教員コラム

文学部には100名を超える教員が在籍しています。一人ひとりのリアルな教育・研究活動を紹介します。

COLUMN

学生時代にデリダに受けた衝撃がいまも研究の動機

哲学・倫理学専攻

人間研究学域
教授

亀井 大輔

20世紀後半に活躍したフランスの哲学者、ジャック・デリダを研究しています。とくにこれまで取り組んできたのが、1960年代に彼の思想がどのようにつくられたのかというテーマです。私がデリダの本を初めて手に取ったのは、立命館大学文学部の哲学専攻に在籍していた学部1回生のときでした。『声と現象』など、デリダの初期の代表作を読んだのですが、当時の私には難しくてよくわからなかったというのが正直なところです。謎に満ちた哲学の本。でもなぜか強烈に惹かれ、「彼の思想を理解したい」と強く感じたのです。

デリダは「脱構築」という概念を提唱することによって、古代ギリシア以来の伝統的な哲学の言葉や考え方をぐらつかせたことで知られています。私たちは物事を考えるときに、「二項対立」の図式に当てはめがちです。男性と女性、善と悪、敵と味方……。そのような二項対立の考え方は馴染み深く、物事を理解しやすくしてくれます。そしてこの二項対立は、ヨーロッパの哲学(形而上学)の伝統的な考え方を縛るものでもありました。哲学者たちは、自己と他者、西洋と東洋、精神と物質といったように、物事を2つに切り分けて哲学を構築していったのです。しかしデリダは、その二項対立の考え方が本当に正しいのか、疑問を投げかけました。二つに分けるということは、片方のなかには、もう片方がまったく存在しないということを意味します。デリダは、そのような切り分け方をすることで、哲学が何かを見失ってきたのではないかと問うたのです。

デリダの問いは、人間の「自己」にも向かいます。ふつう人は、自分と自分以外の他人を、 切り分けて考えています。しかし、「自己」はいつも本当に同じ「自己」でしょうか。私たちが誰かの話を聞いたときにメモをとるのは、「今の自分はこの話を覚えているけれど、明日の自分は忘れているかも知れない」と考えるからです。また10年前に自分が書いた文章を読んで、「これを本当に自分が書いたのだろうか」と驚くこともよくあります。そのように、言葉を読むことと書くことを通じて、私たちは「自己」のなかに「他者」がいることを経験しているのではないでしょうか。このようなデリダの考えに引き込まれたことが、学生時代から今にいたるまで研究を続ける動機となっています。

お気に入りの地、パリの「デカルト通り」に通じる広場。

私は学部も大学院も、この立命館大学文学部で哲学を学んできました。学生時代に何より楽しかったのが、みんなで課題の本を持ち寄って、ああだこうだと自由に語り合う「読書会」でした。その自由闊達な議論を通じて、哲学という学問は、どんなことでも研究のテーマにできる、どこまでも追求していける学問だと感じたものです。文学部には、古代から現代まで、哲学のあらゆる領域について研究する先生がいます。哲学に関心がある方は、ぜひここで自分のテーマを探求してもらいたいと思います。

PERSONAL

亀井 大輔

専門領域:
現代フランス哲学
オフの横顔:
子どもの頃からミステリー小説を読むのが好きで、今も楽しみのひとつです。私にとっては「謎の探求」という点で、哲学とミステリーはつながっています。