立命館大学校友会報 りつめい - Alumni Magazine "RITSUMEI"
TSUJI Osamu
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辻 理さん
サムコ株式会社 代表取締役会長兼CEO
1965年 理工学部卒業
出会いを力に生み出した
世界に誇る革新技術。
独創的な技術で、他にはない半導体製造装置を開発し、東証プライム市場に上場するまでに成長したサムコ株式会社。 同社を創業し、現在まで率いてきたのが、辻理さんだ。NASAの研究所などで研究に没頭した若き日々とともに、現在に至るまでの思いを伺った。
子どもの頃からモノづくりが好きで、自分でおもちゃを作ったりしたものでした。しかし当時は、専門の学校に進学しようとか、ましてや将来モノづくりで起業するなどとは、想像もしていませんでした。
学費や生活費を稼ぐため、大学では機械工学を専攻しましたが、ほとんどの時間、関心は勉強よりも、もっぱら大学の外の世界に向けられていました。学割を利用して北海道を旅するなど、興味の赴くままに、好きなことに思う存分取り組んだ思い出があります。
お世辞にも熱心に勉強したとは言えませんが、当時理工学部の教授で、後に総長も務められた大南正瑛先生が、私が書いていた論文に目を留め、何かと気にかけてくださったことを覚えています。今思えば、他の人とは違う発想や行動も認め、個性を後押ししてくれる空気が大学にあったからこそ、自由に伸び伸びと学生生活を送ることができました。
多くの人との出会いが
NASAでの研究につながった
1965年、分析機器メーカーに就職しました。その後の人生を決定づける転機が訪れたのは、就職して間もなくのことです。意欲ある若手社員が会社から大学に派遣されることになり、その一人に選ばれた私は、京都大学に赴くことになりました。そこで出会ったのが、分析化学の分野で世界的に有名な穂積啓一郎先生でした。
穂積先生の指導の下、炭素や水素、窒素といった元素を精密に定量する方法の研究に取り組みました。機械工学出身の私にとって、薬学、物理化学は初めての領域です。穂積先生に厳しい指導を受けながら、昼夜を忘れて研究に没頭し、とうとう世界水準をはるかにしのぐ精度の高さで、微量な有機物を測定できる有機微量分析装置を開発しました。
次に研究テーマとして目を付けたのが、ちょうどその頃、注目されつつあった「プラズマ」という現象です。プラズマとは、原子核の周りを回っている電子が、そこから離れて自由に動き回る状態のことで、電子レンジにもこの原理が応用されています。研究を始めてみると、実に面白くて、たちまちのめり込みました。幾つか論文を執筆し、国際学会にも出席するように。これが、次の扉を開くきっかけになりました。
ある年、米国で開催された学会の帰り道、スタンフォード大学に立ち寄った時のことです。宿泊先で偶然、NASA(アメリカ航空宇宙局)の研究員であるジョン・ホラハン博士と知り合いました。彼から「これを書いた日本人を知りませんか」と、プラズマに関する論文を見せられた時は、驚きました。それはまさに私が書いたものだったからです。
それからホラハン博士と交流が始まり、しばらくして「NASAに来ないか」と誘われました。勤め先の社長も、「それは良いことだ。勉強してこい」と、快く背中を押してくれたことから、挑戦しようと決意。面談や論文審査を経て、NASAの研究所に、研究員として迎えられました。
振り返ると、若い私がキャリアを切り開くことができたのは、多くの人との出会いがあったからです。勤め先の社長や目をかけてくれた上司、京都大学の穂積先生、またNASAに誘ってくれたホラハン博士にも、新しい環境に積極的に飛び込み、数多くの人と接する中で出会うことができました。今、大学で学ぶ学生たちにも、学内だけでなく、学外に関心を向け、たくさんの人と交流してほしい。それがきっと将来の貴重な糧になると思います。
血の通った産学連携から
生まれた革新的な薄膜形成装置
私が渡米した1970年代後半、NASAには9つの研究所があり、中でも私は、宇宙船の材料開発や宇宙空間でのライフサイエンスなどの基礎研究を行うエイムズ研究所に勤務しました。ホラハン博士の下で、プラズマを利用した有機物の酸化メカニズムについて、研究を深めました。
酸素プラズマを用いると、有機物を効率的に分解・除去できます。この作用を、半導体製造に欠かせない薄膜形成や不要物の除去といったプロセスに応用できる可能性を見いだしたことが大きな成果です。またホラハン博士は研究の傍ら、ベンチャー企業も立ち上げており、間近で起業の在り方を学べたことも収穫でした。
エイムズ研究所の最先端の研究環境で実績を重ね、1978年に帰国。それから間もなく、大手電機メーカーに勤める友人から、「アモルファス(非結晶)シリコンの薄膜形成装置を作れないか」と相談を受けました。私がアメリカで薄膜形成について研究していたことを知り、声を掛けてくれたようです。
1970年代後半は、新エネルギーとして太陽光発電が注目され、太陽電池の開発が盛んになり始めた頃。光エネルギーを電気エネルギーに変換するための薄膜の開発が、世界中で進められていました。当時薄膜の材料の多くは、規則正しい結晶構造を持つシリコンで、不規則な構造の非結晶シリコンで薄膜を形成する技術は、まだ十分には確立されていませんでした。
私は、関連する論文を読みあさり、それまで研究してきたプラズマを使った薄膜形成の知見から、独自の方法を考案。試行錯誤の末、1979年の初冬、アモルファスシリコン薄膜形成装置を完成させました。
装置開発の現場となった作業場は、京都市伏見区にある雑居ビルの1階ガレージ。車2台が入ればもう満杯という狭い場所で、薄膜形成装置作りがスタートしました。部品を作るための道具も、装置の性能を測定する分析機器も、満足にそろっていません。そこで協力を仰いだのが、かつて派遣されていた京都大学でした。大学なら、最先端の分析装置もそろっているし、力を貸してくれる知人もいます。現在の言葉でいうと産学連携ですが、実態は、そんな堅苦しいものではありませんでした。研究室を訪れては、「あの装置、ちょっと使わせて」と声を掛けると、快く協力してくれました。時には夜中まで一緒に実験したり、帰り道に酒を酌み交わしながら意見交換したりしたこともあります。みんなで話していると、あふれるようにアイデアが湧いてきました。
また作業場のある伏見区には、製造業や加工業を営む中小企業が数多くあります。近所にある町工場の方が、部品作りに四苦八苦する私を見て、「辻さん、そんなんわしが作ったるから」と手を貸してくださいました。起業した後も、伏見地域の企業の方々には、数えきれないほど助けていただきました。
現在も当社では、研究開発にあたって産学連携を積極的に進めています。しかし子定規な堅苦しい付き合い方では、決してうまくいきません。立場も所属も関係なく、皆が一緒になって、夢中で取り組む。そんな血の通った連携から、革新的なものが生まれるのだと考えています。
ガレージでの創業から
宇宙探査研究を支援する現在へ
開発したアモルファスシリコン薄膜形成装置は、業界で高く評価されました。これに勇気を得て、起業を決意。1979年、株式会社サムコインターナショナル研究所(現・サムコ株式会社)を設立しました。
狭いガレージで、たった2人の社員とともに出発した時から徹底していたのは、独自性を追究することです。「新しい原理・手法を開発し、誰も手を付けていない分野に挑む」ことを掲げ、他にはない半導体プロセス装置を世に送り出してきました。NASAエイムズ研究所で知り合った人や企業から注文をいただくなど、当時築いた関係は、現在まで続いています。1984年には、オゾン層の破壊モデルを逆手にとり、オゾンを使った半導体洗浄装置を開発。事業と「宇宙」との接点もありました。
「これまで立命館大学や企業の方々に支えられた恩返しをしたい」。そうした思いから、現在は、産学連携やベンチャー、人材育成の支援にも力を注いでいます。この度縁あって、立命館大学 宇宙地球探査研究センター(ESEC)の事業も支援することになりました。
サイエンスを探究する上では、利益を追求するばかりでなく、「道楽」も必要だと私は考えています。ただ純粋に好奇心や興味を突き詰める「道楽」の先にこそ、新しいモノが生まれます。宇宙探査研究においても、そうした楽しみながら追究する精神を大切にしてほしいと思っています。
かつて私が研究していた頃、エイムズ研究所では、宇宙でのライフサイエンスについても熱心に研究されていました。テーマの一つは、「地球上の生命体は、どこからやってきたのか?」。あれから50年近くを経た今も、謎は解明されていません。立命館大学の研究を通じて、そうした宇宙の謎が解き明かされたら面白い。これからに期待しています。
京都府出身。1965年、立命館大学理工学部を卒業。分析機器メーカーに就職後、5年間京都大学に派遣され、研究に従事。1970年代後半、NASA(アメリカ航空宇宙局)のエイムズ研究所で、プラズマや薄膜形成技術を研究する。1978年、アモルファスシリコン太陽電池製造に役立つ薄膜形成装置を開発。1979年9月、半導体製造装置を製造する株式会社サムコインターナショナル研究所を設立。2004年、サムコ株式会社に社名変更。2014年、代表取締役会長兼社長、2016年、代表取締役会長兼CEO新規事業統括、2018年から現職。
若い時こそ外に目を向け、
さまざまなことに興味を持ってほしい。
その方が「面白い」人材に育ちます