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「サッカーリーグと地域」を研究した、
社会人から院生になったオ・オンユさんの場合

取材時期:2021年

修了生と教員との対談

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  • スポーツ社会研究領域権学俊教授
  • 修了生オ・オンユさん

出会ったときのエピソードを教えて下さい。

オさんは、「サッカーリーグと地域社会の関係を研究したい」という強い考えを持っており、私の研究室に相談にやって来ました。というのも、オさんのご家族(妻)が立命館大学の産業社会学部 スポーツ社会専攻の1期生。院生時代には、私の授業をとっていたというつながりがありました。

その後、もう一度会って話を聞くと、私が考えていたJリーグに関する研究と、オさんが目指す研究の到達点が近いと分かりました。それまでのJリーグの研究は、経営やマネージメントに焦点を当てたものが多かったのですが、オさんは地域社会に及ぼす影響に興味を持っていました。そういう意思のもとに、オさんは入学準備を進めることになりました。

入学準備はどうでしたか?

社会人入試で入ってくる院生の多くに言えることですが、大学の学びから離れていた期間があるので、研究に必要な専門的な知識がどうしても足りない。研究テーマをまとめる作業が最初の難関でしたね。オさんは留学生として日本の大学にやってきて、卒業後は、Jリーグのサッカークラブで通訳などをして働いていました。

週2〜3回電話がかかってきて1時間半ほど話した

その後、入学するというわけですね。

1回生までは研究の面で足りない能力も多いと感じていましたが、オさんほど必死に取り組んだ院生はほかにいないと思います。どの分野でも、論文をまとめるには、専門分野の古典と言えるような、基本的な考え方、重要な学説を理解しておく必要があります。確認しておいてもらいたい、読んでおいてもらいたい論文もいっぱいあり、夏休みも冬休みも、毎週進捗を報告してもらっていました。

2年間、大学院の週1回の授業に加えて、オさんの進捗を確認してはフィードバックすることの繰り返しでしたね。週に2〜3回ほど、「こういう問題について、先生はどのように思われますか」「こうまとめようと思っていますがどうですか」と電話がかかってきました。1回の電話で1時間半ほどしゃべるので、大学院の授業の1限分と時間はあまり変わりません(笑)。

オさんは結婚していましたし、家族に対する2年間研究させてもらうことへの、ちょっと申し訳ないような気持ちもあったんじゃないかなと思います。

考えやアイデアが浮かぶとメモをとっておく

先生には毎回1時間以上、電話で丁寧に教えていただきました。当初は、こんなに頻繁に電話をしてしまって、失礼にあたるかなとも思っていましたが、気になったことを可能な限り確認しておきたいという気持ちが強かったです。

先生に教えてもらったことのひとつが、なんでもメモを取る癖をつけること。研究を進めていると、ふと、考えやアイデアが浮かぶことがあります。メモを取っておいて後で調べるという方法は、研究をすすめる上でかなり役立ちました。

これは、自分が院生だった頃からの習慣で、移動中や入浴中も、ぱっと思い浮かんだことをメモしておいて、研究や論文に反映させる。研究のストーリーというか、調理で言えばレシピのような、こういう手順で進めるとどうだろうというイメージもメモしておきます。

研究において難しかったことは?

Jリーグが地域に与える影響を研究するにあたって、街づくりや日本の歴史、Jリーグのあらゆる取り組みを調べなければなりませんでした。また、ほかの院生なら知っているような基礎知識も不足していたので、本当にゼロからすべて調べ直す必要がありました。

最初は自分の言葉で表現する力が足りず、宿題をやっているだけのような感覚もありましたね。しかし、繰り返すことで、徐々に自分の言葉でまとめ、表現する力がついていったと思います。

1回生のときには、授業や私との電話のコメントについて調べてまとめていました。約束を破ったことは一度もありませんでしたが、与えられたことをやってくるに留まっていました。

関心があるテーマに文献を読んで整理するだけでは、学習に過ぎません。大学院の研究では、自分で思案して、オリジナリティを見つけて明確に文章にまとめることが求められます。

包括的で学際的なアプローチがポイント

オ・オンユさんの研究におけるオリジナリティとは?

Jリーグのホームタウン活動が地域社会に及ぼす影響を、総合的に捉えようとしたこと。クラブチーム個別ではなく、自治体や地域住民との関係に着目した、包括的で学際的なアプローチがポイントです。

松本山雅FCや川崎フロンターレといった複数のクラブチームだけでなく、時にはJリーグの発足前に遡ってさまざまな問題を取り上げました。地域との関わりや地域政治との力学なども含めて、日本の地域社会の特質を明らかにした研究と言えます。これを外国人研究者としてなし得たことが、彼の研究力の高さを証明しています。

研究ではどのように結論づけたのでしょうか?

Jリーグが地域に及ぼす影響はまだまだ小さく、これをもっと大きくしていくべき。といっても、地域全体を盛り上げる取り組みは、各クラブチームだけでは限界があるので、行政や商工会議所、市民も含めて、地域密着で地域全体が参加できるような活動にしていかないといけないと感じています。

1年半で格段に高まったオさんの研究能力

実は、彼が1回生のとき、ドクターコースの進学を相談されたことがありました。そのとき、「それは難しい」と伝えました。博士課程に進学したい気持ちは尊重するものの、オさんの能力では、特に批判能力が足りないと感じていました。

しかし、2回生の後半には、私の方から「ドクターコースに進学してもいいんじゃいか」と伝えました。それほど、この1年半で彼の研究能力は格段に高まっていました。

修士論文は、副査の先生も驚いたほどの水準でまとまっており、ほかの院生のレベルとの差は明白でした。兵役を終えた後、会社経営しながらドクターコースに進学することも十分に可能だと思っています。

その場合にはやはり、先生のもとでやっていきたいですね。ドクターコースでは、地域に着目しながら、韓国と日本の比較研究をしたいと思っています。その上で、ドイツやヨーロッパの水準まで、クラブチームと地域との関係性を向上させ、活発化させる方法があるのか。これは、先生も興味を持っている分野だと思うので、話をしながら決めていきたいと思います。

僕はいつか、自分のクラブチームを持ちたいという夢があります。誰でもクラブチームを訪問でき、クラブと地域が、互いに支え合えるような在り方の、今のJリーグのクラブチームよりもさらに地域に密着したクラブチームです。

院生を2、3人サポートしているようで大変でした

今振り返ってみるとどうですか?

オさんの修了後、さみしい気持ちと、ようやく指導が終わるという2つの気持ちがありました。やはり、院生2、3人分相当のサポートをしているような状況だったので、大変でもあったのです(笑)。

今となっては、徹夜しながら資料を読み込んだのも、海外の学会で発表したのもいい思い出です。当初は研究能力が足りなかったと自覚していましたが、無理やりやりきったような2年間でした。

一番印象深かったのは、最終発表の時でしたね。2年間、1日も手を抜くことなくやってきたので、自信を持って発表できると思っていましたし、先生には「この論文は大作だ」とおっしゃってもらって、その言葉に、2年間の苦労が報われた気がしました。

私は韓国の大学を卒業し、1997年に日本にやって来ました。2004年に博士学位授与が決まり、当時の日本人の指導教官の先生と居酒屋に行った時、先生が「握手をしましょう」とおっしゃった。「これからは同じ研究者として、日本と韓国のためになる論文を発表していきましょう」と言ってくれました。それを聞いて、一人前の研究者として認めてもらえたようでうれしかったですし、責任も感じました。

今、オさんに伝えたいのが、「2年間おつかれさまでした」。修士課程の2年間で、自分が注いだ情熱が論文になって戻ってきたことの喜びと、一方で、研究が進んでいない時の怖さ、辛さも感じてもらえたと思います。

今後、オさんの研究がまた実を結ぶならば、日本だけではなく、韓国の学会にも貢献できると期待しています。これからも、できるだけサポートしながら、見守っていけたらと思っています。