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- 法律で社会を変える研究者たち
- 法と社会がマッチするために(平野 仁彦 教授)
現在の私たちの国は立憲民主制に基づく法治国家です。法治国家ですから法を守らなければなりません。立憲民主制ですから、憲法を国の基本法とし、その枠内で民主的に法をつくっていかなければなりません。
しかし、民主的につくられた法が合理的とはいえない場合や少数者・弱者の人権を侵すような場合、それでも法を守らなければならないのでしょうか。憲法が国の基本法であるというのはどういうことなのでしょう。またなぜそうなっているのでしょう。一体、法とは何なのでしょうか。
近年、基本的な権利としての自己決定権に注目が集まっています。日本国憲法ではその第13条に位置づけられる権利ですが、これが今日のさまざまな法制度改革を方向づけています。患者の自己決定権に基づくインフォームド・コンセントの法理はその良い例でしょう。ほかにも、消費者の自己決定権、高齢者の自己決定権、子どもの自己決定権などなどが挙げられます。
この自己決定権は社会の動きや変化にともなって注目されるようになってきた新しい権利ですが、近代法の基本原理である個人の尊重を基礎づけ、表現の自由や信教の自由などさまざまな人権のおおもととなる根源的権利であるとも言われています。
しかし、一人ひとりの自己決定はさまざまですから、自己決定を尊重することは容易に利害対立や意見対立を生じさせます。それはともすると自分勝手やエゴイズムに法のお墨付きを与えることにさえなりかねません。今日の社会が求める自己決定権は社会秩序を混乱させる危険をともなうものだとも言えます。これをどう考えたらいいのでしょうか。
法哲学は新たな法の捉え方に取り組みます。社会の動きを無視して法は成り立ちませんが、社会の実態だけに合わせることもできません。また、法律で決められているからというだけでは問いがそこでストップしてしまいます。さらに一歩二歩と歩を進め、広い視野に立って法のありようを考察し、社会の動きに対応したその適切な役割を見定めようとします。
- 「男子は丸刈り」という校則をどう考えますか。現在ではほとんどありませんが、1980年代になお公立中学の三分の一はそのような校則をもっていました。1985年に熊本の中学生がそうした校則に異議を唱え訴訟を起こしています。当時は表現の自由を中心に争われたため、生徒側の主張は裁判所の認めるところとはなりませんでしたが、今日の自己決定権の観点からすれば、丸刈り強制が看過できない権利侵害を含むと認められるでしょう。生徒にも自己決定権があるのです。そしてその自己決定権は法の根本に根ざすもの。必ずしも常に通るとは限りませんが、権利主張に理由があれば、それは既存の規則の見直しを求めます。利害調整の可能性をさぐらせます。そのようにして、権利は社会の仕組みと質を変えていくのです。
- 【日本国憲法第十三条】
- 「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」この条文は個人の尊重、幸福追求権および公共の福祉について規定しており、日本国憲法が「基本的人権の尊重」を理念とすることの根拠の一つとなっている。
- 【インフォームド・コンセント】
- 医者が患者に「自己決定権」があることを認め、患者は自らの病気や医療行為について「知る権利」があり、治療方法を自由な意思に基づいて決定することができるとする考え方。日本では1997年に医療法改正によって、適切な説明と理解を得る努力をする義務が初めて明記された。