試合は立命館宇治の攻撃から開始。第1シリーズで波に乗りたい立命館宇治オフェンスは関一ディフェンスの猛攻を避けてスクリーンパスを投じるもこれをインターセプトされ、自陣ゴールを背にしてのいきなりの危機。なんとかフォィールドゴールの3点に凌ぐも、第2Qにはファンブルからのターンオーバーでさらに7点を失点。10点のビハインド。その後立命館宇治は7点を返すが、関大オフェンスに守備のスキを突かれて、前半は7-17で折り返す。後半は、それぞれ7点を得て最終は14-24で試合を終えた。
記録によると第1ダウンの獲得は立宇治が15回241yで、関一が4回122y。ボール支配時間は立宇治が29:39で関一が18:21と大きく上回り圧倒したものの、ターンオーバー3回対0回と反則6回対2回と要所でのミスで立宇治が試合の流れを失ったことが分かる。 裏返すと関大一高が試合を通して集中力を持続し、試合の流れを掴んだ。「試合の流れ」などというものは実態が無く目に見えないが、偶然性の積み重ねでチームとチームの間に存在し、試合の結果を大きく左右する。そして、この流れを動かすものは、これまでの練習の量と質に加えて、ひとりひとりの人間性なのではないかと私は感じている。試合の中で、危機は予告無くやってくる。この未知の困難に対応する精神力は日常をどう生きているかという生き様の中で養われる力だ。そうだとすると数学や英語、クラス活動や生徒会活動への向き合い方も含めてアメフトなのだ。このあたりが高校アメフトの奥深く、そしてどのチームも可能性があるという面白さなのだ。春の大会では京都府の予選で敗退したチームが夏にチームを立て直し、秋に後一歩でクリスマスボウルというところまで進めたこの成長は、敗戦の悔しさが考え方や日常を変えたことによる。君たちはまだ終わっていない。まだまだ成長できる。そしてこのチームも沢山の人の思いを束ねて行くのだ。