8つの学域

日本史研究学域

日本史研究学域

JAPANESE HISTORY PROGRAM

過去から未来を切り拓く
日本史研究学域

本学の日本史研究学域は、これまで民衆史・文化史・女性史・部落史などの分野における伝統と蓄積を有しています。本学域はそうした豊かな蓄積を尊重しながら、政治・経済・社会・文化・思想などにわたる歴史上の事象を対象に、過去の固定観念に囚われることなく自由に思考し、その意味を説き明かすことを目標としています。
簡単に社会の風潮に迎合したり、表面的な雰囲気に流されたり、新規の情報におぼれたりするだけでは大学で学んだ意味はありません。深い歴史的知性を宿した自律的な人間が、今こそ求められていると言えるでしょう。

COLUMN

教育・研究の“リアル”を発信、教員コラム

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「民族」研究から人々の歴史意識・自他認識の解明へ

私がこれまでずっと関心を持って来たテーマは「民族」です。故郷(北海道札幌市)にいる頃からアイヌ民族の歴史や文化に興味を持ち、学生時代には東北・北海道に住む蝦夷(エミシ)や九州南部の隼人、薩南諸島~琉球列島の南島人について取り上げ、東アジア史のなかに位置づける視点で実態について検討しました。日本の古代国家は自らを「中華」と認識し、日本列島周辺地域に住む異文化人を「夷狄」と総称し、生業や風俗習慣・文字言語の異質性などから差別的に扱ってきました。しかし6~9世紀の実態を検討すると、これら「夷狄」の社会が必ずしも劣位に置かれていたわけでは無く、通説が彼らの「反乱」と認識している軍事衝突も、辺境地域の政治権力の形成や、同時期の東アジア情勢を背景として起された、律令国家に対する「戦争」と考えるべきであるとの結論に至りました。

一般的な日本史研究においては、こうした夷狄の存在を日本人(日本民族)の亜種とみなし、中世以降にその一部がアイヌや琉球人となる他は、大部分が日本人のなかに融和・消失していくと考えています。その基盤には、自民族の歴史や文化に至上の価値を求める考え方があり、他者の過小評価や否定を伴うことに繋がりやすい傾向があるのではないでしょうか。例えば、7世紀末から8世紀10年代にかけて断続的に起こった南島人・隼人の戦闘行動も、8世紀後半の宮城県・岩手県で40年間近く続いた蝦夷の戦争も、また9世紀80年代の秋田県で起こった夷俘の独立戦争(元慶戦争)も、通説的理解では律令国家の支配への散発的な抗争として説明され、夷狄側の視点からこうした事態を位置づける研究はほとんどありません。日本列島に展開した地域文化の多様性や重層性の視角を欠落させた理解といえるのではないでしょうか。近代以降、現在に至る「民族」理解の変容過程には、この自他認識の問題がはっきりと表れているように思います。

田中 聡

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