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2017年度 立命館西園寺塾 10月14日講義「文化力―日本の底力」を実施
2017年10月14日(土)
・13:00~15:00 講義
講師:静岡県知事
川勝 平太
・15:15~17:00 ディスカッション
【指定文献】
『文化力―日本の底力』川勝平太【著】ウェッジ
『「鎖国」と資本主義』川勝平太【著】藤原書店
『鉄砲を捨てた日本人―日本史に学ぶ軍縮』
ノエル ペリン【著】 川勝 平太【訳】中央公論社
▼受講した塾生のレポート(M.U.さん)▼
現職の静岡県知事でもあり、高名な学者でもいらっしゃる川勝先生の講義は、地方都市の首長としての視点から、交通・教育・地方分権・後継者の考え方、そこから癌免疫療法であるオプジーボまで話が広がったかと思うと、そこに留まらず首都移転・4州制、そして学者としての視点で歴史をふりかえったうえで、これからの日本の目指すべき姿をご示唆いただくなど非常に多岐にわたった分野についてご教示いただいた。
そのなかで「振り返ること」が「未来をみること」と、一見矛盾するテーマをご提示いただいたうえで、「モノ」を例示されながらこれまでの日本の歴史を対比させて未来の目指すべき姿を示していただいた。具体的には奈良時代は朝鮮半島を経由した大陸文化を取り込み、いれきった時代であり、平安時代はその大陸文化から離れ、国風文化を醸成した時代。鎌倉時代・室町時代は南宋をはじめとして中国文化から南蛮文化まで取り込み、いれきった時代であり、江戸時代は鎖国により国内文化を醸成した時代。それではこれからの時代はどこに向かうべきなのかという課題に対して、明治・大正・昭和は、西洋文化を取り込み、いれきった時代として「東京時代」と位置付け、これからの時代は国内文化を醸成していく時代であるという捉え方である。しかし、それは江戸時代のように内に向かう文化の醸成の仕方ではない。日本式に醸成された文化を世界に発信していく、よりグローバル化を意識された視点であった。その文化は、日本は「和」であり、いろんなものを許す、足していくという寛容の文化であり、「Dreams come true in Japan」(日本に来れば夢がかなう)と言われる国を目指すという一連の流れは非常に腑に落ちた。
私は長野で3年半、現在は中央に近いがやはり地方の顔をもつ神奈川で現在営業を担当している。投資が少ない地方において、その住民のみを消費者とした投資には限界があるし、特に「箱もの」と言われる地方住民で完結する地方自治体の投資は必ず税金の無駄遣いという批判を受ける。海外の観光客をいかに呼び込むか、いかに地方を活性化させるかは世界にその土地の文化を示していく、開いていくということに答えがあり、そのための投資をいかにつくり込むかといった地方における営業のヒントをいただいたと思う。
今回の指定文献での木綿や香辛料を媒介とした中世から近世の捉え方もそうであったが、講義では紙を媒介としての宗教革命の話をしていただき、先生の「モノ」を媒介として歴史の出来事をとらえていかれる説明は、学生時代に暗記の題材でしかなかった歴史の出来事を肌感覚でイメージすることができた。講義後帰宅して、受験生でもある息子に、講義の受け売りで「モノ」を媒介とした宗教革命や海洋史観に基づいた中世から近世について話してやった。「とてもわかりやすい」と言ってくれた。父親としての株が少しあがったようだ。
▼受講した塾生のレポート(A.M.さん)▼
第二次世界大戦以前までは軍事政策を中心に国家が形成され、最終的には米国との経済力の格差で敗戦に至った。戦後は経済政策に基軸がおかれ、高度経済成長を実現、20世紀終盤には世界経済を席巻するまでに飛躍した。そして現在では、人口減少、内需停滞により、民族としての成長の限界に直面している。
講義では川勝知事から、国の基礎は「力の体系(軍事政策)」「利益の体系(経済政策)」「価値の体系(文化政策)」の3つの体系で構成される、という理論が紹介された。
経済力と軍事力は国力の両輪であり、両者のバランスが崩れると国としての安定性を失うことは数多の歴史が証明している通りだが、これに文化力も含めて国の基礎と整理する考え方には新鮮な気づきを得た気がした。
文化のなかには、衣・食・住といった見えるものと、言葉や宗教といった見えないものが存在するという議論があった。確かに日本民族にとって、「見えない文化」のなかには「士道」や「和」、「絆」といった言葉で表される、「信義」「道徳」「受容・寛容」の風潮や、「匠」の技として脈々と承継されてきた技術や芸能、民族として永年育み重んじてきた伝統・慣行が存在する。
文化には、国民の心の豊かさを醸成し、国力の両輪である経済力・軍事力とともに、国政の安定化をもたらす。それと同時に、民族文化への魅力・憧れが、諸外国からのインバウンド経済を活性化させるとともに、文化の広がりは経済圏の広がりに繋がり、アウトバウンドの経済政策としても有効となる。
求心力がある文化は遠心力を以って広がり、文明は時空に偏在する、という話もあったが、日本民族が有する文化、特に民族に内在する上述の「見えない文化」には、十分、文明として昇華するだけの魅力と価値があると思う。
元来日本民族は、応用・受容力には長けつつも、多くを語ることを美としない奥ゆかしさを重んじるが故か、交渉・発信力は得意とはしていないように思えるが、2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催という日本文化の魅力を発信する絶好のチャンスを控えた今こそ、改めて国民一人一人が、我が国が育んできた文化の魅力を認識し、自らの言葉と行動により、また積極的に海外に発信していくことを心掛けていくことにより、我が国が誇る「見えない文化」を「見える化」していくことができれば、さらに遠心力を増して、魅力・憧れの広がりに繋げていくことができるのではないかと感じた。
2017年度 立命館西園寺塾 8月5日講義「アメリカ海兵隊の知的機動力」「知的機動力経営」を実施
・13:00~14:45 講義「アメリカ海兵隊の知的機動力」
「知的機動力経営」
講師:一橋大学名誉教授
野中 郁次郎
・14:45~15:35 ディスカッション
・15:35~17:00 発表・まとめ
【指定文献】
『失敗の本質 戦場のリーダーシップ篇』野中郁次郎【著】
『知的機動力の本質 アメリカ海兵隊の組織論的研究』野中郁次郎 他【著】
▼受講した塾生のレポート(K.H.さん)▼
指定文献を読み始める前には、アメリカ海兵隊の存在意義や、第二次世界大戦における日本軍の敗戦原因など、戦争に関する内容かと思いながら読み進めていたが、講義を拝聴してみると、経営論という内容であり、かつ現在我々が企業内において置かれている立場の「ミドル」に関するところは非常に印象深かった。
仕事においては、とかく形式知化することを求められるが、アメリカ海兵隊では暗黙知を重視する現場マネジメントであり、この暗黙知によるマネジメントはアートであるといった視点は非常に斬新だと思った。形式知化は客観的であり継承しやすく、その反面暗黙知は主観的かつ直感的であることから、細かなニュアンス含めて非常に継承が難しい。それでも本田宗一郎氏はこの両方の相互作用をうまく引き出していたという話しを聞き、両立させることから引き出せる情報をうまく活用できることがマネジメントにおいては重要だということを知った。
ディスカッションにおいて、我々のグループでは、トップとフロントを結びつけるにはミドルの役割が最も重要であり、その果たす役割によって組織の融合が生まれるといったことを議論した。いつの世も現場では、「そうは言っても上は現場のことをわかっていない」といった批判は表面化せず、社員の腹でくすぶっていることがよくある。そんな中社員に「理解・納得・行動」させるために、単なる伝書鳩ではなく、トップの思いをいかに現場に納得するまで話しをし、また現場の現状を受け止め、それをトップに理解させるといったトップへの教育もミドルとして果たすことで、このどちらからも共感を呼び、思いを共有できる環境になると強い企業文化を形成できる。ただし、これにはトップが実行に向けた仕組みづくり(what、whyの構築)と、やり方を現場に任せること(howの一任)のバランスが非常に重要であり、これさえできれば組織は回るということを学んだ。これをしっかり回していけるようにする為に、ワイガヤやコンパが役立ち、「小さく、速く、行動しながら微調整を」といったことで、より成果を発揮できるようになる。よく組織を回す際に耳にする「PDCA」サイクルよりも「OODA」を回すことが出来た先に、PDCAがあるということも大変参考になった。
経営においては「二者択一(あれか、これか)」ではなく、「二者両立(あれも、これも)」にシフトできるようになるにはいかにミドルが活躍できる環境を作るか、さらにはそういった人材をいかに育成するかがこれからの時代では大きく問われる。これから自身がミドルとして役割を果たしつつ、普段の忙しさにかまけず、後継者となるミドルの育成をしていくことに時間を割いていくことの大切さを実感した。そういった意味においても、今回の講義は今後の企業人としてどう生きるかを考えるにあたって大いに役立つ内容だった。
▼受講した塾生のレポート(T.S.さん)▼
「主観、五感を大切にする」。私の仕事経験での思いから、昨年から担当している社内意識改革のテーマと、偶然にも一致しており、とても嬉しく、興味深く拝聴した。「人の想い」を置き去りにした仕事が多すぎる、仕事において最も大事にすべき「人」を軽視すれば、絶対良い仕事にならず、よい経営に行きつかないという自分の日々の思いが、今回の講義にとても通じていたと解釈している。自分のアンテナがそこに立っているからかもしれないが、前半の西園寺塾の講義は、必ずと言っていいほど「対話」「共感力」が重要との視点が出てきており、自身の思いを強くしている(ただし、その具体的仕掛け、仕組みには苦慮しているところであるが)。
近年の日本企業において不足しがちな共感力、人間の感性を大事にする経営。経済成熟による拡大発展の厳しさ、人手不足などから、効率のみを追求する方向へ走り続け、成果主義などもうまくいかなかった。忘れてはいけない家族型経営のよいところを今一度学び直すことが必要ではないかと感じる。あるべき論だけではなく、事実として起こっている現象から掘り起こし、修正を加えていく作業。今回紹介のあったいくつかの企業事例も極めて参考になった。野中先生の書籍でさらに勉強してみたい。若い世代に早くこの重要性を伝え、実践の中で体感させていかないと、仕事の仕方がどんどん閉鎖的になってしまう。コミュニケーション不足、縦割り、プレイングマネージャー化によるミドルの疲弊、若手の冷めた態度など自社特有の課題かと思っていたが、今回のグループワークで他企業でも同様な問題を抱えていることを知った。早急に、いやじっくりと、「チームで」よい仕事をする経営文化をつくっていかないといけない。一方で、効率化は徹底的に追求しなければいけない。時間を使うべきこと、緊急ではなくても重要な事項を定め、ミドル同士が話し合って自らの役割を定義づけ、文化を変えるよう行動、実践し、次世代へつなぐことしかないのではないか。動く人間が複数出れば、少しずつ変化することを期待し、動きたい。
今回の講義でいただいたキーワードを反芻し、自分なりに理解した形で社内展開により、できる限り具体的な形に落とすよう実践を試みたい。
・数値だけに意味があるのではない。その背後にあるものを理解し、
次につなげることが必要。
・マネジメントはサイエンスでありアートである。
「あれか?これか?」ではなく、「あれも、これも」、
矛盾の両極にある背後からあぶりだす。
・存在論を問い続けることで、共通善、文脈が共有でき、進化を生みだす。
・ミドルが声を上げろ!現状を否定し知的論争を起こせ!強い企業文化は、
必ず強いミドルがいる。
・アジャイルスクラム開発型、ホンダのワイガヤ
(→チームプロジェクト手法として極めて興味深い、勉強してみたい。)
・PDCAの前にやることがある。See-Thinkを徹底的にやる。
・組織におけるコアスキルを育て、共感できる土台をつくる。
2017年度 立命館西園寺塾 7月29日講義「タケダのグローバル化への挑戦」を実施
2017年7月29日(土)
・13:00~14:30 講義
講師:武田薬品工業株式会社
相談役 長谷川 閑史
・14:45~17:00 ディスカッション
【指定文献】
『マッキンゼーが予測する未来―近未来のビジネスは、4つの力に支配されている』
リチャード・ドッブス 他【著】ダイヤモンド社
▼受講した塾生のレポート(Y.N.さん)▼
まず、長谷川先生の経営者としてのご覚悟に感銘を受けた。日常生活を律することにおかれても、会社の成長の持続に向けても、非常に強いご意思のもとに、「不退転の決意で実行」されてきたのだと感じた。
指定文献を直接参照されることはなかったが、講義でご紹介いただいたタケダの取り組みは、同書で提起している問題に対する、一つのアプローチを示していただいたと理解した。医薬品産業の状況についても丁寧に教えていただいたので、業界動向とタケダと長谷川先生にとっての問題意識をつなげて感じることができた。
医薬品産業の状況についてのご説明のなかで、ここ10年の間にプラットフォーム技術が大きくシフトし、創薬元についても、10年足らずの間に製薬企業以外のプレイヤーが半分以上を占めるようになってきたというお話は、衝撃的だった。『マッキンゼーが予測する未来』にある”テクノロジーの変化のスピードと普及”の実例である。その際に「論理的/批判的な分析/検証/考察に基づき戦略立案」を行い、グローバル化と共にM&A戦略を進められたのは、まさに”直観力のリセット”を行ったということだと思う。Cross BorderのM&Aにおいても、テクノロジーの補完だけではなく新興国という成長市場を意識した買収を実施したことも、”破壊的な力を持つ4つのトレンド”の一つへの対応をとられていたということである。
ディスカッションにおける”直観力のリセット”についての質問に対して、「もがき苦しんで結論を出す」「結論が出てもまた考える」「過去の成功体験ではなく虚心坦懐に見ているかを考える」というお答えをいただいた。それを実践してこられた方のお言葉は、とても説得力があった。
また、製薬業界はグローバルにフラットな業種であり、「千の技術」と言われるほどの様々な技術が開発されている状況を踏まえ、一社で全てに対応するという発想ではなく、自社でできない(やらない)部分は他社で補完するというお話があった。これは、私の携わる業界にも通じる方向性である。
そのなかでご紹介いただいた、バイオテクやアカデミアと認証試験前のコラボレーションを行い、製薬化ビジネスにつなげるというやり方は、技術開発とビジネスの形として、参考になった。
「変化の時代に何も変革しないことが最大のリスクテーキング」を自らの命題ととらえ、「変化に懸命」になろうと思った。
▼受講した塾生のレポート(T.K.さん)▼
前段の講義では、ダーウィンの『⽣物の進化の歴史を⾒ても、最も強いものや最も賢いものが⽣き残った訳ではない。最も変化に懸命だった者、最も環境変化に適応した者が⽣き残った』という⾔葉から始まり、グローバル化/技術⾰新の進展によって加速度的に変化する環境下においては、常に変⾰を起こし続けるのがリーダーの最⼤の役割というお話をいただいた。
その後、医薬品産業の概況を学んだ。主に莫⼤な研究開発費の負担に耐えるために統合が進んだ経緯や、各種イノベーションにより低分⼦化合物から⽣物学的製剤への基盤技術がシフトしている現状、そして統合を繰り返し、⼤きな研究開発費を捻出している製薬企業が⽣み出す医薬品よりも、ボストン・ケンブリッジに集積しているバイオテク/アカデミア/NPO が⽣み出した医薬品の売上の⽅が⼤きくなっている事実をお聞きしました。この現状認識は、私が所属しているIT 業界と似ている。この10 年間の技術⾰新によって、当初の黎明期を⽀えてきたIT ⼤企業は消滅するか、⼤きく役割を変えてきている。IT 技術も製薬技術と同様に、基本的にはアカデミアの研究の成果、または数名の天才的な技術者によって⽣み出されるものが多く、特⾊のあるベンチャーが⼀点突破で⼤企業に伍することは珍しいことではない。もちろん製薬であれば、物流や製造、各国ごとの規制対応、賠償リスクなどについてはベンチャーでは荷が重いと思われるが、⼤企業としてはこのベンチャーの⼒をどのように⾃陣内に⼊れていくか、が今後もポイントとなるように思う。それがリサーチセンターのような場作りなのか、M&A なのか、様々な⼿法はあるが、⽇本企業の悪い癖である「⾃前主義」を抑えるのは並⼤抵のことではないように思う。⻑⾕川先⽣は事も無げに仰っられたが、相当の勇気を持ったうえで、緻密に活動した結果なのではないかと想像した。 他の企業とはレベルが異なる武⽥製薬⼯業のグローバル化について、様々な視点でお話をいただいたが、特に後任者の選定プロセスを具体的に聞けたのは⼤きな学びとなった。ヘッドハンダーを使わなかった理由や、①Relocatability ②10 years commitment ③Live up with Takeda-ism という"Gentleman's Agreement"についても、とても実際的で⾃分の腹に落ちたように思う。
今回のお話をうかがい、製薬業界がグローバル化の是⾮を語っているレベルではなく、グローバル化するのが当然であり、さもないと⽣き残れない、という切迫感が強いことを感じた。そのトップが切迫感を持っていることと、その切迫感をしっかりと伝えていることによって、業界・社員の共通感覚となり、このような⼤きな変⾰を起こせる原動⼒・遂⾏⼒に繋がったのではないかと想像している。私は事前レポートのなかで「この指定文献は⾮常に興味深いものだと感じているが、ここに⽰されている事例や⾒出される⽅向性について、しっかりと⾃分・⾃社の事に置き換えて検討し、次の⽇から⾏動を変え、アクションを起こす社⻑はいるのだろうか」と書きました。未だにその気持ちには変わりはなく「⼤⽅のエグゼクティブは変わらないだろうな」と思う⼀⽅で、⻑⾕川先⽣のように危機感と好奇⼼を持った⽅であれば、このような本を使いこなせるのだろうと思った。他⼈の事を、上から⾔っているばかりでなく、私も学び続けなければならない。プロにはなれませんが、昨年はプログラミングに⼊⾨し、⾃社のプログラマーの⾔うことが少しは分かるようになった。最近はAI や統計が流⾏っていますので、夏休みには”STEM”の1 つ"Mathmatics"を学び直そうと思っている。
2017年度 立命館西園寺塾 7月22日講義「JAL再生と意識改革の必要性」を実施
・13:00~14:00 講義
講師:京セラコミュニケーションシステム株式会社
顧問 大田 嘉仁
・14:15~17:00 ディスカッション
【指定文献】
『JAL再生―高収益企業への転換』 引頭麻実【編】日本経済新聞出版社
『稲盛和夫の実学―経営と会計』 稲盛和夫【著】日本経済新聞出版社
【参考文献】
『心を高める、経営を伸ばす』 稲盛和夫【著】 PHP研究所; 新装版
▼受講した塾生のレポート(M.U.さん)▼
今回の講義はJALの見事な再生を実例として、急速なAI化やグローバル化といった我々を取り巻く環境が大きくかわりつつある現代において、変化に強くかつ柔軟な対応力をもつ企業に改革する方法について学んだ。
企業改革には構造改革と意識改革がある。構造改革だけがピックアップされるが、それは一時的な効果を得ても、やがて陳腐化してしまう。理由はいろいろ考えられるが、その後の環境の変化に取り残されてしまう、社員が1回の構造改革に満足してしまい現状に甘んじてしまう、一度の成功体験にしばられ、それが行動規範となり組織が硬直化してしまうなどである。
むしろ大事なのは意識改革であり、意識改革が成功すれば、環境が変化してもそのときそのときで自分たちで考えて、スピードをもって対応できる企業風土ができあがり、その風土は継続する。
では、意識改革とはなんであろうか。講義では6つの原則を学んだ。①自社の文化は自社でつくる。②リーダーから帰る、③全社員に一体感をもたせる、④現場社員のモチベーションを少しでも高める、⑤変化を起こし続けることで本気度を示す、⑥スピード感を重視する、である。
そのなかで自分のなかで特筆すべきは③であった。JAL再生において、全社員に一体感をもたせるため、JALフィロソフィという行動規範を作成した。これを浸透させる過程で、まずは、部門間の壁をとっぱらった。かつ一番効果が大きいと感じたのが、社員共通の行動規範が出来ることで、社員一人ひとりの判断が会社の方向性、あるべき姿に反しない。そのため、社員に大きな裁量を与えることができる。逆に社員も自分で考えて判断する経験をつめる。このことが徹底されることで、段階的に上司に了解をとる、上司を使って根回したり調整したりするといった時間・労力を極力最小化することが可能となり、自分で考えるスピードのある組織となる。こういった組織はルールでがちがちになった、硬直した組織の対局にある。このような企業風土をもつ会社には細かいルールは邪魔になるだけだからだ。
あわせてその意識改革を浸透させる方法が素晴らしかった。まずトップの意識改革を先行したことである。そしてその方法は短期かつ徹底的であった。トップが本気になれば、その浸透は早い。
そしてフィロソフィー自体が秀逸であった。決して売上げをあげるためとか、社員に我慢を強いるものではなく、内容は性善説にたった、社員の幸せを第一に考えられたものであることから、社員にも受け入れやすいものとなっていた。グループ学習でフィロソフィーにある行動規範の内容は、会社の経営状況に埋没しがちだが、経営状況に関係なく一所懸命真面目にがむしゃらに働いている社員の普段やっていることをすくいあげるものであり、そういった社員を認めてあげるものでもあったから浸透しやすかったのではないかという意見もあった。そして、意識改革をはかることと並行して社内のシステムも改革している。主には稟議や人事等であるが、社員にとっては身近で大事なことである。会社が意識改革を一方的に図るだけでは冷める社員もいると思われるが、意識改革にあわせて、その効果が最大限発揮されるシステムに変えることで会社の本気度が社員にも伝わる。
講義の最後は米ギャラップ調査の結果についての新聞記事であった。各国比較のなかで日本は「熱意ある社員」は6%のみであり、139ヵ国中132位という強烈な内容である。自分もつい思うところがあり、下を向いてしまったが、逆に6%しかいないのに日本は先進国の面目を保っているのだから、「まだまだ君たちにはやれる余地があるんだ」と大田顧問に大きく背中を押していただいた気がした。
▼受講した塾生のレポート(Y.N.さん)▼
JAL更生という事例から、意識改革の重要性と、それが”可能”であることを、教えていただいた。
指定文献(『JAL再生―高収益企業への転換』引頭麻実【編】日本経済新聞出版社)を読んで、なぜそこまで社員一人一人が変わることができたのか、正直、不思議に思っていた。
大田先生のお話を伺い、会社更生法の適用や人員削減などを目の当たりにした社員たちは、自身とJALの拠り所、存在意義を感じられる”何か”に飢えていたのではないかと感じた。その”何か”に応えたのが、「人として正しいこと」に基づく共通の価値観=フィロソフィと、それを実行するために社内制度まで変えるという、経営者の示した”本気”だったのだろう。小手先の変更では、社員の心をつかむことはできない。稲盛会長(当時)の「社員への愛」と「絶対性善説に基づく信頼」も、社員たちに伝わったに違いない。
その先には全社員が一体となった新しいJALがあると信じられたからこそ、一人一人が変わり得たのだと、納得した。「人間の心は変えられる」とおっしゃった大田先生の言葉は、とても重く説得力があった。
質疑とディスカッションにおいても、京セラの事例や稲盛会長(当時)のお言葉など、貴重なお話を伺った。例えば「ホウレンソウ」に重点を置いた行動規範についての質問に関して、「(ホウレンソウは大事だが)京セラには根回しは全くない」と、きっぱりとおっしゃった。「階層をとばした相談」もOK。
弊社の働き方改革の一環で、生産性向上の施策を職場で議論しているが、減らしたい負の時間の筆頭が、残念ながら「根回し」「同じ案件を何層にも報告」である。
京セラの企業風土は、経営者の意思(=フィロソフィ)と、それに矛盾しない社内制度(=組織の主体性と組織間の透明性を支える、アメーバ経営・管理会計システム)の両輪から成っていると思う。とすれば、経営者ではない私自身には何ができるのか。現場からできることはあるのか。
講義の内容や指定文献を反芻したが、やはり「人として正しいこと」に帰結するように感じた。
「絶対性善説」と信賞必罰についての質問に関して、なかなか成果が出なくても、稲盛会長(当時)は機会を与え続けたというお話があった。その代わり「不正」は厳しく追及する。ここでの不正は、合法性だけでなく、人として・企業人として「正しくないこと」だと理解した。
「(階層を重んじるのは)顧客より上司に気に入られたい、叱られたくないという”利己心”である」
「社員を信用できないなら上司をやめろ」
「プロダクトアウト型は”意図的”な顧客軽視」
痛烈な言葉である。そしてこれらは、現場リーダーにも通じる戒めである。
社内制度を変えることは難しいかもしれないが、自分自身が「人として正しいこと」に判断基準を置き、発信し、議論することを、実践していきたいと思う。
2017年度 立命館西園寺塾 九州フィールドワークを実施
概要は、以下のとおりです。
【概要】
7月14日(金)
・宮崎神宮
・黒木本店工場、農業生産法人「よみがえる大地の会」、尾鈴山蒸留所 見学
講師:株式会社黒木本店 代表取締役 黒木 敏之
7月15日(土)
・天岩戸神社、天安河原、高千穂峡 見学
7月16日(日)
・立命館アジア太平洋大学(APU)の概要説明、役職者との懇談会
立命館アジア太平洋大学 副学長 横山研治
・APUの国内学生および国際学生との懇談会
・学生によるキャンパスツアー
2017年度 立命館西園寺塾 7月8日講義「バリアバリューから未来を創る~ユニバーサルデザインが生み出す4,000万人の市場~」を実施
2017年7月8日(土)
・12:30~14:30 講義・質疑応答
講師:株式会社ミライロ 代表取締役社長
日本ユニバーサルマナー協会 代表理事
2020東京大会組織委員会 アドバイザー
垣内 俊哉
・14:40~16:40 ユニバーサルマナー検定(3級)
・16:50~17:50 高齢者体験・車椅子体験 実技講習
【指定文献】
『バリアバリュー 障害を価値に変える』垣内 俊哉【著】新潮社
2017年度 立命館西園寺塾 7月1日講義「マツダのブランド価値経営 ~ロマンとソロバン~」を実施
・13:00~15:30 講義
講師:マツダ株式会社 代表取締役会長 金井 誠太
・15:45~17:00 ディスカッション
・17:00~19:00 1~4期生合同懇親会
▼受講した塾生のレポート(Y.N.さん)▼
金井会長の“エンジニア魂”に、深く感銘を受けた。
相反する技術課題に対して、バランス点を探るのではなく、ブレークスルーによって全体を持ち上げることにエンジニアとしての付加価値があるという考え方や、「これ以外に道はない」と思える目標が必要というお話など、同じ製造業に携わる身として非常に共感するとともに、現実問題として、なかなか実践しきれていない自分を猛省する機会になった。特に「10年先のビジョン」に関して、営業・企画部門が否定的だったのに対してエンジニアから発信したというお話は、頭を殴られたような衝撃があった。
私自身は、研究開発部門において、企画・プロマネを担当している。顧客や市場を見据えて商品やソリューションを考え、開発・設計部門に「要求仕様」を出す立場である。分業の形態・開発プロセスとしては正しいと思うが、ともすると開発・設計部門のメンバーが、我々の作る「要求仕様」を自分の考えのスタート点にしてしまうことがある。特に経験の浅い若い社員にその傾向を感じることがあり、残念に感じている。ひと昔前の、腹の座ったエンジニア諸先輩にはなかったことだ。
「エンジニアだからこそ、技術で作る将来を語れる」というお言葉(=“信念”と理解した)に、マツダの底力を感じた。このマインドは、自身の職場でも広めたいと思う。
うかがったお話の中で、「Zoom-Zoom」という明確なブランドとターゲット戦略が、やはり重要な鍵だと感じた。「Zoom-Zoom 走る歓び」は、お客様自身を主語としてお客様にとっての価値を端的に表した、素晴らしいコンセプトだと思う。まさに「モノではなくコト」である。この”お客様自身を主語として、お客様にとっての価値を端的に表す“ことが、長年、機器の機能やスペックによって特定領域で勝負してきた身にとって、非常に難しい。お客様にとってのコトを生むべく、日々悪戦苦闘している状況である。
また、「インコース高めのストライク」は、具体的な顧客層やマーケティング戦略を考えるにあたっての指針になるのだと理解した。我々の通信業界では、近年プレイヤーが変わりつつあり、(我々にとって)新領域の顧客にもビジネスを広げねばならないが、その際に、各論に入る前に、改めてこういった指針や狙いを確認することが必要だと痛感した。
まずありたい姿を描き、それをバックキャスティングして日々挑戦する。根性論ではなく、失敗を市場に持ち込まないマネジメントを含めて実践してこられた金井会長のお話は、とても勉強になった。
▼受講した塾生のレポート(A.M.さん)▼
「マツダのブランド価値経営」として金井会長には、2015年ビジョン策定の概要と背景にある考え方、策定時の議論の様子なども交えつつ、経営者としての思いとともに大変実践的で貴重なご高話をいただいた。
特に、「お客様」「取引先」「従業員」「地域」というステークホルダーを重視するという、一般的には抽象化し易い経営指針について、(直接的なご付言はなかったものの)マツダの中では、金井会長のリーダーシップの下、一貫した経営メッセージとして、現場実務の中で実践・徹底され浸透している様子を伺い知ることができた。
なかでも、2015年ビジョンの策定にあたって「共に夢を語り、夢を描く」「経営者の役割は、社員に夢と希望を与え、自信と情熱と誇りを持って仕事をしてもらえるようにすること」という経営者としてのメッセージにも示唆を受けたが、それに止まらず、Know-whyや鳥瞰図の策定などを通じて、経営者と従業員、従業員間で徹底的な議論・コミュニケーションが図られ、これらが実践に繋げられているというカルチャーには、個人的に特に感銘を受けた。これは繁忙を極める経営者やマネジメントにとって、余程強い信念とリーダーシップがないと実行することは容易ではないはずである。しかしながら、こうした経営者との直接的な議論を通じてこそ、現場に至るまで社内全般に浸透させ実践できるものだと思う。
また、永らく脚光を浴びているPDCAについては、「PDマネジメント」と「CAマネジメント」という類型により、「PD重視のマネジメント」の重要性を説かれ、非常に納得感のある示唆をいただくとともに、日ごろの自らのマネジメントスタイルを見直すきっかけとすることが出来た。
更に、外部ステークホルダーに対する目線では、「自分は出し惜しみせず、たまに少し相手に要求する」「Give×3、Take×1」くらいでちょうど良い、という貸し借りに対する人の認識特性や、強者の強みを受け入れ弱者の強みに違和感を覚える人の深層心理にある「思い込み」を踏まえたブランド戦略の考え方についても、大変示唆に富むものであった。
何より、「走る歓び」というキャッチフレーズが公表された際には大変感銘を受けた記憶があるが、それを表象する「Zoom-Zoom」を自社ブランドのコンセプトの軸に据え、安易に事業ポートフォリオの分散に走らず、特定のエリアにおいて「絶対的価値」の創出を追求するという経営者としての明確な思いが示された点、その一例として、人が主役=無人運転は(安全性向上の手段とするが)目的とはしない、という経営方針に繋げられている点にも、社内での徹底した議論により醸成されたマツダとしての一体感や、それを実現した金井会長の強い思いとリーダーシップを感じることが出来た。
経営者として夢を思い描くことの重要性は言うまでもないが、ややもすれば大企業病に陥りかねない巨大な組織の中で、経営者の思いを共有し具現化していくための負担は計り知れない。その労苦を惜しまず、従業員との徹底した議論を通じ実践に繋げている金井会長の経営者としての強い思いに大きな感銘を受けると同時に、自身もマネジメントの立場として、少しでも今後の実務で実践していければという思いに至った講義であった。
2017年度 立命館西園寺塾 6月24日講義「目指すべき社会を考える」を実施
・13:00~15:00 講義
講師:大阪大学大学院経済学研究科 教授
堂目 卓生
・15:15~17:15 グループワーク
・17:15~17:45 ディスカッション
・17:45~18:00 総括
【指定文献】
『アダム・スミス―「道徳感情論」と「国富論」の世界』 堂目卓生【著】中公新書
▼受講した塾生のレポート(Y.N.さん)▼
アダム・スミスのみならず、色々な考え方、その考え方が出てきた時代背景を丁寧に教えていただいた。
「私たちが為すべきこと」についての講義の中で、最も重要=価値があるのは「行い」であるというお話がとても印象に残った。「行い(行動)」を起こすためには、問題を一般化せずに具体化すること、自分の問題に落とし込むことが重要なのだと、改めて感じた。
グループディスカッションで「目指すべき社会」を構想したが、課題抽出においても社会・国家の問題のレベルにとどまってしまったため、自分たちの行動につながるような課題に結び付けることができなかった。例えば「自由な競争による社会の発展を阻む各国の保護政策」という課題が挙がった。自分の仕事に置きかえてみると、「自由な競争による通信業界の発展を阻む自社製品にクローズした販売戦略」と言えるのかもしれない。今の通信業界においては、明らかに「自社製品にクローズした販売戦略」ではなく「エコシステム構築型」のビジネスが求められており、我々も新しいビジネスモデルを模索しつつある。その時の課題は、エコシステムによるビジョンの構築と、自社の強みを明確に認識した上で、我々の「売り物」を定義することにある。「各国の保護政策」の問題も、自国の強みの認識とそれによる提供物(貢献)を定義することが第一ステップなのかもしれないと思った。
自分の仕事に置きかえることで、課題がより実感できたと共に、自分が自身のフィールドにおいてやるべきことのヒントを得られた気がする。西園寺塾最初の講義「人類史からフィールドへ」での、「鳥の目と虫の目」のお話を思い出した。問題をグローバルに俯瞰(鳥の目)した上で、取り組むべき課題は虫の目を用いて考え、そして自分が「行動」することを、実践しなければと再認識した。
また、行動を決める大きな要因として、「真」を追求するとは別の、「命の輝き」に根本を置き本能に根差した意思決定のサイクルをご提示いただいたことや、行動には必ずしも筋道の通るモチベーションがある訳ではないというお話も心に残った。意思をもって行動することの大切さは認識しているつもりだったが、知識を蓄える中で「何かを”感じるから”意思を持つのでしょう」というお言葉は目から鱗だった。
「真」の追求のみならず、「善」「美」に対する「感受性」を磨くことも重要なのだと理解した。
「感受性」を磨くにはどうしたらよいのか、まだ整理がついていないが、頭で考えるのではなく、幅広い興味と、寛容さを持つことなのかもしれないと感じている。
▼受講した塾生のレポート(T.S.さん)▼
共感すること、されることを中心とした感情、その感情に基づく行動、それら行動がもたらす様々な影響によって経済が動く。ミクロの世界でも、どうすれば財 やサービスが人の気持ちを動かすことができるか、購入に至らしめるか、これらの集合体で経済社会が成立。心理学的、哲学的にも思え、あまり意識していな かったが、社会が共感から始まっているという点、深く納得した。最近よく耳にし、自分もよく口にするが、「共感力」というキーワード、大切にしていきた い。
今回の講義で示された「弱者を中心に据えた社会の成立」について、自身含め多くのグループが経済成長を目指しつつ両立させる方向でアプローチ した。これまでの資本主義の世界しか想像できないため、このアプローチになるが、経済成長を脇に置いて、人間、人類の幸福を目指す社会という広い視点での アプローチの順序にすると、新しい考え方が生まれるか。ベーシックインカムや社会主義的発想に近づくのかもしれないが、アプローチ方法を変え、発想転換し てみることから始めるべきか。答えはすぐには見受からないが、一方、努力が報われることだけは譲れない。
様々な価値観を通じて、国という枠を超え てつながるという考え方は新しい発見である。島国の日本人、普段から他国との交流がないから、国という縄張りに縛られ、今までの考え方だけに守られていた ことに気づかされた。これからのグローバル社会では、国という枠(○○人)ではなく、考え方や価値観で共感できることがたくさんある。国家の争いを超え る、変える原動力になるのかもしれない。
国同士のWIN-WINを目指すことが究極の外交であり、今、グローバルに開かれた公平な観察者を形成す る環境が整ってきている。爆発的に広がる情報を学習や交流によって、様々な価値観に触れ、共感の幅を広げることができる環境はある。一方、あふれる情報を さばききれず、判断できず、かえって自己の世界に凝り固まり閉じる傾向もある。意識的に外を向く姿勢を強くもって、共感の幅を広げる必要がある。
日本社会はチャレンジと失敗を許容できない、だから自身の失敗を許容できず、動く前に考えすぎる。自分を振り返るとまさにその通りである。自分から変わらな ければいけない。周囲には変えなくてもよいと思っている大勢があるのも確かである。成長が見込めなくなった時代だからこそ、いや昔から普遍的なのか、変化 に価値を置き、失敗は成功の糧とし、仲間とともに、ありたい世界をつくっていく。そんな社会になるよう、子供たちにつないでいく必要がある。子供時代から アクティブラーニングのような学びを習慣化していくことに大賛成。先生から示された「知る」「考える」「話す」サイクルが大人も子供も習慣化し、対話中心 の学びの世界が広がるとよい。現在、組織内で試行を始めたところである。
過日、デザインシンキングを実践、世界に普及している米国IDEO社から 学ぶ機会があった。まさに、先生から紹介のあった「すぐミーティングする」「まずやってみる」という米国文化と重なった。顧客に徹底的に寄り添い、超多様 なメンバー間で対話を繰り返し、まずはやってみる、失敗の中から最適解を見つけ、ビジネスへ発展させる、このやり方をチャレンジしたい。行動を起こすこと からである。
これも提言をいただいたが、ありたい社会を考え、これを続け、周囲に広げていくこと、共感から愛着、愛情へ広がることを念頭に置き、 共感を大事にし、まずは身の回りにある場のありたい姿を考え、考える場をつくり、習慣化することを意識したい。その習慣が社会の変化を促すことを期待す る。
今回の書籍・講義は、経済学的講義かと思っていたが、人間の本性等を考え、目指すべき社会を考えるというアプローチは大切であると感じ、非常に興味深く受けた。その機会をいただいた経済学者の堂目先生に感謝したい。
2017年度 立命館西園寺塾 6月17日講義「私の履歴書からみたリーダー像」を実施
・13:00~14:00 講義-交遊抄について
講師:日本経済新聞社 京都支社長
金丸 泰輔
・14:15~15:30 講義 「私の履歴書からみたリーダー像」
・15:45~17:00 ディスカッション
【指定文献】
『100年企業の改革 私と日立 ―私の履歴書』川村隆【著】日本経済新聞出版社
【事前課題】
交遊抄の作成
2017年度 立命館西園寺塾 6月10日講義「BIG HISTORYのなかの資本主義」を実施
2017年6月10日(土)
・13:00~14:30 講義
講師:立命館大学国際関係学部 教授
山下 範久
・14:45~17:00 ディスカッション
【指定文献】
『21世紀の貨幣論』フェリックス・マーティン【著】東洋経済新報社
『サピエンス全史 上・下―文明の構造と人類の幸福』
ユヴァル・ノア・ハラリ【著】河出書房新社
▼受講した塾生のレポート(M.U.さん)▼
今回の講義のテーマは、マネーの膨張や科学技術の急速な発達に対して、今、我々が感じている違和感は近代化を進めた結果生じている現代の問題でなく、認知革命以降の人類が歩んできた歴史に内在している問題であり、これらマネーの膨張や科学技術の進化にみられる無限性に対して自分はどう向き合っていくべきかということであった。
我々が感じている違和感は、人類が過去に経験した認知革命・農業革命・科学革命に匹敵する大きな転換期にきている兆しであると考える。
マネーの膨張でいえば、信用創造等により実際の預金の何倍ものマネーが市場で取引され、膨らんだ市場は急速に収縮する。2008年の金融危機を例にとれば、経済のグローバル化とあいまって、その影響範囲は一国に収まらず、大きな財政負担を強いられた国もあるほどのインパクトを与えた。今後も同様の危機が発生するリスクを内在しており、何度も発生すれば、いくつかの国が破たんするだろうと推測される。
科学技術でいうと、核技術の保有国の裾野が広がってきている。また遺伝子の解明により新たな生物の創造や飛躍的に進む医療技術と機械の融合によるサイボーグ化、そして人間の活動範囲は地球に留まらず宇宙までおよび、軍事利用される可能性もある。AIの急速な発達は生活を便利にし、人類を労働から解放する可能性がある一方、これまで直面したことのない大規模な失業を生む可能性もある。
違和感の正体とは何か、それは生物工学の進化により人類が人類でなくなる可能性、そしてマネーの膨張や科学技術の進化により、一国ではなく、人類自体が自ら破滅する可能性が、これまでの人類全史上一番身近かつ簡単になっていることから生じているのではないだろうか。
サピエンス全史は最後に、「私たちは何になりたいか」ではなく、「私たちは何を望みたいか」というのが真の疑問ではないかと問いかけている。講義で欲求と欲望は区別されており、欲望とは他人に認めて欲しいという承認欲求であり、非常に近代的な考え方ではあるが、現代においてその欲望が非常に低下しているという話があった。欲望・目的のない社会では進化はますますスピードがあがり、コントロールがきかなくなるという。それは日本が目的のないまま戦争の道を歩んでいった過程にも似ていると感じた。しかし、昭和初期と違い、現代ではその影響は最早一国に留まらない。
認知革命以降、人類が手に入れ、進化の原動力となった「虚構を生み出す力」は無限性を伴っていたが、そのまま無限性をもとめるのか、ここで踏みとどまるのか、人類史上の分岐点にきているのかもしれない。無限性を止める制度として、21世紀の貨幣論ではナローバンクと自己責任を示唆している。イスラム金融もひとつのヒントになるだろう。そして科学技術の進化という点で企業人である我々が取り組むべき課題は、この世界を変える技術ではなく、環境や食糧問題といったこの世界を今の姿に留める技術ではないだろうか。
▼受講した塾生のレポート(T.K.さん)▼
今回の講義では、課題図書のテーマを追いながら、「ヒト」とは何であるか「ヒト」が⾃ら⽣み出した技術により「ヒト」を超えることが出来てしまう時代に「ヒト」に留まる意味は何かなど、⾮常に⾼度な哲学的考察を⾏うことになった。
チンパンジーとヒトの差異は、⽣化学的(ゲノム配列)にはほぼ同⼀ですが、進化論的に「結果的に」得た「虚構」を信じる特性によって、DNA に規定された⾏動を超え、「宗教(科学)」「帝国」「貨幣(資本主義)」を作り上げ、現在のヒトの覇権につながっている。そして遂にはそのゲノムや脳内ホルモンなどをもコントロールするテクノロジーを⼿に⼊れてしまったことは、ヒトは重すぎるテーマを抱えてしまった気がする。
「⼈間は⼈⼯物を利⽤することで情報処理をオフロードすることが得意」であり、いろいろなツールを作り出し、そのモジュールを脳内に「インストール」して利⽤できるが、これはヒトが最初からサイボーグ化を進めているのではないか、という論も⾮常に興味深く感じた。実際、既に私の記憶構造は、PC のツリー状のファイル形式で作り上げられ、その記憶の実体としても外部のPC やクラウドに外在化されているので、⽬の前にある現実的な話として拝聴した。
技術的に不⽼不死や成りたい存在(亜⽣物含む)などの「ポストヒューマン」になれる時代に、それをどう受け⼊れていくか、もしくは否定するかという議論にもなった。この議論⾃体も楽しいものでしたが、個⼈的には、「ヒューマン」と「ポストヒューマン」が併存する世界が現実化することに興味がある。通常の進化はDNA の変質によって⾏われるので、⾮常にゆっくりと世代交代が進むはずですが、「ポストヒューマン」の発⽣は、既に確⽴されつつある「技術」と、虚構が⽣じさせている「宗教(神に近づくことを許すか否か)」「資本主義(それを施すだけの費⽤が払えるか)」に依存するだけであり、ある世代内で起こり得ると思っている。その世界にはどうしても「格差」は⽣じるであろうし、最悪の場合、ホモ・サピエンスがネアンデルタールなど、他の⼈類を虐殺した歴史をなぞってしまうのではないか、そんなことも考えた。
上記、⽣命科学が現実化することは、不⽼不死や若返り、美味しいものを、病気になること無く⾷べ放題など、これまで⼈類が宗教的な枠組みでの「天国」に⾏けば享受できると思っていたものだったような気がする。今、現世で「天国」⽣活が出来るとなったのに、これはこれで悩み始めるというのは、やはり「宗教」という虚構がそうさせるのであろうか。
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