2024.07.16
スマートフォンとのつき合い方について
スマートフォンが日本に普及し始めたのは、2008年だそうです。
その年にアップル社の2代目「iPhone 3G」の販売が始まり、2009年にはAndroidスマホが登場、それから10数年で、「スマホ」は日本でも大変身近なアイテムとなりました。
スマートフォンと私たちの日常を見つめてみると、朝起きて時間を見るから始まり、一日のスケジュールの管理、連絡が来ていないかの確認とlineやSNSや電話での連絡をする、アプリやサイトでニュースやトレンドを把握する(またはどんどん通知してくれる)、お知らせ通知の案内で好みの動画や映画を見る、一人で・或いは友達とゲームをする、と、一日の始まりから眠るまでの間、スマホを触ることがとても多いですね。
学生生活の中でも、スマートフォンの利用は欠かすことのできない「日常」になっています。上記の使い方はもちろん、manabaの利用や情報のチェック、通学や下校時の天気や交通状況の把握、部活やサークルで、就職活動で、余暇で、と、スマホを使うことが当たり前の生活になり、スマートフォンの役割は増すことはあれ、減ることはなさそうに思えます。
一方で、「スマホ疲れ」、「スマホ依存」というようなワードも、ニュースやSNSでも話題に取り上げられることも年を追うごとに増えてきました。
「スマホ疲れ」とは、脳疲労と言われており、パソコンやスマホの使用が日常的になる前に比べると、目や耳からの情報のインプット量が増え(その量300倍とも言われています)、脳が情報処理しきれず、集中力が続かなかったり、ミスが増えたりという悩みが生じること、とされています。
また、「スマホ依存」とは、スマートフォンの使用を続けることで昼夜逆転したり、様々な問題が起きているにも関わらず、使用がやめられず、スマートフォンが使用できない状況が続くと、イライラし落ち着かなくなるなど精神的に依存してしまう状態、とも言われており、
具体的には
・常に手に届くところにスマホがないと不安に感じてしまう
・スマホに没頭してしまいやるべきことができない
・スマホをたえずチェックしてしまい仕事や勉強に集中できない
・スマホの使用により寝不足が続いている
・スマホを見ていたら一日が過ぎていた
等が挙げられています。
幾つものサイトに自己チェックシート等が貼り付けられていますので、また機会があれば一度検索して見て下さい。
物事には、メリットとデメリットがありますが、私たちの生活になくてはならなくなったスマートフォン、それによって疲れてしまったり、コントロールが効かない状態になってしまうのも、その便利さ故なのでしょうね。
今、「SNS断ち」とか、「デジタルデトックス」という言葉が生まれ、スマホやSNSから距離を取ろうとする人たちも居られます。
人によっては、「ガラケーに戻したい」、「戻しました」、という方もおられるようですが、
完全にスマートフォンから離れてしまうのは、今の暮らしの中では難しい様相です。
それほどに皆さんの生活の中にしっかりと根付き、社会生活や対人関係の構築や維持にも役割を担っているのが、現在のスマートフォンとも言えます。
極端にスマホから離れるのは難しいかもしれませんが、たまにはスマホから少し離れて生活してみるのも、良いかもしれません。
家の中でも、少し離れたところにスマホを置いて手元にない生活してみるとか、スマホを見ている時間を別の時間に置き換える(ボーっとする、読書や運動、あるいは散歩や趣味等)ことで、普段とは別の時間の使い方が出来たり、スマホを触っている「いつも」では気がつかないことが発見できる素地になりえそうです。
これからも、スマートフォンはますます便利になり、より手放せないツールとなると考えられます。
たまには一歩距離を取ってみて、自分とスマホとの付き合い方を見つめてみるのも良いかもしれませんね。
学生サポートルーム
2024.06.25
幸せは考えること?
What is happiness?この問いは、私が大学時代、担当教授に毎回、ゼミの時間に問われる質問でした。その教授はアメリカ人の高齢の神父でした。先生は、直接、ゼミとは関係のないこの問いを、毎回、ゼミ生に問うのです。ゼミ生は、様々に答えます。「好きなことを仕事にすること」「お金をたくさん稼ぐこと」「結婚して幸せな家庭を築くこと」などと学生が思い思いに自分にとって幸せとはなんぞや?ということを毎回考えさせられ、答えさせられるのです。その当時の私は、この時間は一体なんの時間なのだろう?とは思いながらも、自分にとって幸せとは何なんだろうかと考えていました。私は、人との出会いと答えた気がします。学生が一通り答えた後に、その教授は「Happiness is thinking」だと強調します。英語と日本語を交えながら続けます。「人生において考えるということは幸せなことです。考えることができない人は不幸です」と言います。しかし、その詳しい理由は話しませんでした。当時の私はそれこそ深く考えることなく、そんなものなのかなあと感じていました。しかし、何十年もの時を経て、この先生の幸せの定義が奥深く、難しく、そしてそうかもしれないと私は思うに至るのです。
さてさて、私は大学を卒業し、会社員になり、紆余曲折を経て、臨床心理士となりました。そして、多くのさまざまなクライエントさんと出会い、面接を重ねてきました。その中で思うことは、人が本当に考えていることや感じていることを他者に話すということはとても難しく勇気が必要であるということです。自分がこんなことを言って、どう思われるのだろうか?という不安が生じます。その不安を乗り越え、言葉にします。そして、対話を重ねていきます。対話とはお互いが言葉を生み出し、その言葉を交換しあう営みです。言葉を生み出すまでにはお互いがお互いの心と頭を使って考えるというプロセスがあります。
考えるということは、自分の意識上には思いもしなかったことが思い浮かびます。時にそれは、今まで自分が知らなかった側面を発見する喜びに繋がる時もありますが、時に、その事実に驚愕したり、ショックを受けたりすることもあります。今まで知らずにすんでいた、過去の自分自身のこと、大切な人との真の関係性などに出会ってしまうのです。知ってしまったということは、真実と出会うということです。真実を目の当たりにし、その事実を受け入れるプロセスというものは、大変心に痛みが生じるものです。いつの頃からか私は、クライエントさんとの面接中や面接の後にも何十年前のこの恩師の言葉「Happiness is thinking」という言葉を思い出すようになりました。そして「先生、幸せは考えることじゃないよ。考えることは苦痛なんだよ」と私は心の中で幾度となく呟くのです。
しかし、一方でクラインエントさんが考えることを続けていく中で、自分の生き方を自分で決め、主体的に自分の人生を歩み始める瞬間に立ち会えた時、私は「ああ、考えることは幸せなんだ」とも強く思うようにもなるのです。
何十年前、学生だった私達に先生はどうして幸せが考えることなのかという理由を決して話しませんでした。話さなかった理由は私達が生きていく過程でこの考えるということを宿題にしたのだろうと今の私はそう感じています。
幸せとは一般的に心が満ち足りている状態や、不満がない状態などだと言われています。その人にとって幸せの定義は違うと思います。一方で私個人が自分自身について考えることやクライエントさんとの濃密な関わりの体験から、やはり考えることは幸せだともいえるのだろうと思います。考えるということは、苦痛や不快を心に生じさせ考え続けることを放棄したくもなります。しかし、考え続けることの先には主体を誰にも預けずに自分の人生を自分自身が納得して生きていくということなのだと私はそう考えるからです。
学生サポートルーム
2023.10.26
見えるものと見えないもの
2023.01.01
あなたのいばしょ
2023.01.01
たまには、ゆっくり、ほっこりと。
2020.09.06
自分らしさって何だろう?
2019.04.01
”Finding who you are”「自分との出会い」
Hello. I am a counsellor from the Student Support Room. Welcome to Ritsumeikan University!
For those who have just started college life this may be a very exciting time, as almost everything is new, or this may be a very stressful time, as nothing is familiar. If you are an international student, the excitement and anxiety can be doubled.
My first experience staying in a foreign country was a 3-month ESL program in the US. It was just a fun time with no pressure – learning English phrases in both classroom and social settings. The second and third times were different. I was majoring in Psychology, and it required much more work. Not only the theories I had to grasp, but also counselling skills in English I had to acquire, which was a struggle for me. It seems like when your vocabulary is limited, so is your intelligence. While other Canadian students were addressing their ideas and thoughts, and demonstrating wonderful skills of counselling in practicum, I felt so idiotic, and thought “Why on earth did I come here? What am I doing here all by myself?”
Thanks to the teachers, friends, and clients who continuously came to my counselling sessions, I started to realize “who I am.” Once I accepted who I was, although I was still struggling, I could appreciate what I had. If you would like to get the most out of their time here in Japan, and at Ritsumeikan University, please visit us at the Student Support Room. We are here to help you find “who you really are.”
皆さん、こんにちは。学生サポートルームのカウンセラーです。立命館大学にようこそ!
学生生活を始めたばかりの方にとっては、多くのことが新鮮で期待で胸がいっぱいかもしれません。一方で、初めてのことばかりでとまどっている方もいるかもしれません。留学生の皆さんは、わくわく感も不安も、日本人学生より多いのではないかと想像します。
私にとっての留学体験は、3ヶ月の語学留学が最初でした。このときは、ただ英語を身につけることだけが目的で、何のプレッシャーもない、楽しい期間でした。でも2度目、3度目は正規生として心理学を学んでいたこともあり、勉強はなかなか大変でした。机上の理論だけではなく、英語でカウンセリングの実習をしなければならず、苦戦しました。語彙が限られると、知性も限られてしまうように思えてきたものです。他のカナダ人学生が、自分の考えを積極的に発言したり、カウンセリングスキルを発揮したりしているのを見ると、自分が無能な気さえして、「なぜ留学なんてしたんだろう」と考えたものです。
しかし、先生や友人、そしてカウンセリングに来てくれるクライエントのおかげで、徐々に「自分らしさ」に気づくことができるようになりました。そしてその「自分らしさ」が受け入れられるようになると、まだまだ苦労はあったものの、何とかそれを生かしてのカウンセリングができるようになりました。日本での、そして立命館大学での学生生活をより充実させたいと思っている皆さん、どうぞ学生サポートルームにいらしてください。サポートルームが皆さんの「自分らしさ」発見の一助になれば幸いです。
学生サポートルームカウンセラー