研究活動

立命館大学哲学会

立命館大学哲学会は、広義の哲学の研究と普及をはかることを目的とし、本学で哲学を研究する現・旧の教員、大学院哲学専修の在学学生や修了者、哲学・倫理学専攻の卒業生を主たる構成員とした、大学関係学会です。

沿革と概要[1]

立命館大学哲学会は、立命館大学に新生哲学科が誕生したその翌年、1946(昭和21)年に設立されました。設立当初は、毎月一回の研究発表をかねた例会を主たる活動としていましたが、1950年前後には、講演会・シンポジウム・研究発表会・読書会など、多様な活動を継続的に開催するようになりました。

かつての立命館大学哲学会規約[2]。雑誌の発行も含む多種多様な活動が事業としてもくろまれていたことが分かる。特に目を引くのは、会員に資格制限が設けられていない点であろう。当時の立命館大学哲学会は、「哲学的関心の普遍化・一般化の傾向に呼応して、学外における向学の士にも入会の自由を認め」[3]ていたのである。

1960年前後に至ると、学会活動のさらなる活性化を図る動きも高まりました。特に1962(昭和37)年には、当時の哲学研究室の助手であった大島正道らの尽力により、積年の宿願であった学会誌の刊行も試みられました。しかし、「諸種の制約、就中、財政上の負担過大」[4]によりこの計画はすぐさま頓挫し、創刊準備号(立命館大学哲学会編『哲学会紀要』創刊準備号)だけが残される結果となりました。以後、1968-69(昭和43-44)年を頂点とする「大学紛争」の混乱期を経て、1970年代、1980年代に至ると、教員や大学院生らによる地道な研究活動は続いていたものの、「哲学会としての組織的で継続的な学会活動が形をとりにくく」[5]なっていました。

幻の『哲学会紀要』創刊準備号。すでに『立命館文学』誌上に掲載された専任教員らの論文別刷を寄せ集め、それに表紙をつけて綴じるという極めて簡素な作りで、当時の困難が窺われる。

そうしたなか、本学哲学専攻卒業生で、当時経済学部教授(哲学担当)であった飛田就一やその他の若手教員・大学院生らを中心として、「哲学会のルネッサンス」[6]が図られました。まず、1986(昭和61)年度の哲学会総会において、1951(昭和26)年度の総会で改正され、以後35年間にわたって存続していた哲学会規約が、現状に対応するように改正されました。このとき改正された規約は、以後数度の一部改訂を経て、現在に至っています。また、「同窓会の有志の多くの人たちが、学会再興の発起人の呼びかけに応じてくれ」[7]たおかげで、資金面にも目処が立つようになり、1987年には悲願の学会誌、『立命館哲学』第1集が創刊されました。本誌も、1990年代には幾度かの未刊行年度を挟むとはいえ、2000年代以降は毎年1号の継続的な定期刊行を成し遂げつつ、現在に至っています。

今日まで続く『立命館哲学』創刊号。

現在の立命館大学哲学会の活動は、年に1度の年次大会の開催と、年に1冊の学会誌の刊行を中心としています。総会を兼ねた年次大会は、例年11月に本学衣笠キャンパスで開催されており、会員による研究発表と、外部講師を招いた講演などがおこなわれています。総会を除けば非会員も参加可能ですので、ご関心の向きはぜひ足をお運び下さい。

学会誌『立命館哲学』では、年次大会の講演や、会員による投稿論文、書評、翻訳などが掲載されています。その内容詳細については、『立命館哲学』のページをご参照下さい。


[1] 沿革に関する以下の記述は、特段の断りがないかぎり、『立命館哲学』第1集(1987年)巻末に掲載された、飛田就一による「彙報」の記載に負う。
[2] 立命館大学哲学会編『哲学会紀要』創刊準備号、1962年、裏表紙より転載。
[3] 「文学部彙報:哲学科哲学専攻」、『立命館文学』78号、1951年、p. 60。なお、この記事には「T・K」というイニシャル署名が付されており、当時の哲学研究室の助手、岸田直によるものと思われる。
[4] 大島正道「まえがき」、立命館大学哲学会編『哲学会紀要』創刊準備号、1962年所収。
[5] 立命館大学哲学会編『立命館哲学』第1集、1987年、p. 106(彙報)。
[6] 西川冨雄「学会誌 創刊によせて」、『立命館哲学』第1集、1987年、pp. 1-2所収、p. 1。
[7] 同上、p. 2。

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