サッカーを通じてインドの社会問題解決に挑戦する卒業生 萩原望さん

 国際NGO団体の職員としてインドで農村開発事業を通して貧困層の人々を支援している萩原望さん(2015年度 産業社会学部卒業)。Jリーグ「大分トリニータ」のユースチーム出身で、大学時代は体育会サッカー部の副キャプテンとしてチームをまとめてきた。さらに、サッカー以外にも不登校児童を支援するNPOでのボランティア活動にも従事し、大学卒業後は大手自動車メーカーに入社。しかし「世界の貧困問題に貢献したい」との思いから3年半で退社。現在は、インド・ビハール州・ブッダガヤで、子どもたちの貧困・栄養失調などの社会問題に対して、サッカーを通じて課題解決を図ろうとしている。

インドで挑戦する萩原さん
インドで挑戦する萩原さん

将来の夢はプロサッカー選手になること。しかし、プロの壁は高かった

 岡山県出身の萩原さんは、3歳からサッカーを始めた。小学生になると頭角を現し、岡山県大会優勝や、全国大会にも出場。個人でもナショナルトレセンに選ばれるなど、プロサッカー選手を目指す少年は順調にキャリアを歩んできた。中学生になると、地元の街クラブ「サウーディFC」に所属し、徹底的に個人技を磨きあげた。複数のJリーグのユースチームからのオファーがあった中で、「大分トリニータ」のユースチームへの加入が決まった。

 「当時の大分には、西川周作選手(現:浦和レッズ)や清武弘嗣選手(現:セレッソ大阪)が在籍されていて、クラブとして勢いがある印象でした。地元を離れ、大分で成長したいと思ったことを覚えています」(萩原さん、以下同じ)

 ユースチーム加入後は、2年生で副キャプテン、3年生でキャプテンを任された萩原さん。しかし、チームとしては思うような結果は残せず、高校3年生の春、トップチームに昇格できないことを告げられた。

 「プロになれないと告げられた時、(そのタイミングで)なぜプロになりたいのかを考えました。物心ついた時からサッカーをやっていて、自然と将来の夢はサッカー選手だったんですけど、その時はじめて、自分がサッカーを通じて地元の友人や家族に認められたいという感覚があることに気づきました。色々と考えた結果、もっと社会のいろんなことを見たい、サッカー以外の事にも関心を持ちたいと考え、大学進学の道に進もうと決めました」

 当時の大分トリニータユースの監督が立命館大学出身というご縁もあり、萩原さんは立命館大学体育会サッカー部の練習に参加。「スポーツ能力に優れた者の特別選抜入学試験」で立命館大学に進学した。

学生生活で感じた危機感が、キャリアの考え方に変化を与えた

 立命館大学に進学した萩原さん。サッカーだけではなく、学業にも力を入れたいと意気込んでいたが、1回生を振り返るとサッカー中心の生活を送っていた。思い描いていた大学生活とはかけ離れていた中、萩原さんに転機が訪れた。1回生が終わる頃、谷本敦さん(2015年度 文学部卒業)との出会いだ。

 「谷本君は、ジャマイカの子ども達に野球を広め、スポーツ振興の支援活動に取り組んでいました。同世代で世界に飛び出していろんな活動している人たちがいることを知ったことで、自分も今の状況を変えないとダメだと思いました」

 「スポーツ選抜入試で入学したので、サッカー部にかける思いが強かったんですけど、一方で“生き方”を広げることも大事だと気づきました。サッカー部の活動がある中、長期で海外へ行くといったことは無理でしたが、授業を最前列で受けて、積極的に質問し、隙間時間にできるボランティアに参加するなど、自分の生活の中で少しずつ変えていきました」

 サッカー部以外のコミュニティや仲間ができた萩原さんは、2回生以降、充実した学生生活を送りつつサッカー部でも重要な役割を担っていた。

 「サッカー部では副キャプテンとしてチームをまとめる立場になりました。学生主体で行う活動の中で、たくさん壁にぶつかることもありましたが、『なぜ日本一になりたいのか?』という課題意識を常にチームと共有し、ベクトルを合わせる取り組みを継続しました。1年間、言葉と姿勢で部員に問い続けてきた経験はとても有意義でした」

試合ではゲームキャプテンとしてチームをまとめた(後列左から一人目が萩原さん)
試合ではゲームキャプテンとしてチームをまとめた(後列左から一人目が萩原さん)

大手自動車メーカーに就職、そして転職し、インドへ。

 大学卒業後は、大手自動車メーカーに就職し、国内販売計画を担当する部門で働いた萩原さん。充実した社会人生を送っていた中、3年半後に退社を決意。2020年、京都の国際NGO団体に入局した。2021年3月からはインドに駐在し、農村開発事業に取り組みながら、仕事前や休みの日に地元の子どもたちにサッカースクールを行なっている。

 「ある日、余暇の時間を使って、道端でボールを蹴っていたところ、子どもたちがすごく集まってきたんです。ビハール州の子どもたちは、今も身分制度や性差別が根強く残っていましたが、子どもたちの姿をみて『サッカーを通じて何かできるかも』と思い、サッカースクールを開校することにしました」

 2021年5月、萩原さんは「FC Nono」を設立し、本格的にブッダガヤでサッカースクール事業を開始。貧困層の子どもたちにサッカーを教えると同時に、教育や人材育成、栄養補助事業などにも取り組んでいくという。

 「当初は、サッカーを自分の生活の中で、周囲に働きかけるツールとして活用するとは思ってもみませんでした。ですが、インドの地で、懸命に生きる子どもたちがサッカーボールを蹴っている姿を目にすると、いつも自分のそばにあったサッカーのポテンシャルを感じるようになりました。『サッカーを通じて“努力は報われる社会”の実現』に向けて、これからも進んでいこうと思っています」

小
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ビジョンに共感してくれた多くの仲間を信じて

 FC Nonoの活動はスタートしたばかりだが、ビジョンに共感した方々が次々とサポートを表明してくれている。スポーツ健康科学部の海老久美子教授や教職研究科の荒木寿友教授らもアドバイザーとしてサポートされているメンバーだ。

 「海老先生には、栄養アドバイザーとして活動に携わっていただいています。インドの貧困家庭の子どもたちの栄養改善に向けた様々なアドバイスをはじめ、モニタリング調査も行なっており、学会でも報告しようと計画中です。荒木先生には、教育学の視点で、子どもたちとの対話や接し方など、コミュニケーションの観点でサポートいただいています」

 「また、西川周作選手や清武弘嗣選手、梅崎司選手など10人以上のJリーガーをはじめ、サッカー以外のプロスポーツ選手からもサポートを表明していただいており、社会課題を解決に取り組むために競技を超えたつながりも生まれてきました」

行動すれば、これまでとは違う景色がある

 19年間続けてきたサッカーが、インドの地で、新しい形となって萩原さんの力になっている。そこには、大学時代の“枠を超えた”経験が、挑戦の原動力として、萩原さんを突き動かしている。

 「大学の時に、現状の枠を超えたら、絶対何か違う景色があるっていうのを経験として得ていたからこそ、今の活動の後押しになりました。子どもたちにも、努力したら報われるということは伝えたいですし、自分自身も子供たちの夢や目標の実現をサポートしたいと思います」

目標は、インドの国内大会に出場すること、そしてゆくゆくは日本に遠征すること
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