普遍的な法解釈のために確固たる常識を身に付ける。

刑法は犯罪とそれに対する刑罰を定める法律です。刑法の世界では「罪刑法定主義」という大原則があるため、どのような行為が犯罪にあたるかが刑法の解釈によって決定されます。法の解釈とは非常に曖昧な面もあって、ある行為が犯罪行為に当たるのかを明確にすることは非常に難しい場合があります。例えば、目だし帽にサングラスという怪しい集団がタクシーを利用して銀行へ行き、銀行強盗をした場合、タクシーの運転手に罪はあるのでしょうか。結果的に犯罪の手助けはしていますが、職務をこなしただけで強盗に積極的に加担したわけではありません。この場合、罪に問えるのでしょうか。この運転手のような立場を「中立的行為による幇助(ほうじょ)」と言います。たとえば、このような問題に関して、誰に犯罪の責任があるのかを理論立てて説明していくのが私の研究課題です。その研究を通じて、因果関係、故意、過失、正当防衛、共犯などの問題に対し、「客観的帰属」という観点から問題となる概念や基準を理論化し、妥当な解決をはかることを目指しています。

法の解釈は慎重に行われ、厳格なものであるべきです。なぜなら刑罰を課すのは国家権力ですし、無期懲役や死刑など非常に重い刑罰もあります。従来、刑法は因果関係を基調として解釈されていました(私はこれを「因果主義」と呼んでいます)。しかし上記のタクシー運転手の例のように、因果関係だけでは理論的に妥当な解決をはかることができない事例も存在します。あらゆる状況に通用する法であるためにも、因果関係を踏まえた上で犯罪の概念を体系的に把握し、社会的意味を組み込んだ形で解釈する必要があります。そのためには、個別事例の判断を一般化、常識化していくことが重要。それが安心して暮らせる社会に必要な法律解釈の方法です。つまり法の解釈には社会の常識が根底にあるのです。常識に沿った解釈の方法論を、形式的にではなく事案に即した丁寧な判断の下で行うためにも、私たち自身が社会的常識を備えねばなりません。立命館大学の学生には、法学の学びや課外活動を通じて、広い視野と確かな正義感を養い、人間としての常識を身に付けて欲しいですね。