コラム

こころの時代

 暑い季節です。外に出るのも気合が要ります。外での用事を済ませて家に戻ったら、ぐったりとなります。しなければならないことがたくさんあるのは分かっているのに、もう少し休みたい、もう少しだらだらしたい、と思っているうちに時間は過ぎていきます。そして随分と時間が経ってから、あぁ何もできなかった、と後悔しながら立ち上がる、そんな日々です。

 平成の約30年は、いろいろな視点からまとめることができますが、「こころ」が注目された時代でもありました。それは、たびたび起きた自然災害や事故によってPTSD(心的外傷後ストレス障害)を患った方が多かったことや、経済の低迷による精神疾患の増加、価値観が多様化する中で様々な葛藤や軋轢が生じたこととも無縁ではありません。平成に生まれ、平成に育った学生の方々はご存じないかもしれませんが、それ以前の昭和の頃まで、ひとの「こころ」はあまり顧みてこられなかったのです。
 ひとの「こころ」が注目されたのは、社会にとって大きな変化でした。「こころ」のパターンや傾向を捉えることで、ひとの複雑な行動を理解し、社会に活かそうという流れが大きくなりました。また、何かがうまくいかなくなって行き詰まり、困った時、それを「こころ」の在りようの行き詰まりだと捉え、それを扱うことで解決しよう、という流れができました。後者の流れの中で、悩みや様々な症状を専門家に相談して解決・改善を目指す、という選択肢が現れました。
 しかしその反面、時に困ったことも生じます。本来は「こころ」の在りようが理由ではないことも、「こころ」の問題だ、とされることも出てきたように思います。カウンセラーは時々、相談に来られた方に生活リズムや食生活、課題の量等を尋ねることがあります。それは「こころ」の問題だけではなく、そもそも身体的、環境的な問題がないかを知りたいためです。「気分がふさいで仕方がない、うつかもしれない」という相談で来られ、病院で検査をしたら、身体疾患が明らかになったこともありました。「バイト先でうまく仕事をこなせない、自分の性格の問題だと言われた」という相談をよくよく聞くと、そもそも仕事の量がとても多い上に、それをサポートし合うシステムがバイト先にない、ということもありました。「こころ」の在りようだけが行き詰まりの理由になるのではなく、身体的な不調や社会が要求するものの矛盾、組織やシステムの不備といったものも、不調や症状の大きな要因となるのです。
(だからと言って身体的、環境的な問題と「こころ」の行き詰まりは関係ない、悩みや症状に対して専門家の援助は必要ない、と言いたいわけではありません。それでも社会で生きていくためにどうしたいか、どうなりたいかを伺った上で、解決のお手伝いを致します。)

 つまり何が言いたいのかというと、こんなに暑い日は身体的な疲労が大きく、だるい気分になるのは私にやる気がないのではなく自然なことなので、身体を労わることを大切に、アイスでも食べながらぼちぼちやっていきましょう。

学生サポートルーム カウンセラー