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- 法律で社会を変える研究者たち
- 常識に根ざした法解釈を(安達 光治 准教授)
刑法は犯罪とそれに対する刑罰を定める法律です。刑法の世界では「罪刑法定主義」という大原則があるため、どのような行為が犯罪にあたるかが刑法の解釈によって決定されます。法の解釈とは非常に曖昧な面もあって、ある行為が犯罪行為に当たるのかを明確にすることは非常に難しい場合があります。例えば、目だし帽にサングラスという怪しい集団がタクシーを利用して銀行へ行き、銀行強盗をした場合、タクシーの運転手に罪はあるのでしょうか。結果的に犯罪の手助けはしていますが、職務をこなしただけで強盗に積極的に加担したわけではありません。この場合、罪に問えるのでしょうか。この運転手のような立場を「中立的行為による幇助(ほうじょ)」と言います。たとえば、このような問題に関して、誰に犯罪の責任があるのかを理論立てて説明していくのが私の研究課題です。その研究を通じて、因果関係、故意、過失、正当防衛、共犯などの問題に対し、「客観的帰属」という観点から問題となる概念や基準を理論化し、妥当な解決をはかることを目指しています。
法の解釈は慎重に行われ、厳格なものであるべきです。なぜなら刑罰を課すのは国家権力ですし、無期懲役や死刑など非常に重い刑罰もあります。従来、刑法は因果関係を基調として解釈されていました(私はこれを「因果主義」と呼んでいます)。しかし上記のタクシー運転手の例のように、因果関係だけでは理論的に妥当な解決をはかることができない事例も存在します。あらゆる状況に通用する法であるためにも、因果関係を踏まえた上で犯罪の概念を体系的に把握し、社会的意味を組み込んだ形で解釈する必要があります。そのためには、個別事例の判断を一般化、常識化していくことが重要。それが安心して暮らせる社会に必要な法律解釈の方法です。つまり法の解釈には社会の常識が根底にあるのです。常識に沿った解釈の方法論を、形式的にではなく事案に即した丁寧な判断の下で行うためにも、私たち自身が社会的常識を備えねばなりません。立命館大学の学生には、法学の学びや課外活動を通じて、広い視野と確かな正義感を養い、人間としての常識を身に付けて欲しいですね。
- 他店よりも格段に安く軽油を販売するガソリンスタンドがあり、客は常識外の安さに怪しさを感じながらも、利用していました。ある日そのスタンドが脱税をしていたことが発覚し、経営者は逮捕、起訴されました。この場合、客は罪に問われるのでしょうか。購入者がいなければ、課税対象は生じないので脱税の問題にはなりません。それゆえ、客は脱税に対して重大な影響を及ぼしているのです。また、怪しいのを分かって買うのですから故意も認められ、上で説明した因果的な思考(因果主義)によると、幇助と言えます。しかし結果は無罪。裁判所は、客は購入者として振舞っただけという社会的立場に着目して罪に問いませんでした。このような事例はいくつかあり、ピンクちらしの印刷をそれと知りながら請け負った印刷業者のように、逆に罪に問われた例もあります。ニュースでの判決を見るときに、このような視点を持ってみるのも面白いかもしれません。
- 【相当因果関係】
- 刑法において、実行行為と犯罪結果を結びつけてよいか(因果関係があるか)どうか判断する概念。単純な因果関係だけでは該当対象が拡大しすぎる。そこで社会生活上の経験に照らして通常その行為からその結果が発生することが相当なもの、つまり常識で考えられる範囲内に絞る。それにより偶発的な事情を排除できるため、刑法に適応するとして刑法学において通説となった。