この問題、あなたならどうする?
美を磨くことは自分の問題か、それとも社会の問題か?
ジムに通ったり、メイクをしたり、性別を問わず身体的外見を気にかけている人は多いと思います。美を磨くことは個人の自由や努力の問題であるように見えます。けれども、他人から悪く見られたくないのであれば、美を磨かない自由はあまりないのかもしれません。はたして、美を磨くことはどこまで自分の問題なのでしょうか。
- 問題背景
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スキンケアを例に考えてみましょう。昔は、スキンケアをしないことはごく当たり前のことでした(私の父は化粧品だけなく、日焼け止めを使ったことがありません)。ところが今では、スキンケアは男女問わず「美容」ではなく「身だしなみ」の問題とされ、スキンケアをしないことは「不自然」とさえ見なされるようになっています。同じことが、脱毛、ジムでのボディワーク、美容整形にも広がっています。「ふつうでいる」ために求められるケアの量が、年々増え続けているのです。
イギリス、バーミンガム大学教授のヘザー・ウィドウズは、こうした現象が二つの社会問題を引き起こすと指摘します。一つは、「要求水準の上昇」です。「ふつう」の外見を求めて費やされる時間・お金・努力が年々増えていきます。そうすると、時間やお金に余裕のない人は、「ふつう」でない人として差別されるかもしれません。そうした人の数は、今後要求水準が高まるとともに増えていくでしょう(5年後には美容整形が「ふつう」になるかもしれません)。
もう一つは、「外見への不安の増大」です。ウィドウズは「自分の外見に不安がある」と回答したイギリスの若い女性が8割に達するという社会調査を参照しています。美の要求水準が上昇していくと、男女問わず、過度なダイエットやうつ病のような健康被害が増えることが懸念されています。
こうして、私たちは日頃から美を磨くことによって、差別や健康被害の増大という社会問題(あるいは不正義)に加担してしまっているのです。美を磨くことは自分の問題ではなく、社会の問題でもあると言えるでしょう。
- 思考のヒント
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ここで手がかりになるのが、政治哲学者アイリス・マリオン・ヤングが提唱した「構造的不正義(structural injustice)」という概念です。構造的不正義には三つの特徴があります。
①不正義の被害者は、自分のせいで被害を受けたのではない。
②不正義は、誰か特定の人が違法行為を犯したことで起きたのではない。
③不正義は、特定の不正な法律や政策の結果でもない。簡単に言えば、構造的不正義とは、「誰も他人に加害しようと意図していないのに、大勢の人の行動が積み重なった結果として起きた不正義」のことです。
スキンケアが「ふつう」になった背景には色々な要因があります。化粧品企業の戦略やインフルエンサーの宣伝効果もあるでしょう。しかし、企業やインフルエンサーは誰かを加害しようと思って化粧品を宣伝していたわけではありません。スキンケアを推奨する政府の法律があったわけでもありません。誰もが自分で美を磨いていった結果として、私たちの美の要求水準は上がっていったのです。
誰も悪いことをしていないのに不正義が生じているなら、私たちは誰を責めればいいのでしょうか。ウィドウズやヤングの答えは「誰も責めるべきではない」です。インフルエンサーのように美を磨くのに熱心な人と、そうでない人を分けて非難し合うことは、かえって分断を招くだけだからです。
- 政策科学部での学び
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それでは、どうすればいいのでしょうか。不正義を解決するためにスキンケアをしない、という行動を一人一人が取るのは困難です(はたして、この記事を読んで明日からスキンケアをやめる人がいるでしょうか)。個人の行動だけではどうにもならない問題を解決する手段、それが「政策」です。
差別や健康被害の増大という問題は、私たちが日々の習慣を変えるだけでは解決できません。解決のためには、法律、企業の広告のあり方、ソーシャルメディアの利用法、ルッキズム的文化といった複雑な要因(構造的不正義の「構造」が意味しているものです)を総体的に変えていく必要があるのです。
残念ながら、ウィドウズは問題を解決するための政策を示していません。スキンケアやジム通いを法律で禁止すればいいのでしょうか。誰もが美容整形できるように、政府が支援金を出せばいいのでしょうか。美のスタンダードを一つにしないために、美容業界は多様なモデルを採用すればいいのでしょうか。どうやら、この問題を一気に解決する「特効薬」はなさそうです。
政策科学部の特徴は、このように複雑な要因が絡まった社会問題を様々な角度から分析するところにあります。美のように、自分の問題だと思っていたことが、もしかしたら社会の問題であるかもしれません。そのような問題の「構造」に気づくところに学問の重要性があるのだと思います。
参考文献:Heather Widdows (2021) Structural Injustice and the Requirements of Beauty. Journal of Social Philosophy 52(2), 251-269.