学や芸術を通して人間の営みを知り、現実に対峙する力を育む。そこにこそ「文学と社会」の授業の意義があります。

文学と社会 SHOWCASE
『門』 夏目 漱石

夏目 漱石
『門』

岩波文庫

宗助と御米は、東京で一緒に暮らすようになってから6年経つが、一度もけんかをしたことがない程仲の好い理想的な夫婦だが、実は二人には暗い過去があった。その二人が初めて出逢う場所が〈京都〉である。物語は、二人の現在と過去が交錯する形で進行して行く。近代人の「淋しさ」の位相が描出された秀作。

『山椒大夫・高瀬舟 他四篇』 森 鷗外

森 鷗外
『山椒大夫・高瀬舟 他四篇』

岩波文庫

「高瀬舟」は、〈京都〉高瀬川を舞台に繰り広げられる物語である。江戸寛政期、京都町奉行所同心羽田庄兵衛は、実弟殺しの罪人喜助の護送を命じられる。喜助の表情は他の罪人たちと違い、その姿は晴れやかで目は輝き、楽しそうにさえ見える。不思議に思った庄兵衛がその仔細を尋ねる。川を下る舟の低い視線を通して見えてきたものとは? 近代歴史小説の名作。

『暗夜行路』〈前・後篇〉 志賀 直哉

志賀 直哉
『暗夜行路』〈前・後篇〉

岩波文庫

主人公時任謙作は、東京で生まれ育った。物語冒頭は、主に謙作の複雑な生い立ちが語られて行く。自らの出自の真相を知った謙作は、そこから逃げるように〈京都〉にやって来る。京都での生活は謙作にどのような変化を齎したか。血縁関係や当時の家(長)制度を中心に環境と遺伝の問題が自我の覚醒と絡めて描かれた近代文学を代表する大作。

『雁の寺・越前竹人形』 水上 勉

水上 勉
『雁の寺・越前竹人形』

新潮文庫

〈京都〉にある塔頭孤峯庵住職北見慈海は、かつて画家南獄の愛人だった里子を囲っている。同じ寺内に暮らすなか里子は小僧慈念の無表情な冷たさを不気味に感じるが、捨て子で孤独な身の上に同情もする。そんなある日慈海の姿が消える。慈念の激しい憎悪と残忍な殺意を描いた労作。

『檸檬』 梶井 基次郎

梶井 基次郎
『檸檬』

新潮文庫

「えたいの知れない不吉な塊」を胸に抱いた青年が、〈京都〉二条通寺町の八百屋で買った一顆のレモンで、なんとなく幸せな気分になり、日頃重苦しく迫る丸善の美術書の上にレモンをおき、そのレモンが爆発するのを空想しながら立ち去る物語。青春の倦怠、彷徨をテーマに詩情あふれる筆致で描いた珠玉の佳編。

『ノルウェイの森』 村上 春樹

村上 春樹
『ノルウェイの森』

講談社文庫

渡辺と直子、キズキは、神戸の高校に通う同級生。卒業間近のある日キズキは自ら命を断つ。その後渡辺と直子は、東京の大学に進学するが、直子が、精神的な病に苦しみ、療養を余儀なくされ、〈京都〉にある療養所に入る。神戸、東京、京都を舞台に物語は回想形式を織り込みながら、現在と過去を往還する。近(現)代屈指の100%恋愛小説。

村上春樹と夏目漱石の
共通点と独自性。
作品の舞台を訪れて深堀りする。

授業では、現代作家も取り上げます。毎年のようにノーベル賞候補にその名前が挙がる村上春樹もその一人です。

「ベストセラーになった彼の作品『ノルウェイの森』で、村上春樹も漱石と同様に京都と東京を比較して描いています。主人公が大学生活を送る東京と、高校時代に死んだ親友の恋人が心を病んで療養し、やがて死を選ぶ場所である京都。その対比は漱石の『熱さ』と『淋しさ』の対比に共通するものがあります」と瀧本教授。講義ではこうした他作品との共通点とともに村上春樹作品の独自性も照射します。

その他にもユニークな視点で作家・作品と京都とのつながりが紹介されます。中原中也は、立命館中学校(現・立命館高等学校)の編入生であり、京都はもとより立命館ともゆかりの深い作家です。授業では多感な10代を過ごした中原中也の京都での足跡を追いながら、作品を読み解いていきます。

立命館大学に入学(中退)した水上 勉が西陣の花街「五番町」を描いた小説『五番町夕霧楼』には現代の京都を彷彿させるシーンがいくつも登場します。「作品の舞台に赴き、幾つもの時代を重ねて追体験することができるのも、京都の魅力です」と瀧本教授。川端康成が『古都』を執筆し、夏目漱石も宿泊した老舗旅館の柊家や森鷗外が泊まった俵屋旅館など、京都には作品が描かれた当時の面影が残る場所が随所にあります。作品の舞台を訪れ、想像力を働かせてみると、いっそう深く作品を読み解くことができると言います。

川端康成
川端康成と柊家

鎌倉に自宅があった川端康成は、京都の柊家に泊まり、『古都』を執筆しました。途中、柊家の改修工事のために岡崎の一軒家に移った後も、柊家の仲居が常駐し、食事や家事を受け持ったといいます。旅館には川端が柊家について書いた寄稿文が残されています。「柊家の良さ、すなわち京都の良さを称えた名文です」と瀧本教授は言います。

高瀬舟
森鴎外『高瀬舟』が描く階級格差

『高瀬舟』に描かれる高瀬川の源流は、明治時代、二条木屋町にあった豪商・角倉了以の別荘で、当時は元老の山形有朋が所有していた第二無鄰菴の敷地内にあります。物語の中で主人公を乗せた舟は高瀬川を南下し、伏見方面に下っていきます。そこは当時の最下層の人々の住処。高瀬川の源流(上流)の財力・権力と、下流の貧困・悲哀が象徴的に描かれています。

文学作品の「言葉」は多義的です。読む人によって多種多様な解釈があり、正解はありません。「こんな匿されたテーマがあったのか!」「こういう読み解き方もできるんだ!」……。想像力を駆使して一人ひとりが自分なりに意味を解き明かす。そんな読解のおもしろさを体験しながら、人生を生き抜いていく力を養う。それが「文学と社会」です。