
1988年 卒業
おおらかな校風のもと
自由には責任が伴うということを
身をもって指導していただいた日々でした。


片岡 宏一郎 氏
KATAOKA Koichiro
経済産業省 大臣官房長
Profile
1988年立命館高等学校卒業。京都大学法学部卒業後、通商産業省(現・経済産業省)入省。米国プリンストン大学公共政策大学院留学などを経て、経済産業政策局産業構造課長、資源エネルギー庁電力・ガス事業部電力市場整備課長、大臣秘書官等の要職を歴任。2022年7月より大臣官房福島復興推進グループ長として、東京電力福島第一原発の廃炉、被災地の産業再生に向けた支援を担当。2024年7月より現職。
大臣官房長として省全体に目配り
政策担当者が国のため
力を発揮できる環境を整える

大臣官房は、省内で政策を担当している多くの部局を全体として調整する役割を担っています。国会で法律が円滑に審議されるよう調整するほか、省内の予算や人事を扱う、企業で言う総務部のような仕事も行います。仕事の結果が国全体の方向性に影響を与えている実感が持てるのが国家公務員の大きなやりがいですが、昨年策定した「未来に誇れる日本を作る。」という組織ミッションの下、今は政策を直接担当する人がやりがいをもって気持ちよく働ける環境を作り、国のために力を発揮できるよう尽力する立場です。
入省以来、私は主にエネルギー政策に携わってきました。エネルギー資源に乏しい我が国において国民生活を安定させ、産業を振興するために、先人たちの努力で築き上げてきた重要な政策です。しかし、東京電力福島第一原発の事故によって、政策への信頼が失われてしまいました。それをもう一度立て直すことが省としての重要な任務だと考えています。
仕事をする上で大切にしているのは入省時に上司から贈られた「常識を疑え」という言葉、そして「相手の立場に立って考える」ことです。うまくいかない時、困った時には、一度立ち止まって相手の立場に立って考えると、解決策が見つかることが何度もありました。
福島復興推進グループ長として
処理水放出を実施
2年間で福島を訪れた回数は100回以上
2022年7月から2年間、福島復興推進グループ長を務めました。福島第一原発の廃炉や、避難が解除された地域のなりわいの再建などに取り組む組織です。長くエネルギー政策に携わってきた者として責任を果たせる機会でした。
着任当時の大きな課題は、福島第一原発内で発生し続ける汚染水を浄化したALPS処理水の海洋放出でした。復興の前提となる廃炉を進めるための不可欠な工程として国が決断しましたが、風評被害を懸念される漁業者の方々など、さまざまな立場からの反対もあります。どうすれば安心していただけるか悩みながらも、膝を突き合わせて緊密にお話を重ね、メディアを含むさまざまな場での安全性に関する情報発信、全国の産業界への海産物等を食べていただく協力依頼など、できることはすべてやった結果、一定のご理解をいただいて放出が実施できたこと、放出後も、一部の国による輸入規制はありましたが、日本国内で「食べて応援」する機運が高まり、大きな混乱なく現在も安全に放出が進められていることは、私のこれまでの役人人生の中でも最も記憶に残る仕事の一つになりました。
在任中の2年間で福島をはじめとする現地を訪れた回数は100回以上。その中でお付き合いさせていただいたさまざまな方々とのご縁は私にとって大きな財産になっています。

処理水タンクで埋め尽くされる東京電力福島第一原発の廃炉現場
中高時代の思い出
思い出の一つが、軟式野球部の合宿で学校に泊まったことです。教室に畳を持ち込み、机と椅子を組み合わせてベッドを作ったり、皆で学校の近所の中華料理店にご飯を食べに行ったり、楽しかった思い出です。ただ、ある試合の日、下級生は分担して用具を持って行かなければならないのに、担当のボールを忘れてしまい、チームメートに迷惑をかけてしまったことは、今も夢に出てきます。高1の時、阪神タイガースが38年ぶりに日本シリーズで優勝しました。リーグ優勝の翌日学校に行くと、屋上で阪神の応援旗を振り回す人がいて、授業の前にはクラス全員で『六甲おろし』を熱唱。すごく盛り上がりました。男子校ならではの雰囲気でしたね。北大路祭(学園祭)も、大学の学園祭のようで自由でおもしろかったです。その期間だけ他校の女子が学校に来るのもちょっと楽しみでした。
「絶対にこうすべきだ」という
こだわりのない気質は
型にはめない立命館中高の教育の賜物


中高の6年間は自転車で学校に通っていました。北大路学舎を卒業した最後の学年です。自由でおおらかな校風でしたが、悪いことをすればしっかり叱られ、自由には責任が伴うということを、身をもって指導していただいた日々だったと思います。班ごとに自由なルートを考えて比叡山に登り、頂上で集合するなど、自ら考えて行動する授業も多くありました。型にはめず伸びるところを伸ばそう、一人一人の生徒を一個の人格として接しよう、といった先生方の方針が私たちに伝わってきました。「絶対にこうすべきだ」「これ以外は認められない」などとこだわることのない私の気質は、立命館中高の教育の賜物かもしれません。
私は元々、公務員になろうと考えていたわけではありませんでした。高2で肘を痛めて軟式野球部を退部した後、時間ができたので外部受験を思いつき、理系だったのに数学が苦手とわかって経済学部に入学したものの、国際政治学の高坂正堯先生の指導を受けたくて法学部に転部。先生のゼミで学ぶうち公共の仕事にも魅力を感じ、民間企業と並行して公務員試験も受け、官庁訪問の中で先輩職員の前向きな雰囲気にひかれて、経済産業省に入省したのです。
将来のなりたい自分から逆算するというよりは、その時々の状況に応じてなんとなく生きてきましたが、どんな時も「なんとかなるだろう」と前向きにやっていると、結果的には良い方向に進めるんじゃないか、振り返るとそんな風に感じます。採用活動などに携わっていると、今の若い人はまじめで、よく勉強して、目指すもの、やりたいことも明確だと感じます。それは素晴らしいことです。でも、思いどおりにいくことばかりではありません。どんな現実も前向きに進むと、きっとうまく行きます。若い皆さんには、「未来は明るいよ。自信を持って進んで」と言ってあげたい。心からそう思います。
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