コラム

すみっこは好きですか?

 「すみっコぐらし」というキャラクターを知っていますか?
 シロクマやねこ、恐竜の生き残りである、とかげ、ペンギンに似ているけれども緑色をしている、ぺんぎん?といった「すみっコ」といわれるキャラクターには、なんと、とんかつもいたりします。これだけで、動物なのか、生き物なのか、食べ物なのか、という感じですが、さらには、風呂敷や、ざっそう、タピオカ、といった「みにっコ」というキャラクターもいます。すみっこが落ち着く、ということを共通点として、彼らは日々集い、部屋のすみっこをお互いに譲り合ったりしているのです。雑多な感じは確かにするのですが、百鬼夜行のように、ものが命をもつ話はたくさんあるのですから、現代においても、風呂敷やざっそうやたぴおかやエビフライのしっぽだって、しゃべったり遊んだりするのです。生き物の中に、生き物ではないものが入っているのはおかしい、とか、なにかのコンプレックスのあらわれかしら、などというのは、無粋というものです。
 シロクマは、シロクマであるにも関わらずなぜか寒がりで暖かいところを目指してきたということになっており、とかげ、は、本当は恐竜で離れて暮らす恐竜のお母さんがいるけれども、わかると捕まえられてしまうかもしれないので、恐竜であることを隠してとかげのふりをしています。ざっそうは、お花屋さんでブーケにしてもらうことを夢みており、とんかつやタピオカやエビフライのしっぽは、残さず食べてもらいたい、と思っています。
 どこか憎めず人をほっとさせるキャラクターたちですが、恥ずかしがりだったり、すみっこが好きという一見自信がなさげな様子に反して、それぞれ自分の分を全うに発揮することを望んでいるようです。あぶら身が多くて食べ残されたとんかつが、ひれかつになりたい、と思うのではなく、そのままで、食べてもらい役割をまっとうすることを望んでいるのです。ねこは、スリムな体型を理想にしながらも実際はぽっちゃりしていて、恥ずかしがりの性格です。ぺんぎん?は自分はぺんぎんに似ていると思っているが、自信がなく、遠い昔には頭の上にお皿が乗っていたのではないか?と遠い祖先(河童?)に思いをはせています。すみっコたちが、すみっコのままで、ほかのものになりたいと思うのではなく、自分の分を十分に発揮するならば、とても楽しいですし、なにか予測できない可能性が拓けてくるような気持ちまでしてこないでしょうか。
  あらゆるものに、命があると思い、こころの息吹を感じることと、背景になるものごとに、価値を見出すことが、私たちの文化にはあると思われます。「すみっコぐらし」は東洋的な価値感に沿うところがあるのかもしれません。
 大学生のみなさんは、課題やしなければいけないことが多く、日々、目の前にあることをこなしていくことで目一杯に忙しいという人も多いかもしれません。効率を重視して、目的をかなえるために、一直線、というときも、あるとは思いますが、すみっこに関わると、広がりや風景が違って見えることがあるのではないでしょうか。普段は人の前や、いろいろな人の真ん中でがんばるけれども、それと同じくらいに、すみっこですごす時間がいちばんほっとするという人もあるかもしれません。また、人見知りでわりといつもすみにいることが多いかもしれない、という人は、すみっこに隠された価値を見出してみるとよいのではないでしょうか。ひとつの中心があって、辺縁があるのではなく、それぞれ小さな存在の中に、生き生きとした中心があって、個性があるということ、それぞれの中心の中にこそ、なにものにも代えられない価値があることを、すみっコたちは教えてくれているのかもしれません。
  

学生サポートルーム カウンセラー