将棋の「駒落ち」が受け入れられない?
ゴール#10「人や国の不平等をなくそう」

駒落ちのイメージ(六枚落ち)
出典:公益社団法人日本将棋連盟(https://www.shogi.or.jp/column/2017/05/post_127.html)
私は子どものころから将棋に親しんできました。高校生の頃には地元・宮崎で将棋普及活動をするようになり、「海外へも将棋を広めたい」という夢を持つようになりました。大学へ進学後、「トビタテ!留学JAPAN」という留学制度を利用してヨーロッパへ渡り、チェコで将棋大会を開催しました。開催当初は多くの参加者を集めることができず、またその数少ない参加者間の実力差も大きかったため、「駒落ち」を使って力の差を埋めることで対等のレベルで対局が可能になり大会として成り立つだろうと考えたのですが、ここで予想外のことが起こりました。
「駒落ち」とは、実力差がある対局において、その力の差に応じたハンディキャップを与えて対等な勝負ができるようにする仕組みです。「駒落ち」は江戸時代の御前試合でも用いられていたと言われており、現在でもプロ棋士養成機関や各地の将棋教室でも力をつけるための効果的な練習方法としても採用されており、日本の将棋界では「駒落ち」はごく当たり前のルールと言えます。
しかし、チェコでの将棋大会参加者たちは、対局前のお辞儀や正座などの礼儀作法や慣習には壁を感じないにもかかわらず、「駒落ち」は受け入れたくないという意見が多数出たのです。日本では、アマチュア棋士とプロ棋士と対局するとなった場合、敬意をもって駒落ちをお願いし、対等に対局するというのが一般的ですが、チェコでは強者が弱者に合わせて力を落として戦うことが受け入れがたく感じるようです。彼らは、将棋の伝統的な作法を受け入れてくれるものの、強いものがあえて力を落とす「駒落ち」にはなぜか拒否感を示すのです。
駒落ちのイメージ(六枚落ち)
出典:公益社団法人日本将棋連盟(https://www.shogi.or.jp/column/2017/05/post_127.html)
平等の捉え方
研究者として歩み始めた中で一つのきっかけがあります。それは、私の身内に持病で寝たきりの方がいることです。その方は一般的には「弱者」と捉えられると思いますが、私にとっては親族であるという事実だけで、それ以上でも以下でもありません。もちろん弱者とも見ていません。しかし、「支援が必要な人=社会的弱者」と見られる風潮があり、そこから「弱者」「強者」「力の格差」「社会的格差」のように強い・弱い・上・下と関係性が生まれることに問題があると感じていました。
*将棋の発祥は、紀元前200年ごろに古代インドで遊ばれた「チャトランガ」というボードゲームであるという説が有力である。 これが西洋へ伝わりチェスに、東洋へ伝わり中国将棋(象棋・シャンチー)や日本の将棋へと姿を変え、世界各国に広まったとされている。
チェコでの将棋大会の様子
研究を社会課題解決に
将来は世界で活躍できる研究者になりたいと思っています。これまでの海外での将棋普及活動で得た経験や、大学院に進学してから、国内外の研究者と交流したことから、自分の枠に捉われないことの重要性を感じています。「歩兵」は、将棋の駒のなかで一番弱い駒とされています。しかし、その一番弱い「歩兵」は、相手のフィールドに入ると、「と金」となり、強い駒にステージアップします。将棋を私自身に置き替えると、今の私は「歩兵」ですが、これから自分という枠を超えて、新しいフィールドに飛び込んでいくことで、「と金」となって、世界で活躍できる人材へとステージアップしていきたいですね。
正直なところ、私も「将棋と平等」というテーマの難しさは感じています。しかし、広い世界には、どこに解決の種が眠っているかは分かりません。いまは、自分の信じる道を貫き研究を続け、いずれ私の研究成果が社会課題解決につながる糸口になりたいと思っています。