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情報をどのように捉え、活用するべきか
部数が減少する新聞の現在とともに考える

取材時期:2021年

インタビュー

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  • メディア社会研究領域柳澤伸司教授

研究テーマを教えてください。

柳澤

主な研究はジャーナリズム論。新聞と読者の関係を研究しています。私は、読者の質に比例して新聞の質を高めていかなければならないと考えていて、新聞(ジャーナリズム)をよくするには読者を育てる必要があると思っています。

新聞が主流メディアだった時代は、ほぼすべての家庭で新聞を購読していましたが、最近は新聞を購読しない家庭が増えてきました。テレビやネットなどで情報が得られるようになるなか、新聞社が新しいメディアの変化に対応できなかった結果、人々の新聞離れが急速に進んでしまいました。

「NIE(新聞利用学習)」とは?

柳澤

「社会をよくするために新聞が必要」「新聞をよくするために読者の育成が必要」といった立場から、小中高校の教育現場に新聞を取り入れる「NIE(Newspaper in Education; 新聞利用学習)」の働きかけを行っています。もともと、小中高校では教育学の立場から、教科教育を充実させるために新聞を活用するケースが多く、メディア研究からのアプローチとは異なっていると考えています。

メディア論の観点からいえば、新聞というメディア特性を踏まえて扱う必要があると感じます。新聞にはそれぞれの歴史や視点、論調も異なっていて、そこで伝えられる記事にも特徴があります。新聞は「生きた教科書」と言われますが、日々の出来事を記録していく新聞を教育現場で扱う際はそうした「生もの」を扱っているという認識が必要だと考えています。

小中高校では、メディア・リテラシーの授業として複数の新聞社の「社説を比較して、新聞の論調の違いを明らかにしよう」という授業を行うことがあります。確かにこれはよい学習方法だと思います。新聞は良い意味で偏っています。それは自由で多様な言論が成立しているということでもあるからです。論調の違いに気づかせるだけでなく、言論の自由を支えるメディアという観点から先生方には新聞と向き合ってほしいと思っています。

以前は、教育現場に新聞を取り入れることに反発する人も多かったそうですね。

柳澤

歴史を遡ると、戦争を体験した先生方は、戦時中の新聞がどのような役割を果たしてきたかを知っていました。戦争責任が問われたドイツやイタリアの新聞と違って、日本の新聞は戦後もそのまま続いてきたこともあり、教育現場に取り入れることに抵抗を感じた人もいました。

1950~60年代は新聞の販売競争が激化し、教育現場では「子どもたちを販売競争に巻き込むな」という教師の声と、テレビなど新たなマスコミの登場でその商業主義に対する懸念も意識されるようになりました。社会や政治権力への監視は新聞の役割ですが、そうした新聞を教育現場で使うことが難しくなりました。

1980年代に入ると新聞業界から教育現場で新聞を活用してもらうといった動きが拡がります。同時に、新聞に対する行政の考え方も変化していきます。現在は、学習指導要領に「新聞を活用する」という観点も入り、先生方は教室で新聞を使えるようになりました。

新聞の部数減少に対してどう考えていますか?

柳澤

家庭で新聞を購読する習慣がどんどん失われています。今や、紙の新聞を読んでいるほとんどが、60歳以上の高齢者。若い人たちは、情報の大半をスマホを使ってネットから得ています。

新聞には確かに各社の色があり、しかし同時に、多様な言論や考え方から取捨選択して情報を得ることができます。社会にとっては、こうした多様性が提示されていることはよいことです。ページをめくるたびにさまざまな情報に触れることができるため、偏りのない情報収集につながります。

一方、スマホは、読めば読むほど類似の情報が表示されやすい仕組みになっています。自分の考えに近い情報ばかりが入ってくるため、偏った思考様式が形成されやすいのです。週に一度くらいは「紙の新聞を読む」という時間を持ち、自分の思考様式がどのように形成されているのかに向き合うべきと思います。

今後、ネットのジャーナリズムの質は高まっていくのでしょうか?

柳澤

期待したいのですが、ネットはまだまだ発展途上。もちろん、ネット空間にもジャーナリストはいるし、取材して記事を書く企業もあります。しかし、ビジネスとして成り立たせるのはまだまだ難しい側面があります。

ネットにはさまざまなニュースサイトがあって、そこにアクセスするだけで大抵の情報が手に入ります。それらの多くは新聞記者が取材した新聞社の記事なのです。それでも大半の人はお金を払ってまで、それ以上の情報を得たいとは思っていません。

かつて、「インターネット新聞を作る」という試みもありましたが、結局は経営が成り立ちませんでした。新聞には記者が必要で、記者が取材をするための取材力と経費も必要です。それを支える取材体制と経営体制を作ることができなかったのです。

新聞社は今のところ、購読者がいるのでなんとかやっていますが、今後、購読者が減っていくことで取材活動に影響が出てくる可能性があります。民主的な社会にとって適切な情報と自由な言論空間を得るためには、そうした新聞(ジャーナリズム)を支えていく必要があるのです。

多くの人は、「新聞なんてなくなってもいい」と簡単に考えてしまいがちですが、もしも新聞がなくなったら誰が取材を行ない情報を伝え、誰が情報の裏付けを取るのでしょうか。「いつの間にか情報が届いている」という現状に慣れすぎていると感じています。

メディア・リテラシーを身につけるために大切なことは?

柳澤

「世の中には多様な考え方がある」と受け入れることでしょうか。新聞や放送の役割は世の中で起きている事実を伝えること。それに伴って、さまざまな表現方法がある。権力への批判もその一つです。それぞれの言論や表現の違いを受け入れ、認めることが大切です。

多様性が大切と言われる時代ですが、他者の考えを意外と受け入れない。自分の考えが前提になっていて、その考えがどうやって形成されたかを考えることもありません。けれども私達は、一人ひとり育ってきた環境も違うし、糧にしてきたものも違います。人と人が分かり合うには、分かり合えないという前提で分かろうとする努力が必要です。

それはメディアも同じで、作り手が伝えたいことを、受け手がまっすぐ受け取ってくれるわけではありません。送り手の思いとは異なる、誤解のようなかたちで受け入れられることもある。こうしたすれ違いは、学校という教育現場でも頻繁に起こっています。

メディア・リテラシーの出発点は、「今までは考えもしなかったことに気づく」こと。例えば学校教育が掲げる「みんな仲良く」という教えは、たしかに間違いではない。それでもひょっとしたら子どもたちをしばっているかもしれない。思考停止することなく、こうした「当たり前」にも疑問を持って考えていくことが大切です。

だから、先生の言うことであっても、時には疑ってみる。これはメディアに対する態度でも同じです。「これってどうなのかな?」と思う姿勢を身につけておきましょう。

社会学研究科の面白いところを教えてください。

柳澤

さまざまな先生がいて、独自の視点からそれぞれの研究にアプローチしている。まさに、多様性のるつぼになっていると感じます。ほかの先生方と共同でシンポジウムを開催するなど、多様な先生方とのコラボレーションもおもしろいですね。