コラム

サブカルチャーから日本を見る①~ゾンビ~

 最近、アメリカのテレビドラマ『ウォーキングデッド』にはまっている。時間もあまり取れず、物語はシーズン10に入っているにも関わらず、未だ私はシーズン2を見始めたところであるがはまっている。物語はいわゆる「ゾンビもの」で、ゾンビが蔓延するアメリカで、生き残った者たちの人間ドラマを描く。毎回、緊張感の中で物語が展開するので続きが気になって仕方がない。しかし、面白いのだが「まだアメリカは、結局怖いのはゾンビより人間という物語にこだわるのか」という感もまたわいてくる。ゾンビの登場は日本よりアメリカの方が先だが、ゾンビ理解は日本の方が先を行ってしまったのではないかとの思いがよぎる。
 ゾンビの歴史を簡単に振り返っておくと、もともとはアフリカ地域で信仰されているブードゥー教の神官ボコが用いる死者を復活させる粉「ゾンビパウダー」が、ゾンビの語源だという説がある。世界の中でゾンビが信じられていた地域を調べてみると、主にイギリス・アメリカ・アフリカで、土葬の文化とも、ペストの流行とも因果関係はないように思える。私の考えでは奴隷の三角貿易の歴史と何か関係がある気もしている。綿花プランテーションに従事させたアフリカからの奴隷の信仰するブードゥー教、集団の奴隷に対する、使役者の潜在的な罪悪感や恐怖感。そういった様々な要因がゾンビという怪物を誕生させる契機になったのではないかと考えているが、推測の域を出ない。
 ゾンビの名を一躍有名にしたのは、ジョージ・A・ロメロのゾンビ三部作であることは言うまでもない。もはやこの時点で、「ゾンビ=環境」の図式は完成していた。もちろん、ゾンビは襲ってくるし怖いんだけれど、物語は結局逃げ込んだ先での人間同士のいさかいに焦点化していく。ここでは物語は「ゾンビという環境の中での人間同士のドラマ」がメインであり、この図式は、ロメロが『Night of the Living dead』を発表してから半世紀以上たった『ウォーキングデッド』においても変わっていない。
 一方、日本においては事情がいささか異なるように思われる。それは、今年NHKの夜ドラ枠で放送された連続ドラマ、『ゾンビが来たから人生見つめ直してみた件』などにおいても顕著である。ここでは「ゾンビ=自分」と相対化される。これは、イギリスのゾンビ映画の名作『ショーン・オブ・ザ・デッド』が提出したテーゼをさらに拡大している。集団の中で行動し、集団にいることで不安がないように見えるゾンビは、みんなと同じでいることに安心を覚えやすい日本人のメンタリティととても良くあうのかもしれない。
思えば20年以上前、アメリカのB級映画『バタリアン』が日本でスマッシュヒットしたが、原作では名前などなかった個性的なゾンビ達に「オバンバ」「タールマン」などの名前を付けたのも日本の配給会社だったし、そこから「おばたりあん」などという流行語まで生まれた。2012年のハヤカワミステリマガジンには、ゾンビのペイントを施して、集団で公園等を練り歩くという「ゾンビウォーク」なるイベントまで紹介されている。
 「ゾンビとは何か」を考えることは、「日本人とは何か」を考えることとほとんど同義。ゾンビ文化としては後発の日本であるが、日本におけるゾンビ受容の多様性は画一的理解に留まるアメリカをもはや追い抜いているのかもしれない。
 

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