卒業生インタビュー:久保裕也さん 「外に出ると、当たり前が当たり前じゃない」― 15年の旅を経て、母校へ
本校の卒業生である久保裕也さん(32)が、4月16日、母校を訪問してくださいました。久保さんは2009年に京都サンガF.C.のユース選手として本校に入学。在学中にプロ契約を結び、卒業後はスイス・ベルギー・ドイツ・アメリカの4カ国でプレーし、日本代表としても選出された経歴を持ちます。今年3月に現役を引退し、新たな道を歩み始めています。
今回は校長が聞き手となり、立命館宇治で過ごした高校時代の思い出や、15年間の海外生活で感じたこと、そして引退後に取り組もうとしている新しい挑戦について、じっくりとお話を伺いました。在校生の皆さんにとって、自分のこれからを考えるきっかけになれば幸いです。
久しぶりの母校で
卒業以来、久しぶりに校舎に足を踏み入れた久保さん。校長との会話は、校内を歩きながら始まりました。
校長: お久しぶりです。母校に戻ってこられて、いかがですか?
久保: 変わらないですね、やっぱりいい学校です。今アメリカに住んでいるんですけど、なんだかアメリカの大学みたいな雰囲気があります。
校長:アメリカと似ていますか。
久保: 似ています。綺麗さでいうと、こちらの方がずっと綺麗ですけど。 新しくなった生徒寮の話題にも驚きの表情を見せた久保さん。4カ国を渡り歩いてきたその目に映る母校は、どこか懐かしく、そして誇らしい場所のようでした。
15歳で下した決断 ― 「外に行きたかった」
久保さんは山口県山口市の出身。中学時代に京都サンガF.C.のユースアカデミーにスカウトされ、15歳で親元を離れて京都へ来ました。全国のクラブからオファーがあった中で、なぜ立命館宇治を選んだのでしょうか。
校長:山口県から京都の立宇治に来るというのは、何か決断があったのですか?
久保: いろいろなところからオファーをもらって、サッカーも学校も見させてもらったんですけど、ここほどいい学校は他になかったんです。サッカーの面でも、サンガの雰囲気が自分にとても合っていたので。迷うことはなかったですね。
校長:では、高校1年生で親元から離れるということで、それなりに決断が必要だったのではないですか?
久保: いえ、僕はもう本当に、外に行きたい志向が強かったので。早く家を出たいという思いがあって、そこに迷いはなかったですね。
このときの「外に出たい」という気持ちが、その後15年間にわたる海外キャリアの原点になっていたのかもしれません。
立命館宇治での日々
続いて、高校時代の思い出について伺いました。
校長: 高校時代を振り返って、どんな日々でしたか?
久保: いや、本当に目まぐるしい毎日でしたね。学校のこともしっかりやらないといけませんでしたし、サッカーもやっていたので。この学校には、たくさんの思い出があります。
校長:例えば、どんな思い出ですか?
久保: サッカー中心の毎日でしたけど、勉強もちゃんとやらせてもらって楽しかったです。
当時の担任だった谷口玲子先生の名前も挙がりました。
久保: 玲子先生で良かったです。やっぱり理解があって、サンガの生徒たちにも融通を利かせてくださった気がします。
体育祭のリレーで「ぶっちぎりで速かった」という思い出話になると、久保さんは笑みを浮かべながらこう続けました。
久保: まあ、そういうためにいるようなものですからね、基本的に。そういう部分で目立たないと、僕らの価値はなかったと思いますから。スポーツのところで輝かないと、という意識はありました。
スポーツで学校に貢献する。その自覚を15歳の頃から持っていたことが伝わってくる言葉でした。
世界で学んだこと ― 「当たり前が当たり前じゃない」
2013年、19歳でスイスのBSCヤングボーイズへ移籍。その後、ベルギー(KAAヘント)、ドイツ(1.FCニュルンベルク)、再びベルギー、そしてアメリカ(FCシンシナティ)へと、4カ国でプレーしてきました。
校長:いきなりスイスに行きましたよね。スイスは英語ではないですよね?
久保: ドイツ語でした。一から学んで、練習後にレッスンを入れて。そのあとベルギーに行って、ドイツに行って、またベルギーに戻って、今アメリカ、となったので、自分自身に英語の基盤がもっとあれば良かったなと思いました。学生時代にしっかり英語をやっておけば、もう少し楽だったと思います。
高校時代に英語をもっと学んでおけばよかった ― これは、在校生に伝えたい大切なメッセージでもあるようです。続いて、海外での生活で得たものについて伺いました。
校長: 海外に行って、一番良かったなと思うのはどんなことですか?
久保: 視野が広がりましたね、やはり。日本にいたときは日本の世界しか知らなかったので、外に出ることによって、国ごとに常識があって、それぞれの価値観があることを知りました。僕たちが当たり前だと思っていた価値観は、必ずしも普通ではないのだと、外に出て感じました。
校長: それはサッカーの価値観ということですか?
久保: サッカーの価値観もそうですし、日常生活もそうなんですけど、すべてにおいて「当たり前が当たり前じゃない」というのを感じましたね。
4カ国で暮らしてきた久保さんの言葉には、重みがありました。
アメリカに残るという決断
2020年にアメリカ・FCシンシナティへ移籍してから6年間。昨シーズン限りでチームを退団した後、日本でプレーを続ける選択肢もあったといいます。しかし久保さんは、きっぱりと現役引退を決断しました。
校長: サッカー選手としての人生に区切りをつけるという決断は、相当悩まれたのではありませんか?
久保: 悩みましたけど、アメリカにいたいという思いの方が強かったんです。日本に戻ってまたプレーするという選択肢もあったんですけど、それがどうしても選べなかった。アメリカでの生活は、子どもたちも含めてすごく快適で、今後もいたいと思ったので、きっぱりと。
現在はオハイオ州シンシナティに拠点を置き、お子さんたちも現地校でそのまま英語で育っているそうです。15歳で山口を離れたときと同じように、今度はアメリカに「残る」という決断を、迷いなく下したのです。
新しい挑戦 ― 「Kプロジェクト」始動
現役引退を発表してから、久保さんはすでに次の一歩を踏み出しています。シンシナティを拠点に、新会社「Kプロジェクト(Kプロ)」を立ち上げたのです。
校長:会社を立ち上げられたそうですね。どんな思いから始められたのですか?
久保: せっかく海外でいろいろな経験をさせてもらったので、日本とつながることをしたいと思ったんです。例えば高校生で、プロになれる選手はそのまま進んでいけばいいと思うんですけど、そうなれなかった選手たちを、アメリカの大学や海外へ連れて行けたらいいなと思っていて。
久保さんのプロジェクトは、基本的にはスポーツスカラシップ(奨学金)を活用し、日本の高校生をアメリカの大学に送り出す仕組みです。対象はサッカーだけではありません。アメフト、チア、テニス、ゴルフ、野球 ― スポーツ全般を視野に入れています。短期留学やホームステイ、中学生のサッカークラブ留学などの入門レベルから、現地クラブチームへの参加、トライアウトなど競技レベルまで幅広く対応したいとのこと。
久保: 基本的に僕らスタッフは全員現地組なので、現地での対応はフルサポートできます。ビザの手配から渡米まで、すべてサポートできる体制を整えてから動き出そうと思いました。むしろ、日本側に窓口がないというのが、一番の課題なんです。将来的には、アメリカの大学を経てプロサッカー選手としてキャリアを築く学生が生まれることも十分に期待できると考えています。文武両道を重視する立命館の生徒であれば、その可能性は十分にあると感じています。
この話を聞いた校長は身を乗り出しました。本校でも、IBコースを中心にアメリカの大学へ進学する生徒が増えており、アメフト部はすでに夏にアメリカの高校との合同練習を行っています。国際センターでは海外留学の派遣・受け入れも盛んです。
久保: 立宇治の生徒さんが来てくれたら、本当に理想的だと思います。学力もありますし、スポーツもできますから。
校長: 非常に親和性が高いですね。本校もちょうど、新しいグローバルな取り組みをもっと進めていかなければと考えていたところでしたので。
話は具体的な連携の可能性へと広がっていきました。
後輩たちへ ― 「安泰はない」
インタビューの終盤、在校生へのメッセージをお願いしました。久保さんは少し考えてから、穏やかに、しかし力のこもった口調で語ってくれました。
久保: ここにいると、この日常が当たり前だと思ってしまうんですよ。でも、決して当たり前じゃないんです。この後もずっとこんな感じで続いていくだろうと思ってしまうんですけど、一回外に出ると、多分そうじゃないと気づくので。安泰はないということは、考えておいた方がいいと思います。僕自身も含めて。
校長: 危機感を持った方がいい、と。
久保: はい、いい意味で。
決して厳しいだけの言葉ではありません。その先に続けてくれたのは、外の世界に飛び出すことの「希望」でした。
久保: 海外に出れば、言語や文化の違いにぶつかることは必ずあります。でも、その分、人間的に大きくなれると思うので。そこはプラスだと思います、間違いなく。
久保: せっかくこれだけ恵まれた環境があるのに、活かさずに終わるのはもったいないと思います。なかなかない環境ですから。なんなら今すぐにでも行きたい、というくらいの気持ちでいてほしいですね。
少子化が進み、日本経済も先行きが見えない時代。だからこそ「グローバルに活躍する人がどんどん出てくること」が必要なのだと、久保さんは語ります。
おわりに
15歳で山口から京都へ。19歳で京都からスイスへ。そして32歳で、プロサッカー選手としてではなく、次世代を海外へ送り出す「橋渡し役」として ― 久保裕也さんの挑戦は、また新しいステージへと移っていきます。
校長: ぜひまた母校に来ていただいて、生徒たちにお話をしてもらえたら嬉しいです。
久保: もちろんです。喜んで。
母校を後にする久保さんの背中には、これからもまだまだ長い旅が続いていく、そんな力強さが感じられました。久保さん、ありがとうございました。これからのKプロジェクトの歩みも、立命館宇治は応援しています。
<取材・構成:立命館宇治高等学校>
