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最後の立同戦へ――キャプテン・丸岡優太が語る、支えてくれた人への感謝

 硬式野球部の立同戦が、10月21日(水)・22日(木)にわかさスタジアム京都で行われる。硬式野球部の4回生にとっては最後の立同戦となるこの一戦を前に、1年間、このチームをキャプテンとして引っ張って来た丸岡優太(文学部4回生)の想いに迫った。(文・写真:立命スポーツ編集局)

 昨年秋に行われた明治神宮野球大会で、創部初の準優勝を収めた立命館大学硬式野球部。今年度、多大なプレッシャーの中チームをキャプテンとして率いたのが丸岡だ。父親、そして恩師の言葉を胸に過ごしたこれまでの野球人生を振り返り、野球人生最後の試合となる立同戦に向けての胸の内を明かす。

 大阪府藤井寺市で生まれ育った丸岡。2004年まで存在した「大阪近鉄バファローズ」のかつての本拠地である藤井寺球場があった街であり、「本当に野球の街だなっていう感じもあった」と語る。父親が立命館大学準硬式野球部でキャプテンを務め、母親がそのマネージャーだったこともあり、物心がついた頃にはバットを振っていた。小学校の頃から、チームで一番上手かった。そして中学では、ボーイズの強豪・藤井寺ボーイズに所属。「小学校の時は、年間3勝ほどしかできなかった。勝つイメージなんかなく中学に入って。中学は全国ベスト8まで行って、こんな野球って勝てんねやって感じた中学時代でした」と当時を振り返る。そして自身は中学3年の時にJUNIOR ALL JAPANに選出。そこでもキャプテンに選出され、まさに順風満帆な野球人生だった。

 高校は地元を離れ、全国屈指の名門校・報徳学園高校へ進学。「中学生の頃から寮生活をしてみたいなと思ってて。大阪以外の高校に行きたいなっていう思いを抱いている時、報徳が一番最初に声をかけてくれたっていうところもあったんで、迷わず報徳に決めました」とその進学理由を語った。しかし、この高校生活で丸岡は大きな挫折を経験することとなる。中学でJUNIOR ALL JAPANに選ばれ、そこでキャプテンをやったことで、この時丸岡には大きな自信があった。高校1年生の夏からレギュラーと意気込んで入ったものの、自分の想像とはかけ離れた高校生活のスタートになった。「中学生ってところもあると思うんですけど、誰にも負けないぞっていうような、負けるわけないだろっていうような気持ちで高校に入ったんですけど。自分が想像していたようなレベルではなくて。さらにもう二段も、三段も上の選手の集まりでしたし。やばいぞこれはって思いで練習している中でちょうどケガとも重なって。自分の中ですごく焦りを感じていたんで。今の自分ではどうしようもできない情けなさというか、本当にそこで自分の鼻をへし折られたなって感じはありましたね」と、振り返った。憧れの寮生活でも、先輩との共同生活でのストレスを感じ、グラウンドに出ても部員が150人以上いる環境の中ではなかなかボールも触れないなど、辛い高校野球生活を送ることとなった。そんな丸岡を救ったのは、父親だったという。「本当にどうしようっていうような相談をした時に、なんでそんなんで心折れそうになってるのか。自分がずっとキャプテンをやってJUNIOR ALL JAPANにも選ばれて。お前が野球をやっているのは自分一人の力じゃないし、別に両親に感謝せいとは言わないけど、今まで支えてくれた仲間、指導者であったりおじいちゃんおばあちゃんであったりとか。絶対自分一人の力でそんなとこまで野球できていないのに、なんで自分の気持ち一つで心折れそうになってんねん、みたいに言われて、、、」と語った。普段は厳しく叱ったりする性格ではない父親からの言葉で、丸岡は乗り越えるきっかけをもらった。また、もう一人高校時代に影響を受けた人物として、報徳学園の監督・大角健二氏を挙げた。「野球バカにはなるな。野球人になれと指導されてきた。野球を辞めた時に、バカが残るか人が残るか。それだけでその後の人生は大きく変わるというようなことを言われてきたので。自分の調子が悪い時にどういう行動をするのかっていうところもそうですし、自分の結果だけを求めず、周りと声を掛け合って、周りに感謝してやりなさいっていうところずっと言われてきました」。この『野球人』の考え方は、現在でも頭に入れながら行動しているといい、立命館の選手たちが、丸岡へ絶大な信頼を寄せる理由となっているのだろう。キャプテンに就任した報徳高校3年生時、優勝候補と目される中、最後の夏は敗退した。ただ丸岡は、この3年間を、人間として一番成長した最高の3年間だという。「報徳で巡り会えた仲間もありますし、大角先生に鍛えてもらったっていうところもありますし、吹っ切れたわけではないんですけど、本当にあの高校三年間があって、あの夏の大会があってよかったなと思います」と、振り返った。

 高校卒業後、恩師・大角氏、そして父と同じ立命館大学に進学した丸岡。しかし、ここでも丸岡は壁にぶつかった。3回生に上がるまでベンチ入りしたのは、片手で数えられるほど。チャレンジリーグで活躍をしても、Aチームに呼ばれず、苦しい日々を過ごした。「コーチの人に自分どうすればいいですか?って聞きに行って。今は我慢してくれって言われて。自分の中ではなんでだって、その我慢してくれっていう言葉だけじゃ納得できない部分もありました」と当時の心境を明かした。しかし、そこで踏ん張れたのも、高校時代の経験だという。「大学っていう環境では特に自由がすごく増えるので、そこで腐る選手が大半だと思うんですけど、そこで腐らなかった自分を褒めてあげたいなっていうところはあります」と語る。3回生のキャンプで遂にAチーム入りを果たす。今年こそはという気持ちの中の一年間の始まりだった。そして開幕戦でスタメン出場。その第一打席でヒットを放った。同期が多くリーグ戦出場経験があったこともあり、当時を「こいつら今までこんな楽しい思いしてたんだっていうのが正直思ってました」と振り返った。しかし、またも丸岡にとって耐えの時が訪れる。夏の遠征、そして秋の開幕戦にも、丸岡の名前はなかった。だが、「この時は苦しいなよりも悔しいながあったんですけど、高校1年生の時と大学2年生の時と、こういう思いをしたからこそ、この時は自分にとっては全然余裕だっていう感覚はありました」と、過去の辛い経験が、自分を助けてくれた。

 この年の春優勝していた近畿大学との直接対決。負ければ優勝が遠のく中での一戦で、のちに丸岡が、野球の神様からのご褒美と語る場面が訪れる。一勝一敗で迎えた第三戦。両者一歩も譲らない戦いだったが、この日、第2戦から2試合連続となる本塁打を放っていた角井翔一朗(産業社会学部 2026年度卒)が、守備時に足が攣るアクシデントが発生。丸岡が急きょ出場していた。1点ビハインドで迎えた運命の裏の攻撃。先頭打者は丸岡だった。この時を、「周りも、角井じゃないんかっていうような思いが多分あったと思うし、この時はやってやるぞっていう思いよりも、いやいや実戦一ヶ月ぶりの打席やねんから打てるわけないやんっていう思いでした」と語る。しかし、「でもここで打ったらかっこいいよな、と思いながら打席に入りました」と振り返った。そして、初球を捉えた打球はレフト前ヒット。ベンチ、スタンドが湧き、丸岡は吼えた。後続が続きサヨナラ勝利。「今まで耐えてきたことがあの1打席、身になって出たんだなっていうふうに思うので。苦しい時耐えれば、最後絶対いいものが舞い降りてくるっていうのを経験できた1打席だったなというふうに思います」と笑顔で語った。

 6年振りのリーグ優勝、そして明治神宮大会を準優勝で終えた昨年、次年度キャプテンに丸岡が就任することが発表された。迎えた今年度、苦しいシーズンが続いた。「今年行けるぞっていうところよりも、負けられないっていうようなプレッシャーの方がものすごく大きかったっていうのは正直なところ」と口にした。春は近畿大学、そして優勝した関西大学から勝ち点を落とし、3位に終わった。秋も序盤から勝ちきれない試合が続くなど苦しい試合が続いた。大学卒業後の進路が高校時代以上にバラバラな中、キャプテンとしての難しさを語った。

 勝ち点がない中迎えた春の王者・関西大学との試合。1戦目を劇的なサヨナラ本塁打で勝利し、迎えた第2戦。両者無得点で迎えた4回表、2アウト一三塁の場面で、丸岡が打席に向かった。カウント0−2で振り抜いた打球はレフトスタンドへ、リーグ戦初本塁打の先制本塁打となった。高校最後の試合のあの日、涙越しに映ったほっともっとフィールド神戸の一塁側スタンドは、丸岡を祝福する観客の笑顔が広がっていた。この試合を制し、春の雪辱を果たした。苦しいことを耐えてこそ、いい結果が待っているということを証明した丸岡の野球人生を象徴する本塁打だった。

 16年間の野球人生も、終わりに近づいている。最後のプレーとなる立同戦へ向けて丸岡は、「自分の野球人生最後のグラウンドのメンバーが、このメンバーでよかったなっていうふうに思いますし、この一年間の集大成、僕自身の16年間の集大成を見せられる立同戦にできたらなと思います」と語る。今まで支えてくれた人への『感謝』を胸にグラウンドを駆け回る。

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