目指す教員像 ‐TEACHERS IMAGES‐

ニュース
トピックス

‐NEWS / TOPICS‐

COLUMN

【教員コラム】別れと出会いの季節のなかで

 3月から4月は、冬を耐えた樹木や草花が一斉に芽吹き、 満開の桜が新しい門出を祝福してくれる季節です。しかし、 新しい出会いの前には、慣れ親しんだ仲間との別れがあり ます。そこをしみじみと味わう間もなく、追い立てられるように 新年度が始まってしまいます。
 いじめ問題への対応に一緒に取り組んできた教育行政、 市行政の方々からも、異動のご挨拶をいただいたのですが、 ゆっくりと振り返ってお礼のメールをしたためる余裕がなか なかなく、静かな深夜に返事を書きました。
 周囲の環境の変化が先行し、身体はそこにあるけれども、 心は後から一生懸命追いかけてくるような感覚に囚われま す。春は、新しい出会いのなかで元気をもらいながら、実は 心身の調子が一番崩れやすい季節だと思うのです。みなさ んの調子はいかがでしょうか。
 このように、大人でも調子を崩しやすい時期ですから、特 に、新しい環境に馴染むのに少し時間がかかる子どもにと って、新学期は希望に胸をふくらましつつも、結構エネルギ ーを要するつらい季節かもしれません。だからこそ、いきなり エンジン全開ではなく、慣らし運転から始めましょう。そのた めに草花は小さな花をつけ、桜は咲いて一息入れるひと時 をくれているのかもしれません。
 私は、2001年度から2018年度まで文学部教育人間 学専攻に所属し、途中5年間は大学院応用人間科学研究 科と兼担し、2017年度に開設された教職研究科とも 2年 間兼担をしてきました。3回生、4回生ゼミは、それぞれ15名程でしたが、毎年4月の3回生ゼミでは仁和寺へ、4回生 ゼミでは龍安寺へとフィールドワークに出かけ、桜を愛でな がらお花見団子をいただき、一息ついて一年間を始めてき ました。
 しかし、コロナ感染拡大予防を理由に、2020年3月、私 にとっては最後となった第16期学部専攻生との卒業式、 及び第2期教職研究科院生との修了式は、すべて中止とな ってしまいました。いまだに思い残したものを抱えている自 分がいます。
 しかも、例年の春とは異なる点が、今年は二つも重なって 起きています。私たち大人や子どもたちに大きな影響を及ぼ しているのではないでしょうか。
 一つには、なかなか先の見えないコロナ感染拡大の問 題があります。コロナ時代が3年目を迎えていますが、学生 たちと桜を愛でながらお花見団子をいただいたり、食事会 をしたりすることはなくなりました。お世話になり退職された 同僚の先生方とのお別れ会もできていません。
 この間、いくつかの自治体で、いじめ問題などに関わり、学 校訪問をさせていただく機会がありました。先生方からは、 「すぐにあきらめてしまう子どもが増えた」「マスク生活のな かで、子どもの言葉と感情がなかなか出てこない」「不登 校の子どもや自傷行為をするこどもが増えている」といった 声をよく聞きました。
 二つには、毎日リアルタイムで映し出されるウクライナへ のロシア侵攻の問題があります。平和な日常生活が突然 の砲撃によって破壊され、多くの命が奪われるという理不 尽な戦争は、日本、世界の子どもたちの目には、どのように 映っているのでしょうか。感性豊かな子どもたちや日常生 活で傷ついている子どもたちの心が、さらに傷つくような事 態を危惧しています。「地球市民」として、私には、何ができ るのかと問いながら、様々な感情が錯綜して、悶々としてい る自分がいます。
 コロナ時代のなかで、オンライン会議も定着してきました。 そのなかで、効率性の促進に拍車がかかり、一見無駄に見 えるけれども大切なこと、たわいもない会話や笑顔を交わ すことなどが、捨象されてはいないでしょうか。規格品として の商品を生産するのではなく、生身の人間を育てるという 教育、子育てという営みは、たいへん手間のかかる仕事で す。育てている側の教師や親も育っていく必要があるため に、二重に手間がかかり厄介なのです。そこでは、無駄に見 えるようなことやたわいもないこと、失敗や葛藤といった経 験が、実はとても大事なことであったりします。
 別れと出会いの季節のなかで、悶々としていることも無駄 なことではないと思っています。