コラム

子育て雑感 ―魔法の言葉と2度目の誕生日―

 我が家には一昨年に誕生しそろそろ1歳4ヶ月になろうという娘がいます。不肖ながら父親として日々成長を見守っているわけですが、心理学などを学んだ身として、時々色んなことを思い出させられたり感じさせられたりしています。

●魔法の言葉『パパ』
 1歳になるしばらく前くらいから、娘も少しずつ単語を話すようになってきたのですが、ある時期、いろいろな場面で『パパ』という言葉を発するようになり、逆にそれ以外の言葉をあまり言わなくなってしまうということがありました。例えばこんな調子です・・。

(娘、足元にやってきて)
娘  「パパ・・」
ぼく 「はーい。抱っこね」(娘を抱っこする父親)
(娘、キッチンを指差して)
娘  「パパ・・」
ぼく 「はーい。キッチン行きたいんだね」(そのままキッチンへ移動)
(娘、食器棚にある自分のコップを指さして)
娘  「パパ・・」
ぼく 「はーい。コップね」(コップを手に取り渡してやる父親。)

 「だっこ」とか「あっち」とか「取って」とか、いろいろと言葉を覚えたり発したりするチャンスはあるのに、どうもどこかの誰かさんが『パパ』の一声で動いてしまうものだから、娘は『パパ』と言えばなんでも叶うと思ってしまっているのです。一時はおっぱいを要求する時ですら『パパ』と言うようになり、さすがにこれには奥さんも閉口していました。それでもどこかの誰かさんは「父親なんていずれ娘に煙たがられるんだから・・」などとダメ親発言をするのでした。

 ともあれ、このようなコミュニケーションから少しずつ、興味のあるものを一緒に見て名前を言ってみたり、一緒に驚いてみたりといった3項関係のコミュニケーションが広がってゆきます(上の例ではあまり広がっていませんが)。そこでは、世界を見て何かを感じている〈私〉と、それを共感という形で肯定したりあるいは名前を教えてくれたりする〈あなた〉という存在、そして私が感じている〈世界〉とが、同時に成立します。〈私〉がまずあって〈世界〉や他者(〈あなた〉)があるといったことなどではなく、3つ同時に成立するのです。これは『間主観性』という事態ですが、〈私〉の肯定感と〈あなた〉への信頼感と〈世界〉への安心感が同時に成立するという意味で、これは人がこの世に根を張っていく上でとても重要な現象です。もちろん赤ん坊時代だけの話ではなく、こうした他者と共に世界を見つめ、確かめ合う作業は一生続いていくものです。
 あるいは〈私〉の成立には既に〈あなた〉や〈世界〉が含まれているという点で、青年期にありがちな、独我論的に1人でもの思いに耽って自分って何者なんだろう・・と煮詰めていってもやっぱり埒が明かないんだな、と若き日のぼくに知らしめてくれた契機のひとつとしても印象深い概念でした。

●2度目の誕生日
 このように、少しずつ言葉を覚え、ぼくや奥さんと一緒に世界を眺めながら、この世に根を張りつつある娘ですが、そんな姿を見ながらもう一つ思うことがあります。それはある意味逆説的なのですが「早くこの子と出会いたい」という気持ちなのです。いやいやもうとっくの昔に出会っているじゃないか、と突っ込まれるかもしれませんが、案外そうとも限らないのです。こんな考え方があります。

 人間の生命の出発点は、人間として自らが自らを生きたものと定めた日である。いわば2度目の誕生日がある。そしてそれ以前の生は、そこからの逆照射による気づきによって発生する。(中略)人間としての自覚の発生以前の精神生活、すなわち人間が人間としての自覚を持たずに赤ん坊として暮らしていた時代は、無意識となり、永遠に失われたものの範疇へと、追いやられるのである。エディプスが神話の中でスフィンクスの問いに答えて『それは人間だ』と言う瞬間は、この自覚の成立を物語る。
(作田啓一ほか編『人間学命題集』,新曜社,1998より)


 言葉が飽和し、組織化され〈意識〉や〈自我〉という現象に至ったとき、このような第2の誕生日が訪れるのでしょう。そしてそれまでの姿は〈無意識〉として意識できない部分に追いやられる。中国の『荘子』には〈渾沌〉という神に7つの穴(感覚器)を穿ったら死んでしまったという話があるのですが、同じような話かもしれません。
 そしてまた考えてみると、思春期、青年期、成人期・・とライフステージが変わるごとに、人間は第3第4の誕生日を重ねてゆくようにも思います。特に学生さんたちのような、青年期の人たちとお話をしていると、そういう生みの苦しみ(生まれる苦しみ)に立ち会っているように感じることも珍しくありませんし、先の「1人で考えてても埒が明かない」と気づかせてくれたというエピソードも、ぼく自身のそのような何度目かの誕生に関係していた話だったように思います。

 いずれ第2の誕生日が訪れ再び生まれてくる娘、そしてその後も誕生を重ね、どんな風に成長してゆくのか・・・。将来、どこかのオジさんに「パパ・・」とか呟いてブランド物のバッグを買ってもらう、なんてことにならなければよいのですが・・。

学生サポートルームカウンセラー