今から1万年以上も前の縄文時代。人びとは地面を掘って竪穴式住居を建て、粘土を焼き固めてつくった土器で煮炊きして暮らしていました。でも縄文時代のことは、まだまだ分からないことばかり。新たな事実を見つけ出そうと、多くの考古学者が日夜研究に取り組んでいます。
私も、そんな謎とロマンに満ちた縄文時代に魅了された一人。縄文時代の約1万3000年間で、人びとの暮らしや生活文化はどう変化したのか。日本列島の各地にあった集落がどのような特徴を持ち、どんなつながりを持っていたのか。さまざまな角度から、縄文時代の研究に取り組んでいます。
縄文時代は、まだ文字がなかった時代。古墳時代や奈良時代のように、古い文書を読んで調べることができません。当時を知る唯一の方法は、土に埋もれ、水中に沈んだ遺跡を掘り起こし、出土した土器・石器・住居跡などの遺物から手がかりを探る発掘調査。私も、北海道から南は九州まで全国各地の遺跡に出かけ、発掘調査にあたってきました。
発掘調査では、今まで分からなかったことが明らかになりました。たとえば縄文時代の地域はそれぞれバラバラに存在したのか、それとも日本の原型となるまとまりがあったのか、研究者の間でも意見は分かれます。でも全国各地で出土した土器を詳しく調べると、朝鮮半島や中国では決して見られない特異な共通点があり、かなり早い時期から離れた集落がむすびついて、ゆるやかな統一体を形成していたことは間違いないでしょう。集落と集落は、遠く離れていてもそれぞれ違う言語を使って意思疎通し、食糧を交換したり結婚相手を見つけたりしながら互いの結びつきを深め、やがて地域としてのまとまりを持つようになったと私は考えています。
研究では、最新テクノロジーを使って今までできなかった遺跡の調査にも挑戦しています。琵琶湖北部の葛籠尾崎の沖合にある湖底遺跡の調査では、ロボット工学の専門家の力を借りて水深80mのところに眠る水中遺跡を水中ロボットで探査。地質学の専門家とも力を合わせ、縄文時代の土器がなぜ湖底深くに水没したのかを明らかにする研究も行いました。
遺跡を調査をしていると、土の中から当時の人が使っていた土器や石器のかけらが見つかります。それはまるで、ついさっきまで誰かが使っていたかのように生々しく、縄文時代の息吹きさえ聞こえてくるかのようにリアルです。何万年も前、その場所で、確かに誰かが暮らしていた——。その痕跡と巡り会った時のゾクゾクするような感動は、考古学研究でしか味わえない醍醐味に違いありません。
遺跡の調査には、学生も参加します。毎年調査に行くのは、滋賀県の伊吹山麓にある杉沢遺跡(杉沢遺跡)。縄文時代の終わり頃(約3000年前)のお墓が多数あり、弥生時代へと移り変わる時期の縄文人の生活を知ることができます。遺跡の上には集落があり、今も人が住んでいます。遠い過去に存在した縄文時代。でも私たちが暮らす現代と、実は地続きでつながっていることを、杉沢遺跡は教えてくれます。
