
1975年 卒業
ゲーム制作の裏方に徹することで
企画提案型受託開発最大手へと成長。
京都と立命館に恩返しをしたい。


齋藤 茂 氏
SAITO Shigeru
株式会社トーセ 代表取締役会長 兼 CEO
Profile
1975年立命館高等学校卒業。立命館大学理工学部卒業後、株式会社東亜セイコー入社、1979年株式会社トーセ設立を主導し、1987年株式会社トーセ代表取締役社長就任。 2004年9月からCEO(最高経営責任者)兼務、2015年より現職。現在、京都商工会議所副会頭、一般社団法人京都経済同友会幹事、公益財団法人京都産業21副理事長、一般社団法人京都知恵産業創造の森副理事長。
誰もが知る人気ゲームを開発
裏方に徹して2400タイトル以上
開発実績の一例

© SQUARE ENIX CHARACTER DESIGN: TETSUYA NOMURA

© ARMOR PROJECT/BIRD STUDIO/SQUARE ENIX

Tales of Graces™f Remastered & ©Bandai Namco Entertainment Inc. ©いのまたむつみ
(左上)クライシス コア -ファイナルファンタジーVII- リユニオン/株式会社スクウェア・エニックス
(左下)ドラゴンクエストモンスターズ3 魔族の王子とエルフの旅/ 株式会社スクウェア・エニックス
(右上)テイルズ オブ グレイセス エフ リマスター/株式会社バンダイナムコエンターテインメント
(上)クライシス コア -ファイナルファンタジーVII- リユニオン/株式会社スクウェア・エニックス
(中)ドラゴンクエストモンスターズ3 魔族の王子とエルフの旅/ 株式会社スクウェア・エニックス
(下)テイルズ オブ グレイセス エフ リマスター/株式会社バンダイナムコエンターテインメント
株式会社トーセは、ゲームやデジタルコンテンツの企画・開発・運営を行う企業です。1979年の設立以来、誰もが知るような人気シリーズ作品やスマートフォンゲームなど大小2400以上のタイトルを手がけてきました。でも、当社の名前は知られていません。当社はメーカーから依頼されたり、メーカーへ企画を持ち込んだりして、裏方で開発を請け負ってきた会社だからです。
父の会社から社内ベンチャーのような形で独立した当初は、当時大ブームだったインベーダーゲームの組立だけを行っていました。「自分でもゲームを作ってみよう」と一念発起してゲーム作りのアイデアを生み出すヒントとなりそうなマンガを読み、見よう見まねで企画書を書いて、デザイン、作曲、さらには営業や経理も一人でこなしながら完成させた最初のアーケードゲーム*がそこそこ売れたのです。その後、家庭用のゲーム機が発売されて、そのソフトウェア開発にいち早く参入し、急成長を遂げました。
当社と同じような会社もたくさん生まれました。でも一様に自社の名前を出せるメーカーを目指そうとするので、すぐに当社のライバルではなくなっていきます。私は「ニッチのナンバーワン」つまり、裏方に徹することでその分野のナンバーワンになろうと決めていました。当社がゲーム業界で企画提案型受託開発最大手と言っていただけるようになったのは、一度もお客様を裏切ることなく、請け負った仕事を最後までしっかりやりきることで信頼を積み重ねてきたからだと思います。ニッチな世界でナンバーワンになり、上場することもできました。
*アーケードゲーム:アミューズメント施設等に設置される業務用ゲーム機。
京都ハンナリーズの後援会長として
観戦を続け、選手と家族を自宅に招く
京都の会社として、京都には恩があります。東京のお客様が、会社や自宅にお招きすると喜んで来てくださるのは、ここが京都だからです。自宅で20年以上続けている花見の会に、毎年ご夫婦で来てくださる方もたくさんおられます。だから恩返しのつもりで、京都に関わる経済・文化振興団体の公職を兼任してきました。
プロバスケットボールBリーグに所属する「京都ハンナリーズ」の後援会長も務めています。都合がつく限りホームゲームは観戦しており、目の前で迫力ある試合が展開されるのは本当に面白いです。ゲームで最も活躍した選手「Man of the Match」を表彰するのも私の役目。選手とその家族を自宅に招いての食事会やバーベキューも定期的に開いています。
京都ブランドの価値を高める活動を、今後もできる限り続けていきたいと考えています。

Column
趣味でやっていることは、すべてゲームソフトの題材に取り込んできました。自分でやっていることは企画もできるからです。バスケットボールのゲーム、ゴルフのゲームも作りました。競馬はたしなまないのですが、騎手の友人がいます。釣りも好きで、これまでに海釣りやバスフィッシングのゲームを制作しました。長年熱心にやっているのはカジキ釣りです。既定のルールのもとで船を走らせながらルアーを曳くスポーツフィッシングで、水温や潮の流れを見てポイントを予測したり、漁師が使う太い糸ではなく、細い糸で、切れないように時間をかけて上げたりするところにゲーム性があり、面白いです。趣味と仕事の境目があまりなく、どちらも楽しんでいます。
高校の思い出はバスケ一色
冷房のない体育館で
極限状態を味わった

父が立命館大学出身なので、立命館中学への入学は自然なことでした。北大路学舎で、まだ男子校の時代です。中学ではテニス部、卓球部、物理部などいろんな部活動を経験しました。高校では、バスケットボール部の顧問だった豊田先生に勧誘されて入部。今では考えられないほど練習が厳しくて、夏の合宿では、最後までついていける部員は3分の1くらいしかいなかった記憶があります。冷房もない体育館で極限状態を味わいましたが、根性で乗り切っていました。高校時代の思い出はまさにバスケ一色です。
高校を卒業したのは昭和50年(1975年)。今年は卒業から50年目なので、清和会の総会・懇親会では同級生一同で檀上に上がることになっています。清和会の第9代会長も拝命しましたので、できるだけ多くの同級生に参加してもらえるよう、学年幹事会一同と話し合っているところです。
立命館はバランスが良い学校だと思います。わんぱくなところもあり、上品なところもある。最先端の設備もあれば、お茶室もある。そんなバランスを大切にしてほしいという願いを込めて、今も立命館にさまざまな形で関わらせていただいています。例えば小学校に図書を寄付しているのは、デジタルネイティブの子どもたちにアナログの本を読む楽しさも知ってほしいからです。ハンナリーズの試合に小中学生のみなさんを招待したこともありますし、私が大会会長を拝命している女子プロゴルフのトーナメント「京都レディースオープン」への招待も計画中です。お世話になった立命館にも恩返しの気持ちです。
スペシャルインタビューを
もっと見る
- Home
- 時代を超えて〜挑戦する卒業生〜
- 齋藤 茂 氏