コラム

ある清掃員画家の話

 この夏をこえて、また新しい体験ができました。人生のいいとき、悪いとき、どちらも大切だと思うのは、順調でない時に目にするもの、読んだもの、会った人に、心を動かされ、自分がまた一歩成長し、その積み重ねに今があると感じるからです。

 先日、ぼうっとテレビを見ていたら、何だか引き寄せられて、途中からでしたが釘付けになって見入りました。NHKの再放送番組「ガタロさんが描く町~清掃員画家のヒロシマ」、今年の春の放送が話題を呼び、この夏2度の再放送があったので見たという人もいるかもしれません。  

 広島市のとある町の商店街に、モップや雑巾などの掃除道具と、使いかけのクレヨンや筆などの画材が置かれる倉庫のような一室があります。商店街を30年間1人で掃除してきた清掃員の作業場兼、アトリエで、画家名をガタロと名乗っています。夏の暑い日も冬の凍える日も、朝4時からゴミを集め、トイレを磨き、アーケードを掃くのが仕事です。合間に、拾ってきた画材で絵を描きます。多くはモップや雑巾などの掃除道具を、自分の相棒として親しみと敬意の気持ちで描くそうです。 その仕事につくまでに数々の苦難があり、自分を拾ってくれた商店街だと感謝の念で掃除している気持ちが伝わってくるようでした。「仕事をする」ということはこういうこと、何かに一生懸命に取り組んでみることで、その狭い隙間からも世界のいろいろなものが見えてくるのだと思いました。

 私が最も心に残ったのは、あるホームレスが商店街の片隅に住むようになり、ある日自分を描いてほしいとガタロさんに話しかけてきました。ガタロさんは疑問に感じながら彼を描くうち、これは徹底的に描こうと、そして彼はガタロさんのアトリエを繰り返し訪れるようになり、寝たり、ご飯を食べたり、そしてガタロさんは夢中になって描き続けました。寡黙だった彼は次第に身の上を語るようになり、知的障害があること、仕事は長続きせず、ホームレス生活を長年続けていること。いじめられたこと、追いかけられて虐待されたことを語るとき、優しいけど目が鋭いのを感じて、描いても描ききれなかったといいます。それは「生」そのもので。 ある日ガタロさんは思い切って聞きました。「あんたは、ワシのことをどう思うか?」そしたら、「馬鹿じゃ思う(馬鹿だと思う)」と言いました。一瞬誰のことを言っているのかなと後ろを振り返ったそうです。 あの言葉はどういう意味だったのか、彼が突然町から姿を消して何年もたつ今も考え続けているそうです。  

 ガタロさんにとってまさに描くこととは理解しようとすること、何も語らない物からもたくさんのものを読みとろうとすること、自分の感じたこと、思いを表現することだと感じました。彼をただ理解しようと描き続けたことが、ホームレスの彼の心にどのようなことを残したのか、誰も分からないのですが、一生のうちに自分のことを真剣に理解しようとしてくれた人がいたことは本当のことでした。 私もいつか、「馬鹿じゃ思う」と言われるような、そんな仕事ができるような人になりたいと、心から思いました。


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