幸せは考えること?
What is happiness?この問いは、私が大学時代、担当教授に毎回、ゼミの時間に問われる質問でした。その教授はアメリカ人の高齢の神父でした。先生は、直接、ゼミとは関係のないこの問いを、毎回、ゼミ生に問うのです。ゼミ生は、様々に答えます。「好きなことを仕事にすること」「お金をたくさん稼ぐこと」「結婚して幸せな家庭を築くこと」などと学生が思い思いに自分にとって幸せとはなんぞや?ということを毎回考えさせられ、答えさせられるのです。その当時の私は、この時間は一体なんの時間なのだろう?とは思いながらも、自分にとって幸せとは何なんだろうかと考えていました。私は、人との出会いと答えた気がします。学生が一通り答えた後に、その教授は「Happiness is thinking」だと強調します。英語と日本語を交えながら続けます。「人生において考えるということは幸せなことです。考えることができない人は不幸です」と言います。しかし、その詳しい理由は話しませんでした。当時の私はそれこそ深く考えることなく、そんなものなのかなあと感じていました。しかし、何十年もの時を経て、この先生の幸せの定義が奥深く、難しく、そしてそうかもしれないと私は思うに至るのです。
さてさて、私は大学を卒業し、会社員になり、紆余曲折を経て、臨床心理士となりました。そして、多くのさまざまなクライエントさんと出会い、面接を重ねてきました。その中で思うことは、人が本当に考えていることや感じていることを他者に話すということはとても難しく勇気が必要であるということです。自分がこんなことを言って、どう思われるのだろうか?という不安が生じます。その不安を乗り越え、言葉にします。そして、対話を重ねていきます。対話とはお互いが言葉を生み出し、その言葉を交換しあう営みです。言葉を生み出すまでにはお互いがお互いの心と頭を使って考えるというプロセスがあります。
考えるということは、自分の意識上には思いもしなかったことが思い浮かびます。時にそれは、今まで自分が知らなかった側面を発見する喜びに繋がる時もありますが、時に、その事実に驚愕したり、ショックを受けたりすることもあります。今まで知らずにすんでいた、過去の自分自身のこと、大切な人との真の関係性などに出会ってしまうのです。知ってしまったということは、真実と出会うということです。真実を目の当たりにし、その事実を受け入れるプロセスというものは、大変心に痛みが生じるものです。いつの頃からか私は、クライエントさんとの面接中や面接の後にも何十年前のこの恩師の言葉「Happiness is thinking」という言葉を思い出すようになりました。そして「先生、幸せは考えることじゃないよ。考えることは苦痛なんだよ」と私は心の中で幾度となく呟くのです。
しかし、一方でクラインエントさんが考えることを続けていく中で、自分の生き方を自分で決め、主体的に自分の人生を歩み始める瞬間に立ち会えた時、私は「ああ、考えることは幸せなんだ」とも強く思うようにもなるのです。
何十年前、学生だった私達に先生はどうして幸せが考えることなのかという理由を決して話しませんでした。話さなかった理由は私達が生きていく過程でこの考えるということを宿題にしたのだろうと今の私はそう感じています。
幸せとは一般的に心が満ち足りている状態や、不満がない状態などだと言われています。その人にとって幸せの定義は違うと思います。一方で私個人が自分自身について考えることやクライエントさんとの濃密な関わりの体験から、やはり考えることは幸せだともいえるのだろうと思います。考えるということは、苦痛や不快を心に生じさせ考え続けることを放棄したくもなります。しかし、考え続けることの先には主体を誰にも預けずに自分の人生を自分自身が納得して生きていくということなのだと私はそう考えるからです。
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