Supernova (スーパーノヴァ)
2016年05月09日
コラム
東日本大震災から5年の月日を感じつついたこの4月に、熊本で大きな地震がありました。今もまだ熊本や大分で、余震や家屋の倒壊で避難生活をされる方々が大勢おられます。
自然の脅威に対して人間はほんとうに無力で、この世界の多くの生き物のなかのひとつなのだと感じさせられます。
大きな地震がすぐ身近に起こるかもしれないこと、震災の報道から想像する被災者の体験を通して、最近はより命の儚さや生き方について考えさせられます。
自分自身も身近に大切な人を失ったとき、現実のこととは受け止められず、自分の心に集中するのは少しずつにしておこう・・と、日々の生活や仕事に埋没している時間も多かったのですが、たまたま耳にした曲に、その心に入る扉がふっと開きました。
若者に人気、BUMP OF CHIKEN (バンプオブチキン)の『supernova』です。
BUMP OF CHIKENの曲の歌詞はどれも、人の内面をよく表現していて、人と宇宙のつながりを感じたり、哲学的な感じもしてどれも好きだったのですが、特に好きな曲になりました。
あまり音楽に詳しくない私がいうのでもっといろいろあるのかもしれませんが、作詞をした藤原さんは、この曲で「Supernova (超新星)」を人との関係に例えているようです。
「超新星」または「超新星爆発」とは、大質量の恒星がその一生を終えるときに、大爆発を起こして太陽よりも明るい光を放つ現象だそうです。そしてその光が私たちのところに届くとき、もうすでにその星は存在しないのです。
そのことを知って、終わるときに初めてその存在を知るのはせつないと思った、でも私たちの身近によくあることです。身近な人を失ったとき、友達と遠く離れたとき、大切にしていた物がなくなったとき、それまであって普通だったものの存在がなくなったときに初めて、その大事さを知ります。
「終わる」ということは「生」そのもの、「終わり」があるから「生」なのだと強く気づかされる現象だなと思います。
『 熱が出たりすると気づくんだ 僕には体があるってこと
鼻が詰まったりするとわかるんだ 今まで呼吸をしていたこと
・・・
延べられた手を拒んだその時に 大きな地震が起こるかもしれない
延べられた手を守ったその時に 守りたかったのは自分かもしれない
・・・
人と話したりすると気づくんだ 伝えたい言葉がないってこと
適当に合わせたりするとわかるんだ 伝えたい気持ちだらけってこと
君の存在だって こうして伝え続けるけど
本当のありがとうは ありがとうじゃ届かなくて
・・・
君の存在だって いつでも思い出せるけど
本当に欲しいのは思い出じゃない今なんだ
君を忘れたあとで 思い出すんだ 君との歴史を持っていたこと
君を失くしたあとで 見つけ出すんだ 君との出会いがあったこと
誰の存在だって 世界では取るに足らないけど
誰かの世界は それがあって つくられる
君の存在だって 何度も確かめはするけど
本当の存在は 居なくなっても ここに居る・・・ 』(歌詞の一部)
他の曲の歌詞も、悲しみや傷つきだけでなく、後半には希望や「傷つきがあるからこその今」が上手に歌われているところが素敵だなと思います。
生まれたときが「新星」で、燃え尽きるときが「超新星」と考えると、全ての消える可能性のあるものは、「超新星が始まった」といえる。藤原さんは、そう考えるとみんなが、「今」大爆発しているように感じられた、といいます。
だから過ぎたことや思い出にとらわれたり、未来を心配して先のことばかり考えた「今」を過ごすより、この「今」を感じて生きていたい。終わりや限界があるからこそ、意味があり、この一瞬を大事にしたいと思えるのですね。
ただ物質の豊かさを求める時代が終わり、不安が漂う世の中ですが、どんなことを大事にして、どこに向かっていけばよいのか、これからの生き方に少しヒントをもらえるような気がしました。
自然の脅威に対して人間はほんとうに無力で、この世界の多くの生き物のなかのひとつなのだと感じさせられます。
大きな地震がすぐ身近に起こるかもしれないこと、震災の報道から想像する被災者の体験を通して、最近はより命の儚さや生き方について考えさせられます。
自分自身も身近に大切な人を失ったとき、現実のこととは受け止められず、自分の心に集中するのは少しずつにしておこう・・と、日々の生活や仕事に埋没している時間も多かったのですが、たまたま耳にした曲に、その心に入る扉がふっと開きました。
若者に人気、BUMP OF CHIKEN (バンプオブチキン)の『supernova』です。
BUMP OF CHIKENの曲の歌詞はどれも、人の内面をよく表現していて、人と宇宙のつながりを感じたり、哲学的な感じもしてどれも好きだったのですが、特に好きな曲になりました。
あまり音楽に詳しくない私がいうのでもっといろいろあるのかもしれませんが、作詞をした藤原さんは、この曲で「Supernova (超新星)」を人との関係に例えているようです。
「超新星」または「超新星爆発」とは、大質量の恒星がその一生を終えるときに、大爆発を起こして太陽よりも明るい光を放つ現象だそうです。そしてその光が私たちのところに届くとき、もうすでにその星は存在しないのです。
そのことを知って、終わるときに初めてその存在を知るのはせつないと思った、でも私たちの身近によくあることです。身近な人を失ったとき、友達と遠く離れたとき、大切にしていた物がなくなったとき、それまであって普通だったものの存在がなくなったときに初めて、その大事さを知ります。
「終わる」ということは「生」そのもの、「終わり」があるから「生」なのだと強く気づかされる現象だなと思います。
『 熱が出たりすると気づくんだ 僕には体があるってこと
鼻が詰まったりするとわかるんだ 今まで呼吸をしていたこと
・・・
延べられた手を拒んだその時に 大きな地震が起こるかもしれない
延べられた手を守ったその時に 守りたかったのは自分かもしれない
・・・
人と話したりすると気づくんだ 伝えたい言葉がないってこと
適当に合わせたりするとわかるんだ 伝えたい気持ちだらけってこと
君の存在だって こうして伝え続けるけど
本当のありがとうは ありがとうじゃ届かなくて
・・・
君の存在だって いつでも思い出せるけど
本当に欲しいのは思い出じゃない今なんだ
君を忘れたあとで 思い出すんだ 君との歴史を持っていたこと
君を失くしたあとで 見つけ出すんだ 君との出会いがあったこと
誰の存在だって 世界では取るに足らないけど
誰かの世界は それがあって つくられる
君の存在だって 何度も確かめはするけど
本当の存在は 居なくなっても ここに居る・・・ 』(歌詞の一部)
他の曲の歌詞も、悲しみや傷つきだけでなく、後半には希望や「傷つきがあるからこその今」が上手に歌われているところが素敵だなと思います。
生まれたときが「新星」で、燃え尽きるときが「超新星」と考えると、全ての消える可能性のあるものは、「超新星が始まった」といえる。藤原さんは、そう考えるとみんなが、「今」大爆発しているように感じられた、といいます。
だから過ぎたことや思い出にとらわれたり、未来を心配して先のことばかり考えた「今」を過ごすより、この「今」を感じて生きていたい。終わりや限界があるからこそ、意味があり、この一瞬を大事にしたいと思えるのですね。
ただ物質の豊かさを求める時代が終わり、不安が漂う世の中ですが、どんなことを大事にして、どこに向かっていけばよいのか、これからの生き方に少しヒントをもらえるような気がしました。
学生サポートルームカウンセラー