研究活動

『立命館哲学』目次 第21集〜第30集(2010年〜2019年)

第21集(2010年)※在庫僅少

講演 高橋義人 ヘーゲルとグノーシス
論文 デアン・コメル (小田切建太郎訳) 原理的な現象学的呼びかけ<<事象そのものへ>>について
黒岡佳柾 民族と共同存在―ハイデガー『存在と時間』と『言葉の本質への問いとしての論理学』を巡って―
彙報

第22集(2011年)故 西川冨雄名誉教授追悼号※在庫僅少

故 西川冨雄名誉教授 略歴と業績
追悼文 池田善昭 西川冨雄先生を偲ぶ
日下部吉信 西川冨雄先生のご逝去を悼む
服部健二 『環境哲学』をめぐって―西川先生の思い出―
大西光弘 西川先生を偲んで
追悼論文 松山壽一 「万年哲学青年」西川冨雄 人と思想―亡き恩師を偲んで―
講演 立松弘孝 日本における欧米哲学、特に現象学受容の歴史
論文 佐藤光友 生命倫理についての教育的考察
藤井俊之 「ざわめき」としての主観―アドルノのアイヒェンドルフ論に寄せて―
小菊裕之 沈黙する感情、潜在する声―『抗争』以降のリオタールにおける声と感情のモチーフについて―
書評 加國尚志 川瀬雅也著『経験のアルケオロジー』
彙報

第23集(2012年)

講演 熊野純彦 マルクスをどう読むか
論文 池田裕輔 前期フィンクにおける間主観性の現象学
松田智裕 初期デリダにおけるエクリチュール概念の再検討―不在と消失をめぐって―
彙報

第24集(2013年)

講演 湯浅博雄 バタイユと模擬性=虚構性
論文 黒岡佳柾 リンギスによるレヴィナス―共同体の問題を巡って―
横田祐美子 Le non-savoir et l'inconnu―バタイユ「内的体験」における認識と視覚を通して―
彙報

第25集(2014年)

講演 野家啓一 物語り行為としての自己制作
論文 對馬果莉 アーレント思想における「精神的活動力」の道徳性―「思考」・「意思」と「双数性」に着目して―
酒井麻依子 メルロ=ポンティ:ソルボンヌ講義における共感―他者・言語との結びつき―
彙報

第26集(2015年)

講演 加賀野井秀一 生きられた時 le temps vécuを求めて――メルロ=ポンティ哲学の魅力
論文 有村直輝 ホワイトヘッドにおけるコントラストの概念について
栁川耕平 フッサール現象学から見た「未来」――予持概念を手掛かりとして
彙報

第27集(2016年)

講演 古東哲明 根源的和解
ダリン・テネフ(酒井麻衣子・栁川耕平訳) ほかにもこだまらがこの園を棲家としている(翻訳の現象学に向けて)
論文 平尾昌宏 なぜ論文を〈です・ます〉で書いてはならないのか――日本語からの哲学・序論(一)
小田切建太郎 〈根源の場所〉と〈かまど〉――M・ハイデガーのヘルダーリン解釈をめぐって
市川博規 文学と共同体――バタイユ、ナンシーから考察する
彙報

第28集(2017年)

講演 合田正人 レヴィナス著作集における意味とリズムから
対談 日下部吉信×田邉正俊 存在と主観性――西洋形而上学2600年の歴史
論文 池田裕輔 オイゲン・フィンクの現象学的カント解釈について(前編)
小田切建太郎 初期ハイデガーにおける関心の中動態
書評 青柳雅文 服部健二著『四人のカールとフォイエルバッハ』『レーヴィットから京都学派とその「左派」の人間学へ』
彙報

第29集(2018年)

講演 小島優子 ヘーゲルにおける贖いの思想――『キリスト教の精神とその運命』を中心に
書評:加國尚志 『沈黙の詩法――メルロ=ポンティと表現の哲学』 酒井麻依子 『沈黙の詩法』書評会報告
横田祐美子 書評『沈黙の詩法』
佐藤勇一 書評『沈黙の詩法』
論文 池田裕輔 オイゲン・フィンクの現象学的カント解釈について(後編)
西川健太 「語り」と「語ること」から考察する他者への「贈与」――レヴィナスの他者論をめぐって
彙報

第30集(2019年)

合評会:小田切建太郎 『中動態・地平・竈――ハイデガーの存在の思索をめぐる精神史的現象学』 小田切建太郎 『中動態・地平・竈――ハイデガーの存在の思索をめぐる精神史的現象学』についての書評たちによせて
酒詰悠太 『中動態・地平・竈――ハイデガーの存在の思索をめぐる精神史的現象学』合評会報告: 方法としての中動態
黒岡佳柾 竈から復活するハイデガー哲学――「存在への問い」を、古代ギリシアの遊動空間へ送り返し、ハイデガー研究の新たな幕開けを予感させる労作
田邉正俊 書評『中動態・地平・竈――ハイデガーの存在の思索をめぐる精神史的現象学』
論文 勝田岬 フッサール空想論の展開
彙報

研究活動