Feature #02

副総長×図書館長対談
今ここで、できること

コロナ禍で学ぶという挑戦

図書館の役割=空間の感化力

大学図書館はどうでしょうか?

松原図書館は情報を得る手段の一つですが、私たちが肉体を通して知覚し、思考し、伝達(アウトプット)するという一連の流れにおいて、この空間は非常に大切な役割を果たしているといえます。空間の感化力が図書館にはあるのではないでしょうか。

オンラインで得られるデータベースを充実させていくことを、立命館大学図書館は意識的に進めてきています。今回入構禁止になっても、オンラインのデータがあるのでなんとか利用者と図書館を繋ぐことができました。けれども、「モノ」が持つ感化力、空間の感化力というのは、情報をオンラインでスピーディーに得られることとは、容易には置き換えられないのではないでしょうか。

私たちは、今回のコロナで、一時来館を禁じられましたが、その時間の中で改めて、空間に身を置くことの大切さを再確認できましたね。

松原 洋子立命館大学副学長、立命館大学大学院先端総合学術研究科教授

1958年東京都生まれ。東京大学大学院理学系研究科修士課程、お茶の水女子大学大学院人間文化研究科博士課程後期課程を修了。2002年より立命館大学へ赴任し、産業社会学部教授、先端総合学術研究科教授として教鞭をとる。2019年1月より学校法人立命館副総長・立命館大学副学長。研究分野は科学史、生命倫理、科学技術社会論。趣味は街歩きとカフェでの読書。

松原 洋子

「巨人の肩の上に立つ」
という言葉を体現してください

「空間の感化力」について。松原先生の場合、図書館からどういう力を与えられるとお考えでしょうか?

松原たとえば図書館での勉強は集中しやすい、研究室や自宅では揃えられない膨大な資料を一度に並べて読むことができる、というメリットもあるでしょうが、私は図書館の「余白の部分」が大事だと感じています。かつて、ある先生が「図書館に来て本の背文字を見るだけでかしこくなる」とおっしゃいました。「読書」とは、文化の総体に触れることなのです。

「巨人の肩の上に立つ standing on the shoulders of giants」という言葉をご存じでしょうか。Google Scholarの検索画面にも書かれていたフレーズです。ヨーロッパの古くからのことわざで、私が今これを考え、読めて、知ることができるのは、それより前に蓄積された学問や文化や知識の総体の上に立っているから、という意味です。私の研究に対するリスペクトの原点は、この言葉に凝縮されています。

今後大学における図書館の位置、役割およびサービスなどはどのように変わっていくか、あるいは変えていければよいと考えますか?

重森大学図書館の役割は、学修用、研究用、そして貴重書や文化的コレクションをアーカイブすること、これら3つを担うということは変わらないです。withコロナというのであれば、時間や物理的な制約なしに利用できる方向で整備していくことがより大切になっていくと考えます。労力も時間もお金もかかりますが、物理的図書館がたとえ臨時的に休館となったとしても、オンラインで開館しているといえるほどの準備を整える必要がありますね。

松原今回のコロナ禍では、世界が同時に答えのない実験に放り込まれるということがある、ということを世界中の人が思い知らされていると思います。そして今もまだその実験中といえます。

特に若い皆さんは受験勉強の中で、用意された答えにいち早く、効率よくたどり着くことに慣れてこられたと思いますが、このコロナに関しては、「正解」がそう容易く出るものではありません。

今、最先端の科学の中にあっても、コロナのパンデミックをきっかけに、14世紀のペスト(670年前)、100年前のスペイン風邪の歴史が注目されました。コロナのインパクトを深く理解するには、効率的に目先の情報にアクセスし即座にアクションを決めていくのではなく、時間的、空間的に研ぎ澄まされてきた情報に近づく必要があります。

大学図書館には、時間と空間を超えて、研究という世界、また幅広い社会で吟味されてきた成果が、膨大かつ多様に用意されています。大学ならではの吟味や目利き、辛抱強い長年の研究活動、その中で選び抜かれたものがオンラインデータベースや蔵書として提供されています。

このコロナ禍では、大学教育の形式(バーチャルか対面か)を見直すきっかけとなった側面も大いにありますが、我々が大学図書館という専門性に依拠した「装置」の真価を再評価する機会ともなったのではないでしょうか。

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