Voices for future leaders修了生紹介

12期生

福島 啓太

福島 啓太Fukushima Keita

株式会社三井住友銀行
銀座法人営業第一部 部長

  • 株式会社三井住友銀行 
    本店法人営業部 副部長
  • 株式会社三井住友銀行 
    銀座法人営業第一部 部長

立命館西園寺塾を通じてのご自身の変化や成長について

立命館西園寺塾を通じて私が得たものは、分野横断的に広く学び続ける姿勢、考え続ける力、そして掛け替えのない仲間です。振り返れば、西園寺塾での学びは、単に知識を増やす機会ではなく、自分自身のものの見方や思考の深さ、その更新の仕方そのものを変えてくれる経験でした。

私が特に強く感じるようになったのは、あらゆる物事は他者との関わりの中で生まれるということです。倫理や道徳はもちろん、政治、ビジネス、地域社会、人間関係に至るまで、私たちは決して自分一人だけで完結して存在しているわけではありません。だからこそ、物事を考える際には、自分の立場や都合だけに閉じるのではなく、他者との関係性の中で捉える視点が不可欠であると学びました。独りよがりで利己的な判断ではなく、他者との関わりを大切にしながら、より広い視野で、利他的な観点を持って考えることの重要性を強く実感しています。

そのためには、自分の外側にあるものを幅広く学び続ける必要があります。倫理、思想、文化、歴史、社会制度、国際情勢など、一見すると自分の専門や日常とは距離があるように見えるテーマも、学べば学ぶほど、現実の課題と深く結びついていることがわかります。こうした学びを重ねるたびに、物事の背景にある構造や人々の価値観への理解が深まり、これまで見えていなかった景色が少しずつ見えるようになります。分野を横断して学ぶことは、単に知識の幅を広げることではなく、世界を多面的に捉えるための土台を築くことなのだと感じています。

また、西園寺塾を通じて、学びとは受け身のものではなく、外部との関わりを持ち続けながら、学び、考え、表現し、行動し、その結果をまた振り返るという循環の中で深まっていくものだと実感しました。人は一度何かを学んだから成長が完成するのではなく、その時々の出会いや経験を通じて自らの考えを問い直し、必要に応じて自分を更新していくことで、はじめて成長し続けることができます。西園寺塾で与えられた課題は、まさにその実践の連続でした。自分の考えを言語化し、他者とぶつけ合い、揺さぶられ、さらに考え直すという過程を通じて、自分の内面が少しずつ鍛えられていったように思います。

とりわけ、組織や社会のリーダーになる人には、倫理が不可欠であるという認識は、西園寺塾を通じて一層強まりました。同時に、リーダーには、学び続け、考え続け、自分自身を更新し続ける姿勢も求められます。答えが見えにくく、変化が激しい時代においては、常に明快な正解があるとは限りません。それでも、リーダーは答えのない状況の中で判断しなければなりません。だからこそ必要なのは、白黒を急いで結論づけることではなく、極端な考えや利己的な立場にとらわれず、物事のハザマで考え続けること、中庸を大切にすることなのだと思います。西園寺塾で私が学んだのは、まさにそのような思考の姿勢であり、判断のための構えでした。そして、その重要性を実感できたことが、自己成長に向かう自分自身を大きく奮い立たせることにもつながりました。

さらに、何よりも掛け替えのない財産は、西園寺塾で出会った仲間たちです。仕事を離れた場で、それぞれが異なる企業や組織に身を置きながら、同じ課題に向き合い、真剣に意見を交わし、濃密な時間を共有できたことは、私にとって非常に大きな意味を持っています。その中で築かれた絆は、今だけのものではなく、人生を通じて続いていくものだと感じています。今の私にとっての倫理はある意味でとてもシンプルです。それは、彼らに恥じない行動と生き方を貫くことです。互いに律し合い、高め合い、また誰かが苦しんでいるときには自分のことのように寄り添える関係であり続けたいと思います。人生のさまざまな節目において支え合える存在でありたいという思いは、今後も変わることはないでしょう。そして、おそらく私は仲間全員のお葬式に出席することになるでしょう。

立命館西園寺塾は、私に知識や経験を与えてくれただけではありません。他者との関わりの中で学び、考え、自らを更新し続けることの大切さを教えてくれました。そして、その歩みを共にできる仲間を与えてくれました。この経験を一過性のものにせず、今後も学び続け、考え続け、より良い判断と行動につなげていきたいと思います。

特に印象に残っている講義・フィールドワーク・出来事はどのようなことでしょうか。また、その理由についてお教えください。

  1. 山下範久先生

    現代社会における、いわゆる保守とリベラルの二項対立の限界や、資本主義が内包する課題について、明確に意識させられたのは、山下範久先生の講義が最初でした。それまで漠然と感じていた社会の違和感や閉塞感が、先生の講義を通じて一つの問いとして立ち上がってきた感覚があり、非常に強く印象に残っています。

    山下先生の講義は、いわゆる「強い人間」を前提とするのではなく、むしろ不完全で弱さを抱えた人間(「弱い人間モデル」)のあり方を出発点として議論が展開されていく点に、大きな魅力がありました。その語り口には不思議な引力があり、話を聞いていると、難解なテーマであってもどこか答えに近づけそうな感覚を覚えます。しかしその一方で、講義が終わった後には、簡単には整理しきれないモヤモヤや、なお考え続けたくなる余白が残ります。明快に答えを提示するのではなく、受講者それぞれに思考を促し続ける、非常に奥行きのある講義だったと感じています。

    また、山下先生が終始真摯な姿勢で私たちに向き合ってくださったことも、強く印象に残っています。私たちが投げかける、必ずしも答えの定まらない問いに対しても、最後まで誠実に、そしてぶれることなく応じてくださいました。その姿勢からは、単に知識を伝えるだけではなく、受講生とともに問いに向き合おうとする真剣さが伝わってきました。

    山下先生の講義を通じて私が強く感じたのは、西園寺塾で学ぶ意味は、単に答えを得ることではなく、簡単に答えの出ない問いに向き合い続ける姿勢や術を身につけることにある、ということです。その意味で、山下先生の講義は、私にとって西園寺塾での学びを象徴するような、非常に印象深い時間でした。

  2. 丸山俊一先生

    丸山俊一先生の講義を通じて私が強く影響を受けたのは、「ハザマの思考」という考え方でした。この概念は、その場限りの印象にとどまるものではなく、その後に続くさまざまな講義に向き合ううえで、私自身の思考の土台の一つになったように感じています。

    丸山先生の講義では、歴史を単なる過去の出来事の集積として捉えるのではなく、その時代ごとの空気感や人々の感覚とともに理解しようとする姿勢が非常に印象的でした。物事を一つの視点だけで捉えるのではなく、複眼的に見つめ、さらに既存の枠組みに回収されないオルタナティブな視点を持つことの重要性を、講義を通じて強く感じました。特に、無理にわかりやすい結論へと収斂させるのではなく、あえて「ハザマ」にとどまりながら考え続ける姿勢には、大きな共感を覚えました。白か黒か、正しいか誤っているかといった単純な二項対立では捉えきれない現実に対して、安易に答えを出さず、緊張感を持ったまま思索を深めていく。その姿勢に、私は「中庸」という言葉を重ねて受け止めており、今後も大切にしていきたい考え方だと感じています。

    また、丸山先生の講義は、内容の深さに加えて、その伝え方にも大きな魅力がありました。番組制作者としてのご経験をお持ちだからこそ、複雑で抽象度の高いテーマであっても、具体的な切り口や構成を通じて非常にわかりやすく、かつ興味深く届けてくださいました。知的な刺激がありながらも引き込まれる面白さがあり、講義そのものに強い吸引力があったように思います。さらに、同じビジネスパーソンとして第一線で活躍されながら、これほど多くの著書を世に送り出し、広く深い洞察をもって社会や歴史、人間を見つめておられることにも大きな感銘を受けました。実務の世界に身を置きながら、これほどまでに思索を深め、発信し続けている姿は、自分自身にとっても一つの理想像として映りました。

    丸山先生の講義は、単に知識を得る時間ではなく、物事をどう見るか、どう考え続けるかという姿勢そのものを学ぶ時間だったと感じています。その意味で、私にとって非常に示唆に富んだ、記憶に残る講義でした。

  3. 京都フィールドワーク

    3回のフィールドワークはいずれも、個人ではなかなか得難い非常に貴重で印象深い経験でしたが、なかでも京都フィールドワークは特に強く心に残っています。金剛能楽堂、華道家元池坊、裏千家といった日本文化を代表する場を実際に訪れ、伝統芸能や文化に触れ、学び、体験できたことは、自らの教養を深めるうえでも極めて大きな意味がありました。単に知識を得るだけでなく、心そのものが磨かれていくような感覚があり、日本人としてこうした文化を知っておくことの大切さを改めて実感しました。

    印象的なことの一つとして、池坊次期家元・池坊専好先生による生け花のデモンストレーションを拝見した際、作品の素晴らしさはもちろんのこと、その立ち振る舞いの美しさに目を奪われました。私も過去に12年間剣道をしておりましたが、日本の「道」においては、技術だけでなく、立ち居振る舞いや心のあり方の美しさが何より重要であり、それが日常の所作にも自然と表れていくものだということを改めて認識させられました。心を磨き、ふるまいを美しくしていくこともまた、西園寺塾での大切な学びの一つなのだと感じた次第です。

    また、裏千家(今日庵)の訪問も非常に印象深いものでした。侘び寂びの世界に実際に触れたことで、驚くほど心が静まり、澄んでいくような感覚を覚えました。なかでも、茶道の精神性が凝縮された「和敬清寂」という言葉が強く心に残っています。心を開いて人と和し、互いに敬い、清らかであり、何事にも動じない心を持つ――この四文字に込められた意味は、茶道の精神にとどまらず、ビジネスや人生そのものに通じる大切な姿勢だと感じました。また、茶の湯においては、亭主は亭主になりきり、客は客になりきることでその場が成立する、というお話も印象的でした。一連の流れを成り立たせるために作法があり、そのために稽古が必要であるという考え方には深く納得しました。さらに、茶道の所作には相手を敬い、いかに客に心地よく過ごしてもらうかという配慮が込められており、その点にもビジネスに通じる本質を感じました。「侘び寂びは贅沢の向こう側にある」というお話も心に残っており、自分自身もいつかそのような品格を身につけたいと強く思いました。

    能については、鑑賞することも学ぶことも私にとって初めての経験でしたが、謡や舞の迫力、舞台そのものの美しさに心を奪われました。さらに、実際に体験させていただいたことで、能が一朝一夕では到底身につかない、極めて奥深い芸能であることを実感し、長い鍛錬によって生まれる価値の重みを改めて感じました。

    その一方で、金剛龍謹先生のお話を通じて、伝統芸能を守り伝えていくことの難しさについても深く考えさせられました。明治維新や戦時中の資金不足により能面や衣装が海外へ流出したこと、衣装づくりに必要な素材の不足や職人の減少など、伝承を続けるためにこれまで数多くの困難を乗り越えなければならないことがありました。海外の博物館に多くの能面が所蔵されているという事実も、文化の保存という観点と、流出という観点の両面から、さまざまなことを考えさせられるものでした。

    京都フィールドワークを通じて、日本の伝統文化とは、長い時間をかけて磨かれてきた精神や美意識の結晶であり、現代を生きる私たちにも多くの示唆を与えてくれるものだと実感しました。知識として学ぶだけではなく、実際にその場に身を置き、自ら感じることで得られる学びの深さを改めて感じた、大変貴重な機会でした。

今後の夢や目標を教えてください。

私の今後の目標は、他者、ひいては社会を豊かにする人になることです。そして、自らの学びや経験を他者に伝え、周囲の人々とともに、より豊かな社会の実現に貢献できるリーダーを目指したいと考えています。

私がそのように考える背景には、あらゆる物事は他者、すなわち自分以外の外部との関わりの中で生まれるという西園寺塾での学びがあります。人の価値観も、仕事も、社会の仕組みも、決して自分一人だけで完結するものではありません。だからこそ、他者を豊かにすることは、巡り巡って自分自身を豊かにすることでもあるのだと思います。自分だけの利益や満足を追い求めるのではなく、他者との関係性の中で価値を生み出し、より良い循環をつくっていくことこそが、これからの自分の目指す姿です。

もっとも、「豊かさ」とは何かという問いに、単純で唯一の答えがあるわけではありません。むしろ、豊かさが画一的なものとして定義され、それが唯一の正義になった瞬間に、社会は危うさをはらむのではないかと感じています。ある価値観への共感が正義として暴走すれば、結果として別の価値観や立場を排除する窮屈さを生みかねません。また、「これこそが唯一正しい善行である」と考えた途端に、そこからこぼれ落ちるものへの想像力が失われてしまいます。その意味で、この問いに絶対的な答えはなく、むしろ答えを見つけたと思い込むこと自体が危ういのだと思います。

それでもなお、私たちはその問いを抱えたまま生きていくしかありません。明日から急に仕事の仕方を大きく変えることはできませんし、これまで積み重ねてきた仕事にも誇りを持っているはずです。その上で、これから私が大切にしたいのは、「目線を変えて一つ先まで考える」という姿勢です。日々の仕事は合理性の積み重ねで成り立っており、目の前の最適解を導くことが求められます。しかし、その合理性に集中するほど、視野は近視眼的になりやすいとも感じます。だからこそ、何かを良いと判断するときには、必ず立ち止まり、「ここで大事にした価値によって失われる価値はないか」「この課題を解決した結果、新たに生まれる課題はないか」「そもそも、それを解決すること自体が本当に必要なのか」と問い直していきたいと思います。

こうした問いを重ねることにより、安易に白黒をつけるのではなく、複雑さを複雑さのまま引き受けながら、より豊かな社会のあり方を模索していきたいと考えています。そして、自分自身が学び続け、その学びを他者と分かち合いながら、周囲とともにより良い方向へ進んでいける存在になりたいです。他者を豊かにすることを通じて、自分自身もまた豊かになり、その積み重ねの先に社会への貢献がある。そのような歩みを、今後の自分の目標として大切にしていきたいと思います。

未来の西園寺塾 塾生にメッセージをお願いします。

西園寺塾は、1年を通じて細部にまで丁寧に設計されたプログラムのもと、一流の講師陣に導かれ、志ある仲間と共に学ぶことのできる、本当に貴重な場です。これほど恵まれた環境の中で、自分自身と向き合いながら学べる機会は、人生の中でもそう多くはないと思います。

もちろん、決して簡単な場ではありません。相当数の課題図書を読み、講義の前後にはレポートをまとめ、それらを日々の仕事と両立していく必要があります。時間の使い方も、自分との向き合い方も、自然と問われる1年になります。また、学びの内容も、翌日からそのまま業務に活かせる知識ばかりではありません。けれども、だからこそ西園寺塾には大きな価値があるのだと思います。目の前の仕事をこなすだけではなかなか得られない視点に触れ、自分の価値観や判断の軸を深め、社会や組織、人間そのものについて考え続ける。その積み重ねが、結果として人間としての厚みや、リーダーとしての奥行きを育ててくれます。

いろいろと大変そうに聞こえるかもしれませんが、私自身、負荷は確かに感じながらも、それをつらいと思ったことは一度もありませんでした。むしろ、学ぶことの面白さや、仲間と切磋琢磨する充実感のほうがはるかに大きかったように思います。ですから、あまり身構えすぎず、ぜひ前向きな気持ちで飛び込んでみてほしいと思います。

そして、西園寺塾で得られる最も大きな財産は、間違いなく仲間です。ただ同じ場にいるだけで自然に絆が深まるわけではなく、全力で取り組むからこそ、本当の意味でのつながりが生まれるのだと思います。部活動に近い感覚かもしれません。共に努力し、真剣に意見を交わし、同じ時間を濃密に過ごしていく。その過程があるからこそ、表面的ではない、かけがえのない関係が育まれていきます。振り返ったときに強く心に残るのは、講義の内容だけでなく、そうした仲間と過ごした時間そのものです。

西園寺塾での1年は、決して受け身で過ごす場ではありません。自ら飛び込み、自ら考え、自ら関わっていくことで、その価値は何倍にも大きくなります。全力で向き合った分だけ、自分の中に残るものも大きいはずです。知識を得るだけではなく、物事を捉える視座が変わり、これから先の人生や仕事を支える土台が育っていく。そんな1年になると思います。

これから西園寺塾に挑む皆さんには、ぜひこの機会を思い切り楽しみながら、存分に味わい尽くしてほしいと思います。きっとこの1年は、自分自身を広げ、深め、そして一生の仲間と出会える特別な時間になるはずです。いつか同じ西園寺塾の仲間としてお会いできることを、心から楽しみにしています。