教員VOICE

#4
永野 聡 准教授

研究テーマ

ソーシャルイノベーションとソーシャルデザインの実践的研究~地域、観光、教育、復興~

永野 聡 准教授

大学院時代の成果を実社会に生かすも殺すも、結局は自分次第です!あなたはこの世にひとりしかいません

先生は、どのような経緯から現在の研究テーマを設定されたのでしょうか。

私は、最初から、「ソーシャルイノベーション・ソーシャルデザイン」を専門としていたわけではありません。紆余曲折あり、現在の研究テーマに至りました。(この先、長文・駄文になります事お許しください。)

出身は宮城県仙台市です。元々は建築デザインに興味があり、実際に地元の設計事務所で仕事をしておりました。しかしながら、建築に関しては独学で、出身学部は建築系ではありませんでした。そこで、設計事務所の先輩からの助言を頂き、上京して昼間働きながら夜学に通う事となりました。その学校は、建築士になるための技術を教えるだけではなく、デザインの意味や建築家の思想まで教えてくれる少々変わった学校でした。また、大学院に進学する学生も多く、「将来、建築系で飯を食う!」と決めて上京していた私は、「自分も長い建築人生の中で数年間は大学院というものに行ってみてもいいかな!?」と思い、大学院に進学致しました。
進学先は、新しい研究室だったので、一期生として、まずは研究室の環境整備からスタート、本格的な研究プロジェクトが始動したのは、修士課程1年目の最後でした。なので、せっかく始めたプロジェクトを途中で投げ出したくないと思い、博士課程に進学する事にしました。

そして、博士課程に在籍しながら学科の専任助手になった2011年です。東日本大震災が起こり、私の実家も被災しました。ボランティアで地元地域の泥掻き等をする中で、「泥掻きも大切な支援だが、自分の専門性を活かした支援はできないか。」との想いが次第に強くなり、建築学科の若手有志でタスクフォースを作り、北は岩手県から南は茨城県まで沿岸地域を周りました。大半の地域では門前払いとなる中、唯一、「手伝って欲しい」と言われた地域がありました。それは、宮城県名取市閖上地区です。
同地区は、津波被害により壊滅的なダメージを受け、900人近くの死者行方不明者を出していました。その地区で震災前より象徴的な場所でもあった「ゆりあげ港朝市」を復興させるというプロジェクトを支援する事となりました。まさにこのプロジェクトが私を大きく変えてくれました。何もかもなくなった場所に一から朝市を再建する。これはとても大変な事です。しかも、普通の朝市ではありません。地域で40年以上親しまれたコミュニティーの核ともいえる場所です。この再建です。

朝市のプランニング、デザイン、ファンディング、組織マネジメント、等々、やる事が山のようにありました。それらを目の前にした時に、「一旦、自分の事は考えないようにしよう!まずは朝市の事を第一に考えよう!」と気持ちを切り替えました。基本的に、建築や都市のデザインしかやってきていなかったので、わからない事だらけです。ひとつひとつ、多くの専門家のお知恵を拝借しながら、進めていきました。プロボノといわれる人たちにもたくさんお会いし、助けて頂きました。今振り返ると、ソーシャル系のフィールドに飛び込んだ瞬間でした。この経験は、建築一本で生きると決めていた私の心を大きく動かし、「建築系×ソーシャル系で生きる」という新しいフィールド(ブルーオーシャン)を開拓する事になりました。このプロジェクトでは、2017年度グッドデザイン賞グッドデザイン特別賞・グッドデザイン・ベスト100も受賞(共同)しています。

その後、震災復興の支援活動も続けながら、自身の博士論文研究も進め、博士(5年半掛かりましたが…。)を取得し、その後、複数の大学職を経験し、2018年度に立命館大学に着任させて頂きました。私の担当は、「ソーシャルイノベーション、ソーシャルデザイン」です。
これまで、培った数多くの経験を活かせる機会を頂きました。このご縁に感謝しつつ、次世代の育成にも心血を注いていきたいと思っています。現在実施している私のプロジェクトは現在進行形のものが大半です。多くの失敗も経験します。正直良い事はほんの少しです。しかしながら、我々の一歩がこの分野の一歩となります。一緒にこの分野を育ててくれる同志を強く求めます!

(実は、観光まちづくりや教育工学との出会い等もあるのですが、長くなってしまいますので、またの機会とさせて頂ければ幸いです。)

先生は、これまで研究上の大きな困難にぶつかったことがおありでしょうか。
また、その場合どのようにしてそれを克服されましたか。

研究は大きな困難だらけです。ぶつかってアザだらけでここまでやってきました(笑)。困難にめげず、フロンティアを切り開くことこそが研究だと思います。

上にも記しましたが、私は、東日本大震災の復興支援の活動及び研究に長く携わっています。その中で、被災した地域住民の方に「永野先生、頼まれ事は試され事だよ。」といわれた言葉がその後の人生や研究に向かう姿勢に大きな影響を与えています。

つまり頼まれたら自分を試すと思って引き受けてみる…背伸びして立ち向かう困難とは、自分を成長させてくれる機会であると思っています。果敢に飛び込んでいく勇気が必要と思います。けれども、それは、なにも一人で越える必要はないとも思っています。
特に、ソーシャルイノベーションやソーシャルデザインの分野では、一人では、ほぼ何も出来ません。年齢も価値観も違うメンバーたちと同じ目標に向かってベクトルを合わせて、困難に立ち向かっていく必要があります。その為にも、「自分ひとりで出来るコトの限界を知る」ことも大事かな、と思います。私は、よく人に頼ります(笑)。私自身、自分の能力の限界を知っているため、出来ないところは、どんどん周りを巻き込み、積極的に助けてもらいます。それでいいと思っています。結果的に目指すべき目標に最短でやるにはそうしたほうがいい場合は多々あると思います。
また、そこには、思いがけない人との出会いや、新しい「試され事」や「困難」(笑)が自分を待っているのです!

2年間の修士課程を終えて社会に出ていく院生に対して、大学院時代の成果をどのように実社会で生かしていくか、アドバイスをお願いします。

大学院時代の成果を実社会に生かすも殺すも、結局は自分次第です!あなたはこの世にひとりしかいません。代わりがいないという事を自覚し、自分の行動に責任を持ちながら、社会に恩返しをしていく事が大切かと思います。

あなたは学部で卒業する人たちよりも多く勉強をさせて頂いたのです。それを認めてくれた家族、友人、社会に感謝する気持ちが大切かと思います。修士課程での成果は、目に見える形では、すぐに実社会で生かせないかもしれません。学生時代の試験問題と違って、授業で学んだことがそのまま出されるほど社会は甘くありません。
でもいつかジワリとやってくるチャンスのために、己に磨きをかけておきましょう。寝食を忘れて研究に向き合った経験は、必ず生きてくるはずです。

将来研究職を目指す院生が早い段階から取り組んでおくべき課題があるとすれば、
それは何でしょう。

まずは、しっかりとした研究の基盤を構築する事は必須かと思います。院生時代、あるお世話になった先生から「永野、博士論文・学位は研究者のパスポートだぞ!」といわれた事がいまだに忘れられません。博士は、足の裏の米粒のようなもので、「取れないと気持ち悪いが、取っても食えない…。」でも、これがないと自信がつきません。

次に、積極的に社会課題に向き合う事が大切だと思います。とりわけ私の分野では、常に最先端の課題は、現場にこそあると思っております。そこから、専門家として、具体的な課題を抽出し、解決の方法を示し、実行していく。やはり参与研究は大切かと思います。

また、大学職を得たいなら、下っ端(助手や助教)の経験を積む事です。大学の組織(教職員、学生、交友、地域)がよくよくわかります。私は早稲田大学創造理工学部建築学科専任助手に3年従事しましたが、とても勉強になりました。当時、早大理工の中でも特に助手業務がキツイ3K学科の一角を占める建築学科でしたので、相当鍛えてもらいました(笑)。あとは、早く親元(母校)を離れる事です。これは違った意味で鍛えられます。頼る師がいないのです。私は、立命館大学で3校目ですが、これまでに多種多様な価値観を持つ、教職員や学生達と知り合えた事は大きな財産です。

加えて、他流試合(若手の研究者たちのと交流)をおおく実践していきましょう!これはとても大事だと思います。世の中には多くの研究者達がいます。お互いに切磋琢磨し、アカデミアを盛り上げる気概が大切だと思います。あとは、研究テーマと関連する学協会の活動にも積極的に参加する事が大切です。大方、若手は歓迎してくれます(笑)。これは、大きなアドバンテージです!「〇〇大学に〇〇〇〇という元気がいいやつがいたな。」とベテランの研究者達に覚えてもらう必要があります。学会の大会では、常に自身のポートフォリオ(論文集、等)を持ち歩きましょう。研究者の名刺は論文です。