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SGH 広島平和研修を実施

2017.08.02

Super Global High School (SGH)
SGH広島平和研修報告

                       

SGH広島平和研修を実施しました

 

726日(水)~728日(金)の3日間にわたり、東京、台湾と続く「SGH夏季平和三研修」の第一弾としてSGH広島平和研修を実施しました。2014年度から広島、長崎、長崎と実施してきて、今年度は再び広島を訪問しました。GLコース・GJクラスから9名が参加しました。本校SGH事業では「貧困の撲滅と災害の防止・対策 ~世界平和の実現のために~」の研究開発課題の具体的構想テーマのもと、日々の授業で得た知見を現地体験によって検証し、また、それまで知らなかったことを肌感覚で体得し、将来社会において世界の平和を希求し、その実現のためにどのような貢献ができるのかをともに考えています。

事前学習では広島を巡る戦前から原爆投下までの歴史的背景をリサーチ、発表し、立命館大学国際平和ミュージアムを訪問するなどしてきました。それまで知識として知っていたものが、時を越えて学び直すことで異なった様相をもって立ち現われてきたようで、改めてその認識を共有して現地研修に臨みました。

  

1日目午後到着後、広島大学附属高等学校ユネスコ班の皆さんと合流し、碑めぐりフィールドワークを実施しました。ユネスコ班30数名がこの日のために資料を作成していただき、炎天下のなか2時間半にわたり一つずつ碑を丁寧に説明していただきました。詩人峠三吉の「ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ わたしにつながるにんげんをかえせ にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ」という言葉に胸を撃たれ、原爆という文字を使用できなかった戦後まもない時代背景から「E=MC2」というアインシュタインの相対性理論からとられた原子力エネルギーの公式を使い反原爆を訴えた広島市立高女原爆慰霊碑から当時に想いを馳せ、現在の私たちの生活を振り返りました。事前にリサーチをして臨んだ本校生徒にとっても、実際にその現場にたち、ユネスコ班の生徒たちから語られたエピソード等を耳にして驚くこともしばしばでした。祖父が被爆者であるということをつい最近告げられ、当惑しつつもそれを真正面から受け止めて自分にできることは何かと考え、行動しようと決意したということや、このような碑めぐり学習をそれだけで終わらせずにみなさんにもできることをしていってほしいという訴えなどは、当事者性をもって迫ってくる言葉でした。原爆投下候補地の一つでもあった京都の高校生とこうして交流できたことを運命のことのようだと語る生徒。世界平和の実現とは、ときに「大文字」の平和を語ることで等身大のそれが見えなくなり、自分たちにできることの限界と無力感から行動することが躊躇われることがままあるなか、広大附属生徒たちの、友好的で歓待的な振る舞いはその一つの実践のありかたなのだということを学んだようでした。碑めぐり終了後は意気投合した生徒同士が夕食をともにしながら交流を深めることもでき、今回の出会いが大きな財産となったようでした。夜のミーティングでは、2時間にわたり各自1日を振り返り、研修中の活動への想いなどを共有し、翌日の活動について綿密にグループでディスカッションしました。

  

 2日目は平和記念資料館で平和学習講座を受け、資料館を見学し、被爆者の方から講話を聴きました。また、平和記念公園を訪れている方々への聴き取りインタビューのフィールドワークを実施しました。3人グループで質問項目を立て、どのような想いをもって広島を訪れているのかを知ることはもちろんのこと、インタビューの作法や傾聴力、質問力や英語力などのスキルを育成することを目的としました。海外の方にも積極的にインタビューするため英語での質問を想定して臨みました。そして、計4時間にわたり実施し、目標を大きく越える方々からお話をきくことができました。

 

 

 平和講座学習会では、講師の辻靖司さんから戦前の世界や日本を巡る歴史的背景の説明や、臨界や連鎖反応などの原爆の原理などを解説いただきました。「事実を正しく知ってほしい」。辻さんのお話からは、事実の客観性を知ったうえで歴史観を形成してほしいとの想いを受け取りました。また、核軍縮の動向など現代の問題についても詳細に解説いただきました。

資料館本館改修中のために東館に集められた数々の資料等を見学したのち、被爆者の方からお話しを聴く機会を得ました。満州事変の1931年に生まれた86歳の葉佐井博巳さんは、中学2年生であった14歳の時、軍需工場のある動員先の広島県廿日市市で広島市への原爆投下を知り、翌日自宅へ帰るため広島市内に入り被爆されました。「どんな光だったのかと言われても記憶にない、瞬間的に目を閉じるほど見たこともない光だった。光はエネルギーを運んでくる」。広島大学名誉教授で理学博士でもあられる葉佐井さんの、原爆の脅威や広島と長崎のそれとの違い、その後の事実を科学的データをもとに淡々と列挙し解説されたその語りが、かえって当時の恐ろしさを表現していました。また、戦前と戦後の180度変わった教育を受けたときの戸惑いとショックの話や、「おそろしかった。(被爆された方々は)人間の形相ではなかった。地獄だった。正視に耐えられるものではなかった」「神経が残っていて痛みを感じる人々は『助けて』といって抱きついてくる。恐怖だった。皮膚のただれた人を運ぶ手伝いをしていた私は、思わず『がんばれ』と言ってしまった。そんな状態ではがんばれるわけないのに」。エモーショナルな語りでない分、聴く側の想像力を掻き立て、現実を目の当たりにしているような錯覚さえ覚えました。

夜のミーティングでは、2日間の活動の振り返りを行いました。子連れの親、地元の方、戦争体験世代の方、海外から来られた方。海外の方60名以上を含み100名を越える方々へのインタビュー。ヒロシマに来て、見て、何を考えるのか、なぜここに来たのか、どれくらい原爆のことや碑のことを知っているのか、どのような平和学習をしてきたのか、日本の戦時中の行為をどう評価するのか、核兵器は必要だと思うのか…。海外の方にも臆することなくインタビューできた。しかし、聞きっぱなしになることも多く、言葉のラリーが続かなかった。かえって、誠実に答えていただいている方々に申し訳なかった。インタビューを通して、ただ質問を投げかけるだけではなく人と人との心の交感、コミュニケーションができた。戦争体験者から聴く重みを感じた。幼い頃に来た時には思わず目を背け直視できなかった資料や写真などを今回は逃げずに見つめ、そして考えることができた。日本と海外の方々の意見や価値観の相違をインタビューを通して実感できた。オバマ大統領効果もあってか海外の方々の多さや意識の高さを感じた。対して、日本の方々は圧倒的に修学旅行生や平和学習で来ている生徒や学生が多く、一般の方々が少ないように思えた。語り部の高齢化の問題と継承の自覚を感じた…。生徒たちは、それぞれの言葉の重さに打ちひしがれたようでした。

広島で出会った人たちが異口同音に口にすること、それは戦争の現実を知ろうとすることに加え平和の大切さを忘れず理解し継承していってほしいということ、継承とは体験を身近な他者へ語っていくこと、そして、平和の実現のために個々人ができることは仲良く友好的に振る舞い、いじめのない友人関係をつくること、などでした。昨日同様、平和という言葉の崇高さとその重みが、意外にも幼い頃に大人から言い聞かされてきた内容と附合する数々。しかし、それこそが大切なのだ。「知識の多寡で勝負してほしくない」。平和を語るに、その年齢や資格は問わない。だからこそ、生徒たちにはそのことを知って、「大きなこと」でなくてもいい、自分たちにできる身近なことから始めてほしい。そういった想いを噛みしめた時間となったようでした。

  

最終日は呉に場所を移し、呉市海事歴史科学学館大和ミュージアムや海上自衛隊呉史料館の見学、周辺のフィールドワークを行いました。生徒たちは、戦前軍港だった呉の足跡を知り、日本のものづくりや科学技術のすばらしさという側面と、人間魚雷「回天」などの特攻によって命を失った多くの人々の生ついて知り、戦争の悲惨さを考えることで平和を希求する思いを新たにできたようでした。

 本研修は3日間と短いものでしたが、これまでの自らと未来に向けてのあり方について多くのことを考え、行動した濃密な3日間でありました。世界平和の実現。本校SGHはこれからもこの課題研究テーマについて、生徒とともに学んでいきたいと思います。