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「もっとレース会場へ見に来てほしい」全日本BMX連盟公式アンバサダーが伝道師になる

 歴戦のBMXライダー・早川優衣(ゆい)さん(経営学部・4回生)が、BMXの魅力を発信し、競技の裾野を広げる伝道師となる。2023年5月に一般社団法人・全日本BMX連盟の公式アンバサダーに就任。全日本選手権や国内トップ選手が集うシリーズ戦に帯同して初心者や子どもたちの体験会を開催するほか、メディアにも出演して普及活動に努めるなど、さらなるファン獲得を目指す。

 魅力を語る口調が次第に熱を帯びてきた。「競技性では何と言っても迫力です。ジャンプ、スピード、人間同士のぶつかり合い。そして40秒くらいの中で目まぐるしく変わる展開。競技者としては日本全国や海外でも友人を作れることかな」と声を弾ませた。

 BMX(Bicycle Motocross)は1970年代のアメリカでオートバイによるモトクロス競技にあこがれた子どもたちが、自転車でその競技を始めたと言われる。「BMXレース」はジャンプ台などが用意された約400メートルのタフなコースでタイムを競う。20インチのホイールとリアブレーキを搭載し、スタートのタイミング、ジャンプの滞空時間、コーナーに入る時の位置取りなどで生じる0・01秒差が勝敗の分かれ目になるそうだ。時速60キロで転倒、衝突するため、ヘルメット、ゴーグル、プロテクターの着用が義務付けられ、2008年の北京五輪から正式種目として採用されている。

 早川さんがBMXを始めたのは9歳。2歳下の弟、敦哉さんがきっかけだった。生まれ育った岡山県井原市の郊外は周りが山。遊ぶものが自転車しかなく、急こう配な坂を下ると、出会い頭の車は危険だった。「もっと安全な場所で大好きな自転車で遊ばせたい…」両親が弟のために探し当てた場所が、笠岡市の「かさおか太陽の広場」内にあるBMXコースだった。家族で毎週末、車で片道30分かけて通い始め、それまで見ているだけだった数ヵ月後、何気なくレンタルバイクに乗った途端「はまった」という。「めちゃ速い!」「自転車が飛んでる!」瞬く間に夢中になった。

 上達するのに時間はかからなかった。10歳になった2011年、ジャパンシリーズ女子9〜10歳クラスで初優勝すると、階段を一気に駆け上がり、13年女子11〜12歳クラスで年間ランキング1位。14年にはユース強化選手となり、オランダで開催された世界選手権(年齢別チャレンジクラス)に初出場し、そこから毎年、世界へ参戦するようになった。「スタートからの飛び出しが有利なので、毎日ずっと練習していた。日本だと長身(164センチ)でも海外では最も低い。コーナーの小回りは利くけど、海外の選手はパワーで押してくる。体格の差は感じても、私は身のこなしで勝負してきた」。現地に友人がいる豪州などで海外のトップ選手と練習を繰り返し、脚力や瞬発力を鍛え、とっさの判断力や技術を磨いてきた。

 国内外への遠征が多く、サポート体制が整っていた地元の興譲館高校に進学していた18年、国内トップのチャンピオンカテゴリーに昇格。だが、ちょうどこの頃から少しずつ心に変化が表れていた。「楽しいから乗っていたのに、支援してくれる人たちに対して、勝たないといけないという思いが増して、辛く苦しい部分があった」と振り返る。体格や経験値が勝る海外選手に苦戦し、上を目指せば目指すほど高く立ちはだかる壁。日本に戻ってきても成績が上がらなくなった。最後に勝ったのはコロナ禍のため7ヵ月遅れで行われた20年11月の国内シリーズ戦。「私は修学旅行にも行かず、高校生として学生生活の記憶がないほど、オリンピックを目指して打ち込んできた…」。男女1人ずつしか出場枠がない東京五輪の最終選考に落ちた時「燃え尽きたというか、空白の時があって、パリ(五輪)を目指す気持ちになれなった」と、苦しかった胸の内を明かした。

 五輪に出るだけがゴールではない。そう気持ちをリセットできたのは、立命館大学で過ごした時間も大きかった。「大阪の練習環境と経営学に興味があって入学したけれど、1つも単位を落とさずマネジメントを学んで、プライベートを話せる友人もできた。大学生活は本当に有意義で充実した4年間」と話す。「BMXで海外選手に近づくためには、土壌づくりと盛り上がりがもっと必要」。大学で学びながら、そう痛感していた時、公式アンバサダーの仕事に就いた。

 シーズンは4月から10月。年1回の全日本選手権や国内のシリーズ戦が1ヵ月に1回程度、全国で開催される。早川さんは広報活動とともに、事前の告知や現地での体験会を欠かさず行う。「環境が整う米国や欧州、豪州と比べて日本ではまだBMXの知名度が低く、レースができる会場も少ない。経験がない子どもたちに実際に乗ってもらい、大会へ足を運んでもらうことが大事。気軽にできるので、一般の人にもっと来てほしい」と呼びかける。マネジメント会社に所属してメディアにも出演し、地方との結び付きや周知活動にも力を注いでいる。

 幼い頃から毎週末、父・恭弘さんが運転する車に母・裕恵さん、弟と一緒に乗って、練習や全国のレース会場へ向かった。「大会へ参加することは一つの家族旅行。私自身、本当に楽しかったいい思い出だし、家族の仲が深まる。BMXを通じていろいろな楽しみ方があるはず」と、両親に感謝する一方で、消耗が激しい自転車やパーツの交換代、練習場やレース会場へ通う費用面などから、数多くリタイアしていく子どもたちが残念でならない。そのためにも機運を盛り上げようと全国を飛び回る。

 最後に一つ、大きなサプライズがある。今でも練習は継続していて、来年の全日本選手権に出場するという。「復帰戦で勝てたらいいなあ…。選手とアンバサダーを両立させて、私たちの時にはいなかった子どもたちの指導者にもなりたい」。再び見つけた大きな目標に向かって一歩を踏み出す。

早川優衣さん プロフィール

 2001年8月11日、岡山県井原市生まれ。興譲館高校出身。9歳からBMXを始め10歳で国内初優勝。国内トップの試合で何度も優勝し、世界舞台でも戦ってきたが、惜しくも東京五輪出場を逃す。5月に全日本BMX連盟公式アンバサダーに就任し、「セントフォース・ZONE」にも所属してBMXの魅力を発信している。趣味は散歩で考える時間に充てる。日本のトップを争う丹野夏波さん(早稲田大学)とは仲が良く京都旅行にも出掛ける間柄。夢は自転車なしで行く海外旅行。弟の敦哉さんは7月の全日本選手権U23で3位入賞。叔父のタレント・千鳥ノブさんからは「いろいろなことにチャレンジして」と激励されている。

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