白川静名誉所長紹介

名誉所長・白川静

白川静は日本と中国とが東アジア地域において文化的類型性をもつという広い視野に立ち、中国最古の文字資料である殷・周の甲骨文や金文に対して体系的な研究を行い、中国および日本の古代文化について独創的な研究を築き上げた。その学説は世に「白川文字学」と称され、内外の学界から高い評価を得た。数万片の甲骨資料をすべてトレースして書き写すという、余人にはなしがたい基礎作業を通して、漢字の原義を字形学的に体系化、甲骨文字や金文といった草創期の漢字の成り立ちにおける宗教的、呪術的背景を字形分析から明らかにした。

 その真意を解明した独自の学説は、1900年もの長い間、字源研究の聖典として権威をもった後漢の許慎『説文解字』の誤りを指摘した。六十余年におよぶ漢字研究の成果を、独力で大冊3部の辞書(『字統』『字訓』『字通』)に編纂し、漢字文化の豊かな世界を広く世人に理解せしめ、今後の文字表現のあるべき道を示唆した。

 白川の研究は、もともと日本の古代を考察することに端を発しているが、比較研究の必要性から中国の古代に広がり、漢字文化圏全体に亘る壮大な研究になっている。その結果、広く東アジアの漢字文化圏の文化に対して多大の研究成果を挙げた。1998(平成10)年11月、文化功労者として顕彰され、2004(平成16)年11月文化勲章が授与された。2006(平成18)年10月死去。

サイ 「サイ」の発見

 「口」を持った漢字の多くは、「くち」と解釈したのでは意味が通らず、神事に関すると考えて始めてその漢字の持つ意味が浮かび上がる。「口」の原形は「サイ」。白川は神に対して載書(祝詞)をあげるときの供えの器を象徴したものと解く。「サイ」はト辞(亀甲・獣骨を焼いたそのひび割れで占った内容や吉凶を、それに刻んで記した文)では「載(おこなう)」の意味に用いるので、白川はこれを「サイ」と名づけた。

 例えば「告」は、『説文解字』では「牛は人を突くので、角に横木を取り付けて、それで人につげ知らせたもの」と解釈する。しかし白川は、その象形「 」を見て、「」は榊の枝葉、「口」はサイで、器に榊の枝葉を掲げて神への報告やおつげを待つときのスタイルを表すと解く。漢字の起源は民間の暮らしではなく、神事と政治に関わりがあった。漢字の形成を通して古代人の思想が浮き彫りになる。

--- 『説文解字』と白川説との対照例 ---

漢字 『説文解字』 白川説
「夕」は暗い夜の意。暗夜は相手の顔が見えないから、口で自分から名乗る。 「夕」は肉の省略形。神に祭肉を供え、祝詞をあげて子どもの成長を告げる儀式を行い、そのとき名をつける。
士人(立派な人)の言には、捨てるべきものがない。 「士」は鉞の頭部。「サイ」の上に小さい鉞を置き、祝詞に害がないよう守る。

鳥が飛ぶ稽古をする。「白」は音を表す。 下部は「曰」。「サイ」に繰り返し羽で擦りつけて、祈りの効力を刺激する。
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