研究活動

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弥生・古墳(FB)ゼミ
長友朋子 教授

ゼミ・研究活動

久津川車塚古墳の発掘調査

立命館大学文学部と城陽市教育委員会が協定を結び、久津川車塚古墳を史跡整備するためゼミの皆と発掘調査に協力し、古墳の墳形や規模、外部の施設などを調べています。 久津川車塚古墳周辺には小規模な古墳なども多くあることから、この古墳と周辺の地域は、古墳時代中期の構造を墓から復元する研究の地域モデルとなりました。2014年から調査をはじめ、10m×20mの巨大な西造り出しがあること、幅5.5mもの渡土手が墳丘から外堤へつながっていること、場所によって墳丘の葺石の大きさに違いがあることなど、様々な発見がありました。また、大谷川によって形成された扇状地上に築造されているため、古墳の基盤が水平でないことも最近の調査で明瞭になってきました。 墳丘約180mの大型古墳を実際に発掘調査できる喜びは格別です。自分の手で埴輪列や墳丘を掘る楽しみを感じながら、古墳の形や構造を深く理解でき、興味がつきません。これまで調査をともにした30名余りの学生が、文化財専門職に就職し活躍していますが、切磋琢磨した友人との思い出は生涯の宝となることでしょう。



埴輪の焼成実験

コロナ禍で海外調査ができなくなり、しばらく遠方でのフィールドワークが難しい時期が続きました。そこで、ゼミの皆と2022年から新たにはじめたのが埴輪の焼成実験です。これは、古墳時代と同じ窖窯で埴輪を焼成する実験です。この窯は、FCゼミの木立先生が会長を務める窯跡研究会の皆さんが自作した実験窯で、なんと20年ほど使用されているものです。 古墳の墳丘に円筒埴輪を並べる習俗は、倭の独自のものです。埴輪は元々野焼きされていましたが、朝鮮半島から窯技術が伝わると、器(須恵器)だけでなく、埴輪も窯で焼かれる ようになりました。そのため、野焼きか窯焼きかで埴輪の新古がわかります。しかし、野焼きか窯焼きかを見分けるのは、そう簡単ではありません。そこで、野焼きと窯焼きの両方の実験をして、埴輪についた黒斑の痕跡を比較しようというのが、この実験のねらいです。 最初は恐る恐る薪を割っていた学生さんたちも、今は手慣れた様子で薪割りや小枝拾いをしたり、窯に薪をくべるようになりました。窯跡研究会の方々にも教えてもらいながら、温度を調節して窯焼成をしています。野焼き実験は、窯の横でおこないます。ひとつ課題を解決すると、新たな疑問が浮かび上がってきます。わからないことを実験で確かめる面白さは格別です。



土器制作村の民族調査

民族成果を考古学へ援用する研究を「民族考古学」といいます。東南アジアでは今も野焼きの土器が作られ日常的に使用されている地域があります。2004年以来、私(長友)はタイや中国雲南省西双版納などへ出かけ、民族調査を継続しておこなってきました。 この写真は、2016年にミャンマーで行った民族調査です。目の前でみる土器作りは迫力満点です。思いもかけない技法に出会い、目から鱗ということもしばしばです。民族調査では、単に土器製作をビデオで記録・観察するだけでなく、毎日村で製作者へ聞き取りをして、データを蓄積します。しっかりとした調査こそが研究の種になるのです。 とはいえ、「郷に入れば郷に従え」という言葉の通り、東南アジアへ行けばその土地のリズムで動くと調査が自然と上手くいきます。村の人の生活が見えてきたり、話をしやすくなるものです。昼食をごちそうになることもありました。農耕とともに土器作りをする人々の生活にどっぷりと浸り、時間に追われる日々をしばし忘れて、調査に没頭するのは最高ですね。

教員からのメッセージ

考古学は、遺跡や土器などと向き合い、歴史を紡ぎだすとても面白い学問です。本から学ぶ知識はもちろん大切ですが、資料を自分の目で観察したり、外へでて発掘調査や民族調査をするフィールドでの楽しさもひとしおです。ぜひ皆さんも一緒に研究の旅へ出かけませんか。

教員の研究紹介

弥生土器の観察結果に民族考古学研究の成果を援用し、弥生時代の土器生産体制を復元しました。今は、古墳時代の窯焼成土器の生産を手掛かりに古墳社会を研究しています。朝鮮半島や中国東北部などの東アジアからみた日本列島の原始古代社会の復元を目指しています。