教員コラム

文学部には100名を超える教員が在籍しています。一人ひとりのリアルな教育・研究活動を紹介します。

COLUMN

日本の歴史に底流し続けた「貴族文化」の影響力

日本史学専攻

日本史研究学域
教授

美川 圭

私の研究テーマは日本の中世、平安時代の中期から鎌倉時代にかけての貴族から見た政治史です。朝廷に代わって武家が強い勢力を握ったとされる鎌倉時代は、一般に「武士の時代」と考えられています。しかし実はそのときも、京都の上皇や天皇を中心とする公家たちは、無視できない力を持っていました。貴族は文化の面で影響力を保持し続け、鎌倉幕府を担った武家たちも和歌を作るなど、公家たちの振る舞いを真似るようになっていったのです。室町から戦国時代を経て江戸時代になっても、貴族たちは滅びることなく一定の影響力を持ち、時代ごとの政治勢力を利用しながら、その地位を保ってきました。現在も皇族の婚姻やニュースは世の中の大きな話題となりますが、それは日本人にとって今なお「貴族」という存在が、文化の深い場所に根付いていることの証明であると言えるでしょう。

ケンブリッジ大学での「天皇の譲位」講演の様子

私がこの研究テーマに出会ったのは大学院に在籍していた若い頃に、京都の冷泉家に残る史料を調査員として調べたことがきっかけでした。冷泉家の祖である藤原定家は歌人としてよく知られる人物で、新古今和歌集の選者の一人でもありますが、彼こそが鎌倉時代を通じて貴族文化が残り続けることになった立役者でした。承久の乱で北条義時ら武家勢力と争った後鳥羽上皇は、負けて隠岐に島流しとなりますが、その後で藤原定家は平安貴族の文学を書写して残すことで、彼らの文化を守り抜いたのです。

藤原定家が書いた『明月記』に「紅旗征戎(こうきせいじゅう)、吾が事にあらず」という言葉があります。これは「朝廷の旗を立てて戦うことは、私に関係することではない」という意味ですが、この言葉の裏には、「武力を失った私たちが朝廷を維持するには、貴族の文化を守っていくしかない」という決意がありました。いま私たちが書店で買うことができる『源氏物語』も、紫式部の書いた原本は失われているため、藤原定家が残した写本がもとになっていると言われています。冷泉家には、歴代の当主が残した日記などの史料が沢山存在し、まだその分析は終わっていません。丹念に史料を読み込むことで、今まで誰も知らなかった史実が明らかになることが、この研究の何よりの面白さだと感じています。

PERSONAL

美川 圭

専門領域:
日本中世政治史、院政論
オフの横顔:
幼い頃から船が大好きで、何百人も乗れる大型船から瀬戸内海の島を結ぶフェリーまでさまざまな船に乗って旅をしてきました。子どものときには、日本の貨物船までその名前を全部暗記したものです。