教員コラム

文学部には100名を超える教員が在籍しています。一人ひとりのリアルな教育・研究活動を紹介します。

COLUMN

「民族」研究から人々の歴史意識・自他認識の解明へ

日本史学専攻

日本史研究学域
教授

田中 聡

私がこれまでずっと関心を持って来たテーマは「民族」です。故郷(北海道札幌市)にいる頃からアイヌ民族の歴史や文化に興味を持ち、学生時代には東北・北海道に住む蝦夷(エミシ)や九州南部の隼人、薩南諸島~琉球列島の南島人について取り上げ、東アジア史のなかに位置づける視点で実態について検討しました。日本の古代国家は自らを「中華」と認識し、日本列島周辺地域に住む異文化人を「夷狄」と総称し、生業や風俗習慣・文字言語の異質性などから差別的に扱ってきました。しかし6~9世紀の実態を検討すると、これら「夷狄」の社会が必ずしも劣位に置かれていたわけでは無く、通説が彼らの「反乱」と認識している軍事衝突も、辺境地域の政治権力の形成や、同時期の東アジア情勢を背景として起された、律令国家に対する「戦争」と考えるべきであるとの結論に至りました。

一般的な日本史研究においては、こうした夷狄の存在を日本人(日本民族)の亜種とみなし、中世以降にその一部がアイヌや琉球人となる他は、大部分が日本人のなかに融和・消失していくと考えています。その基盤には、自民族の歴史や文化に至上の価値を求める考え方があり、他者の過小評価や否定を伴うことに繋がりやすい傾向があるのではないでしょうか。例えば、7世紀末から8世紀10年代にかけて断続的に起こった南島人・隼人の戦闘行動も、8世紀後半の宮城県・岩手県で40年間近く続いた蝦夷の戦争も、また9世紀80年代の秋田県で起こった夷俘の独立戦争(元慶戦争)も、通説的理解では律令国家の支配への散発的な抗争として説明され、夷狄側の視点からこうした事態を位置づける研究はほとんどありません。日本列島に展開した地域文化の多様性や重層性の視角を欠落させた理解といえるのではないでしょうか。近代以降、現在に至る「民族」理解の変容過程には、この自他認識の問題がはっきりと表れているように思います。

紙芝居『祇園祭』(左) 西善寺梵鐘(右)

古代史から出発した私の研究は、こうした歴史のなかの自他認識について、近代歴史学の形成過程から位置づけること(史学史・学知史)、そして地域住民が残した厖大な資料から生活に根ざす歴史意識を明らかにすることという、二つの研究課題へ繋がりました。近年調査している資料の多くは近代以降のものですが、埃を被り長く放置され、半ば忘れられた資料を掘り起こし、その価値を再評価することは、大変ですがいつも新たな発見があります。1952年に京都の学生らが作り上演した紙芝居『祇園祭』、中近世の三条釜座の金属加工業者鋳物師(いもじ)が各地に出作して作った梵鐘、番組小学校銅駝校の資料群、京都府の教職員組合関係の数万点に及ぶ資料、高度成長期に大量生産された友禅染の型紙など、全く形態の異なる資料について研究仲間とともに調査を続けています。この多彩な資料の中から、それぞれの時代を生きた人々の自他認識を読み解いていくことが、私のライフワークです。

PERSONAL

田中 聡

専門領域:
日本古代史、近代史学史、京都地域資料論(京都学)
オフの横顔:
コーヒーが好きで、行きつけの自家焙煎の店で良い豆を仕入れて楽しんでいます。これまでで一番感動したのは「セントヘレナ」と「カナリア・サンスーシ」です。ときどき船岡温泉近くの某店に寄り、店主から今年の豆の出来を聞くのが楽しいです。