資料翻訳

 このページでは、ビザンツ時代の資料のいくつかを日本語に翻訳して紹介しています。ただし試訳ですので(本質的にはわたくしの能力不足のせいですが........)、間違い等が山積していると思います。間違い等を見つけられた方がおられましたら、ぜひ御一報下さい(誤訳等については随時修正をおこなっております)
 なお、この試訳の無断利用・引用等は堅くお断りいたします


『テオファネス年代記』

 『テオファネス年代記』はビザンツ帝国の歴史書の中でも特に有名なもので、813年のレオン5世の即位までを扱っています。8世紀末〜9世紀初頭に生きた修道士テオファネスが最終的に編纂した年代記で、一年ごとに記述をまとめる独自の形式をとっています。ビザンツ帝国の歴史の中でも特に資料の少ない7〜8世紀に関してはもっとも重要な報告です。
 この年代記全体を翻訳するのはちょっと大仕事なので(^_^;)、ここでは一部分の抄訳を公開しております。


『続テオファネス年代記(バシレイオス1世伝)』

 『続テオファネス年代記』は、10世紀中盤に皇帝コンスタンティノス7世ポルフュロゲネトス(在位913-959年)によって編纂された歴史書で、オリジナルは813-886年を扱い、『テオファネス年代記』とは異なって各皇帝ごとの伝記という体裁をとっています。
 バシレイオス1世の生涯を扱った第5巻は「バシレイオス1世伝(Vita Basilii)」とも呼ばれ、バシレイオス1世の孫であるコンスタンティノス7世自身が著したとされています。そのためバシレイオス1世を顕彰する目的で書かれた記述が非常に多く、歴史書というよりはむしろ聖人伝のような色彩の強い書物です。
 ここでは一部分の抄訳を公開しております。


『シュメオン年代記』

 『シュメオン年代記』は、10世紀後半にマギストロスの位階を持ち、恐らくはロゴテテース・トゥー・ストラティオティクー(軍隊財務長官)だったとされるシュメオンなる人物によって著された年代記です。944(948)年までの事件を各皇帝ごとにまとめて記述してあります。特に『テオファネス年代記』の後の時代、813年以降の記述が資料としてしばしば活用され、ほぼ同時代を報告している『続テオファネス年代記』や『ゲネシオス年代記』とは異なる情報も数多く掲載されています。
 『シュメオン年代記』は教会スラヴ語にも翻訳されるなど、広く流布しました。また『シュメオン年代記』の記述に加えて、他の資料等も利用して編纂された『偽シュメオン年代記』や『続ゲオルギオス年代記B』なども現在に伝わっています。


『聖エウテュミオス伝』

 『聖エウテュミオス伝』は10世紀初頭のコンスタンティノープル総主教のエウテュミオス(在位907-912年)の伝記で、エウテュミオスの死(917年)のすぐ後、920-925年頃に著されたと考えられています。
 『聖エウテュミオス伝』は、『シュメオン年代記』とともにレオン6世時代に関する最も基本的な資料で、『シュメオン年代記』と共通の資料に依拠していると思われる箇所も多くあります。


『ウスペンスキーのタクティコン』

 ビザンツ帝国の歴史を通じて、政府内での官位・爵位やその序列に関するリストがしばしば作られてきました。9〜10世紀のものとしては899年にプロトスパタリオスのフィロテオスによって編集された『クレートロロギオン』が最も有名ですが、その他にもいくつかの官位表(タクティコン)が現在まで伝わっています。
 ここで紹介している『ウスペンスキーのタクティコン』(Cod. Hierosol. gr.39)は『クレートロロギオン』よりも古く、842-843年頃(異説あり)に編集されたと考えられているタクティコンです。9世紀前半の段階ではビザンツ帝国の官位や爵位のシステムがなお流動的な部分が多かったため、新旧の類似官職の重複などが読み取ることができ、中期ビザンツ帝国の統治システムの変化などを知るためにも重要な資料です。


『モネンバシア年代記』

 『モネンバシア年代記』は6〜9世紀の、バルカン半島やペロポネソスに侵入してきたアヴァール人(アジア系の遊牧民族)やスラヴ人に関して貴重な報告を伝えている資料です。モネンバシアはペロポネソス半島の先端部に近い場所にある小都市で、この年代記にも書かれているようにペロポネソスへのスラヴ人の侵入の際に形成された都市です。ただし都市モネンバシアについては『モネンバシア年代記』の中では末尾に若干のスペースが割り当てられているのみで、報告の中心は最初に書いたようにアヴァール人やスラヴ人の攻撃、そしてそれに伴う住民たちの運命です。
 『モネンバシア年代記』は16世紀の写本が現在まで伝わっています。最初に年代記が編纂された時期については議論がありますが、10〜11世紀であると考えられています。また年代記中にある、スラヴ人がペロポネソス半島の大半を6世紀末から9世紀初頭まで218年間支配したとする記述や、シチリア島へかつてのギリシアの住民たちが移住したという記述も、論争の的となっています。

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