Voices for future leaders修了生紹介
12期生

奥中 孝誕Okunaka Takanobu
株式会社読売広告社
コミュニティクリエイションビジネス局
局長代理
立命館西園寺塾を通じてのご自身の変化や成長について
立命館西園寺塾を通じて、私自身に起きた最も大きな変化は、「言語化する力」が育まれたことです。
もともと私は、街や社会の中で起きていることに対してアンテナを張り、いわゆる“捨て目・捨て耳”なく、さまざまなインプットをすること自体は好きでした。しかし、そのインプットしたものを整理し、自分の考えとしてアウトプットし、他者に伝えることには大きな苦手意識がありました。
西園寺塾では、デモクラシー、資本主義、経済、利他と利己、社会課題、世界経済など、世の中がどのような構造で動き、どのような兆しや風潮を持っているのかを学びました。そうした知識を得る中で、これまで日常の中で感じていた違和感や気づきが、学びと重なり合い、自分自身の中に「問い」として立ち上がってくるようになりました。
その問いと向き合い、自問しながら、自身の言葉でアウトプットしていく経験は、自分にとって大きな変化でした。
同時にそこで学んだのは、問いには必ずしも一つの正解を出さなければならないわけではない、ということです。10人いれば10通りの考え方がある中で、自分なりの解を見つけ、考えを述べることの大切さを学びました。また、「当たり前」を当たり前として受け取らず、物事を一度立ち止まって捉え直し、理解しようとする姿勢の重要性にも気づかされました。
特に大きかった学びは、強い立場から世界を見るのではなく、“人間の弱さ”をみつめ、そこから物事を考える視点を持つようになったことです。
社会の中で声が届きにくい人や、見えにくくなっている存在に目を向けること。弱さを欠点として切り捨てるのではなく、弱さに開かれた世界をどうつくっていくかを考えること。その視点こそが、分断や対立が深まる時代において、希望を持てる社会を創るための土台になるのではないかと感じるようになりました。
こうした思考の積み重ねによって、私自身の思考の領域は大きく広がり、人としての厚みが増したと実感しています。
そして、西園寺塾でもう一つ得た大きな財産は、人との出会いでした。社会人になってから「セカンド同期」と呼べる仲間に出会えたことは、何にも代えがたい経験です。
それぞれが日常の業務を抱えながらも、同じように課題と向き合い、葛藤や思い、心情を率直に共有してきました。まさに同じ釜の飯を食うような時間の中で、人との付き合い方を学び、互いの弱さや迷いを受け止め合う関係が築かれていきました。
同期の言葉を借りれば、「死んだらそいつの葬式に参列する」。その言葉の通り、利害関係を超えた、一生付き合っていける友に出会えたと心から感じています。
立命館西園寺塾での学びは、知識を得ることにとどまらず、問いを持ち続け、弱さに向き合い、人と支え合いながら、希望を手放さずに社会と関わっていく姿勢を育ててくれました。
この経験は、これから自分がどのように社会と向き合い、どのような世界を創っていきたいのかを考え続ける上での、大切な軸になっています。
特に印象に残っている講義・フィールドワーク・出来事はどのようなことでしょうか。また、その理由についてお教えください。
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「講義」
西園寺塾での講義を通じて最も心に刻まれたのは、鵜尾雅隆氏の講義でした。寄付という行為が、次の資本主義に向けた「民主主義的な実験」であるという視座は、私のビジネス観を大きく変えました。日本発の課題解決モデルを世界へ展開するという挑戦に、社会人人生の集大成として、スモールスタートからでも挑みたいと考えています。
現在、私は柏の葉スマートシティにおける「共創型の実証フィールド(COGROWTH)」の構築に携わっています。この現場で痛感しているのは、これからのビジネスには、企業の存在意義を問う「意味価値」と、持続可能性を担保する「資本価値」の両輪が不可欠であるということです。
今の企業スタンスではインパクト投資への即時の転換は容易ではありません。しかし、単なる売上至上主義に閉じるのではなく、それを「意味価値」という大きな器で包み込み、社会へのインパクトを最大化していく。その際、私たちが持つ「広告代理店の運動神経」(つなげる力、PM業務、落としどころを見つける力、そしてクリエイティビティ)こそが、社会実装における「ドミノの隙間」を埋める最大の武器になると確信しています。
最後に、志を共にする12期の仲間に提案です。単独企業での取り組みに時間がかかるのであれば、多様な業種と専門性を持つ私たちが「個のリーダーシップ」を持ち寄り、“西園寺インパクト”としてコンソーシアムを組んでみませんか?
まずは座談会から。皆の知恵があれば、「意味」と「資本」が循環する新しいエコシステムは必ず創れると信じています。
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「フィールドワーク」
西園寺塾の大きなイベントの一つである京都でのフィールドワークに、私は参加することができませんでした。
業務での海外出張と日程が重なり、そのどちらを選ぶのかは、私の中でも究極の選択でした。最終的には仕事を選び、京都の地に立つことは叶いませんでしたが、その経験は私にとって、忘れがたいフィールドワークの記憶となっています。
現地に行くことができなかった私に対して、同期はフィールドワークの様子を、写真や言葉でこまめに共有してくれました。
まるでその場にいるかのように情景が浮かぶほど、丁寧で臨場感のある発信ばかりで、遠く離れた場所にいながらも、学びや空気感がしっかりと伝わってきました。
時差が約8時間ある中でも、みんなが時間を合わせてテレビ電話をつないでくれたことも、心に深く残っています。
海外出張先で得られた貴重な学びと、西園寺塾の京都フィールドワークでの学び。その二つを同時に受け取ることができた時間は、とても幸せなものでした。
何より胸を打たれたのは、「同期」という存在の温かさです。
同じ場にいなくても、学びを分かち合おうとしてくれる姿勢、仲間として気遣ってくれる想いに、強い絆を感じました。フィールドワークに参加できなかったからこそ、学び以上に、人とのつながりの価値を深く実感した経験だったと思います。
これからも、場所や形は違っても、ともに「学のフィールドワーク」を続けていけたら嬉しいです。
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「出来事」
とにかく、西園寺塾の同期は「学」に対してとても貪欲で、その姿勢が本当に素敵だと感じています。
それだけでなく、それぞれが自分なりの役目や立ち位置を自然と見つけ、学びを行動に移していく実行力、そして最後までやり切る遂行力を持っていることが、とても印象的でした。
私は場の開発や街の開発に関わる業務をしている中で、イベントを企画し、「よかったら遊びにおいでよ」と声をかけることがあるのですが、同期はいつも自然と賛同して集まってくれます。
そこでは、ただ参加するだけでなく、企画を広げる人、場を和ませる人、議論を深める人、全体を俯瞰して整理する人など、それぞれが自分の役割を自覚しながら関わっていることを強く感じました。
それは私のイベントに限らず、他の仲間が関わっている催しや活動でも同じです。
それぞれのフィールドに足を運び、現場で多くのインプットを得たうえで、その後の懇親会では必ずと言っていいほど、熱のこもった議論や対話が始まります。講義終わりでも同様に、誰かが投げかけ、誰かが受け止め、誰かが次につなげていく。自然と役目が循環していく光景が、そこにはありました。
学ぶこと自体で終わらず、その先をつくろうとする姿勢。
ゴルフやボッチャ、さらにはクリスマスのプレゼント交換といった、一見「学び」とは直接関係のなさそうな場面でも、気づけばアイディアが生まれ、「じゃあやってみよう」と誰かが動き出し、形になるまできちんとやり切る。そうした積み重ねの中で、机上の学びが、実践へと転化されていきました。
改めて感じたのは、学んだあとに語り合い、行動に移し、最後までやり切ることの大切さです。
コロナ禍を経て、リアルに集まり、膝を突き合わせて話す機会が減った時代だからこそ、共に学び、語らい、同じ食卓を囲み、飯を食べ、酒を飲みながら関係性を深めていく時間の価値を、より強く実感しました。
「オールド」と言われるかもしれませんが、それぞれが役目を持ち、互いの実行力と遂行力を信頼し合いながら積み重ねてきた一つひとつの時間は、毎回本当に最高のひとときでした。
今後の夢や目標を教えてください。
西園寺塾での学びを通して、私は「すぐに答えを出すこと」よりも、答えが出なくても、そのもやもやを丁寧に自分の中で考え続けることの大切さを強く意識するようになりました。
違和感や問いを曖昧なままにせず抱え続ける姿勢は、複雑さが増す現代において、判断や意思決定の質を支える重要な土台になると感じています。
DX化が進み、効率化や最適化が加速する一方で、組織運営やマネジメントにおいては、人の手触り、肌触り、温度感といった人間的な感覚が、むしろこれまで以上に求められていると考えています。
ヒューマンセントリックの視点、そして「10人いれば10通りの価値観や感じ方がある」という前提に立つことは、経営やマネジメントの現場においても欠かせない視点です。
会社内での役割を考えると、私はこれから、後輩に対しては単なる業務遂行能力の向上にとどまらず、組織や社会全体を見渡しながら自律的に考え行動できる人材へと成長していくための支援を行っていきたいと考えています。
個々の特性や成長段階を踏まえ、対話を重ねながら役割や期待をすり合わせ、小さなものであっても成功体験を意識的につくり出し、それを本人やチームで共有していくことで、内発的な成長を引き出すことが、結果として持続的な組織づくりにつながると考えています。
そのためには、教える側である自分自身も学び続け、変化を受け入れながら成長していくと同時に、経験を重ねることで得られる成熟も意識していく必要があると感じています。
成長と成熟の両立こそが、これからのマネジメントに求められる姿であり、後輩育成を通じて自らも磨かれていく関係性を大切にしていきたいと考えています。
また、西園寺塾での学びは、日々の業務や組織内の視点にとどまらず、世界情勢や政治、経済といった大きな流れにも目を向ける重要性を教えてくれました。
経営判断や組織運営も、こうした社会全体の動きと無関係ではなく、その延長線上にあるものとして捉える視点を、今後も持ち続けたいと思っています。
これからの目標は、答えを急がず、考え続けることを恐れない姿勢を持ちながら、人と組織の間にある微妙な温度感を丁寧に感じ取り、人の成長と組織の持続的な価値創出の両立に貢献していくことです。
西園寺塾で得た学びを、自身のマネジメントや意思決定の軸として、日々の仕事に着実に落とし込んでいきたいと考えています。
未来の西園寺塾 塾生にメッセージをお願いします。
もし今、「大変そうだ」「正直、気が重い」と感じている方がいたとしても、それは決して特別なことではありません。
実際、私自身も当初は「行かされている」という思いでこの場に向き合っていました。
正直に言えば、周囲には優秀で、いわゆるエリートに見える同期も多く、「自分はこの場にふさわしいのだろうか」「劣っているのではないか」という劣等感を強く感じていた時期もありました。
その場にいる意味を見失いそうになったことも、一度や二度ではありません。
西園寺塾での学びは、決して楽なものではありません。
日々の業務と並行しながら課題と向き合う時間は、正直に言えば、心身ともに苦しく、投げ出したくなる瞬間もあります。
それでも、その負荷のかかる時間を引き受け、考え続ける経験そのものが、自分自身の精神的な強さや思考の深さを、静かに、しかし確実に育ててくれます。
考え続け、仲間と時間を共有する中で、私自身の意識も少しずつ変わっていきました。
毎週の学びある講義で新しい視点に触れ、同時に仲間に会い、語り合えることそのものが楽しみになり、いつの間にかこの場は、「行かされている」場所ではなく、「行かせてもらっている」と心から思える場所へと変わっていました。
西園寺塾は、何か明確な「答え」を授けてくれる場所ではありません。
むしろ、すぐには答えの出ない問いや、言葉にしきれない“もやもや”を、自分の中に丁寧に残してくれる場所です。
どうかその違和感を、焦って消そうとしないでください。
そのもやもやこそが、これから先、迷ったときや立ち止まったときに、ふと自分を支えてくれる大切な思考の種になります。
そして、西園寺塾の何よりの価値は「人とのつながり」にあります。
同じ立場で悩み、迷い、時には弱さをさらけ出しながら励まし合える同期の存在があったからこそ、苦しい課題にも向き合い続けることができました。
劣等感さえも受け止め、寄り添ってくれる仲間がいたことは、私にとって何より大きな支えでした。
課題に取り組む過程で生まれる対話や共有の時間は、互いの距離を少しずつ縮め、気がつけば揺るぎない信頼関係へと変わっていきます。
仕事や年齢、立場を超えて語り合い、刺激し合った時間は、振り返れば社会人になってからの「第2の青春」のような体験でした。
そこで出会った同期の仲間は、利害関係を越え、本音で語り合える存在となり、これから先の人生でも、一生付き合っていきたいと思える友になっています。
修了後、それぞれが異なる場所で、異なる課題と向き合うことになります。それでも、西園寺塾でともに考え、迷い、学んだ記憶と、そこで築かれた絆は、困難に直面したとき、きっとそっと背中を押してくれるはずです。
西園寺塾は、知識を学ぶ場であると同時に、自分の弱さと向き合い、それを力に変え、仲間との絆を心に刻む、社会人にとってかけがえのない学びの場です。
ここで過ごした時間の中で出会えた奇跡も、学びの奇跡も、そのすべてが、今の私にとってかけがえのない宝物になりました。ここで過ごす時間が、皆さんそれぞれの未来のどこかで、静かに、そして確かな力として息づいていくことを願っています。
2026年9月10日掲載
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